第5話 序 5



 10年経過したこの秋。


 武志が亡くなった。

 事故だったらしい。


 ……。


 ここ数年疎遠だったけれど、武志は俺にとって話の合う弟のような存在だった。

 あいつと異世界の話をしたかった。

 異世界が実在すると教えてあげたかった。

 きっとキラキラと目を輝かせて話を聞いてくれただろうに。


 何でだよ。

 正義のヒーローになるんじゃなかったのかよ……。

 


 幸奈も幸奈の家族も、目に見えて落ち込んでいるのが分かる。

 当然だ。


 妹の香澄も落ち込んでいる。

 あいつも子供の頃は武志と仲が良かったからな。


 くそっ!!


 何かできることがあったんじゃないのか。

 後悔だけがずっと消えずに残っている。






 11年経過。

 幸奈が交際を始めた。

 俺の知らない相手だ。


 ……。


 20歳を超えているのだから、何もおかしいことはない。

 今まで誰とも付き合っていなかったのが不思議なくらいなのだから。


 その相手に、武志を亡くしたことで空いた心の隙間を埋めてもらえれば。

 そう思う。


 武志を亡くした昨年の秋から冬にかけて、幸奈は病気なのじゃないかと思うくらいやつれていた。何とかしてやりたいと思ったけど、結局俺は何もすることができなかったから。


 今の幸奈との関係では……。


 だから、これでいいんだ。






 12年経過。

 大学4年生となり、大学院進学と就職で迷っている。

 どちらを選ぶべきなのか。共に選ぶ価値があるものだけに難しい。


 とはいえ、来年こそはあちらの世界に行けるのではないかと内心では思っている。  

 そのため、院も就職も必要ないという考えがどうしても頭に浮かんでくる。


 そう、20歳で大人でないのなら、大学卒業で大人と見なされるはずだ。

 来年こそ、冒険が始まるに違いない。


 準備も完璧とは言えないまでも、これまで努力してきたのだから、10歳の頃と比べると雲泥の差があるだろう。これなら神様も納得してくれる、そう信じている。


 それでも、来るべきその日まで努力を怠るつもりは無い。

 置手紙もメモも準備万端、作り込んでいる。

 置手紙は15版だし、メモにいたっては33枚だ!!


 ……。


 武道の方では、かなり大きな大会で優勝を経験した。昨年始めた新しい格闘技もまずまず様になってきた。柔道、居合も含め概ね順調と言えるだろう。

 例の能力の方も進境著しいと自負している。


 家族とはそれなりに上手くやっている。家族としても、俺の生活態度には慣れたものなのだろう。

 友人関係は大学時代に新たに築いたものが幾つかあるが、あまり深い関係は築けていない。これもひとつの課題だとは理解しているが、時間不足は如何ともしがたく…。


 幸奈と会う回数はめっきり少なくなった。


 あいつ、元気かな……。






 13年経過。

 異世界には渡れていない。

 結局、大学卒業後の進路は就職を選択した。

 後々のことを考え1人暮らしも始めた。






 15年経過。

 まだこの世界にいる。

 今年中にはあちらに渡れるのだろうか?

 今までは蓋をしていた不安の口が開き、心の中は疑心で溢れている。


 ……。


 10歳の頃から今までずっと努力してきた。

 来る日も来る日も、身体を鍛え様々な訓練を行い、多くの技術の習得のためにできることは何でも試してきた。


 友人付き合いを控え、女性と遊ぶこともなく、酒、たばこなどにも手を出さず、贅沢をすることもない。ただひたすら、異世界のことを考えて頑張ってきた。


 色々と大変だったが、耐えることができたのは異世界へ渡るという一念があったからこそ。異世界の前では、他の全てのものは色褪せて見えたから。


 だけど、疑心を抱いてしまうと……。


 だめだ。

 それでも、努力を続けないといけない。






 17年経過。

 幸奈が結婚した。

 結婚前の言葉が頭から離れない。


「プロポーズされたんだけど」


「結婚していいのかな?」


「結婚するよ」


「付き合うのとは全然違うんだよ」


「ホントにホントに結婚するよ」


「…………もういい。結婚する」



 俺に何ができるって言うんだ!?


『結婚なんて、やめろよ!』


 そんなこと言えるわけがない。

 俺はあっちに行くんだ。

 この世界に幸奈を残して。

 俺にできることなんて……。



「……」



 そんな俺はまだこちらの世界にいる。







 20年経過。

 30歳になった。

 資格を取って新しい仕事も始めた。

 いつあちらに行っても問題無いように仕事を進めるつもりだ。

 気功も習い始めた。


 でも。


 この世界から出られない。

 焦燥感だけが募っていく。


 だけど……。


 それでも、鍛錬は続けている。






 幸奈が離婚したみたいだ。


 ……。







 25年が経った。 

 最近巷では異世界を題材にした作品が流行っているらしい。

 今さらだけど、俺も漫画、小説などいくつか読んでみた。

 なかなか参考になる。

 俺が異世界に渡る際の参考になればいいな。


 しかし、まだ俺はここに居る。


「……」


 物語の中では簡単に行くことができる異世界。

 それなのに、俺は……。


 分かってる、あれは架空の物語なんだ。

 分かってるけど、どうしても……。


 そんな情けない妬心を抱いてしまうのに、若い頃に持っていた冒険心や正義感は薄れてきたような気がする。


 漫画を読んでも小説を読んでも、以前のように気持ちが奮い立たなくなってきたから。

 あんなに冒険が大好きだった俺が。

 俺の心が沸き立たないなんて。


 ……。


 ……。


 ……。


 あの世界は夢だったのだろうか。

 幼年時代の幻想なのか。


 神様はいないのか。


 俺は狂っているのか?

 俺は狂っていたのか?


 あの世界のことなんて誰も知らない。

 俺しか知らない。

 その俺の記憶だって……。


 自信がなくなってきた。

 働く気力が失せてきた。

 鍛錬も辛い。


 それでも……。


 今さら止めることなんてできない。

 続けるしかない。


 だけれども、身体に力が入らない。

 そんな日が増えてきた。


 だから俺は……。


 ……。


 機械になろう。


 ただ、鍛錬し訓練し、その日を待つだけの機械。

 

 感情など要らない。

 栄養をとり、睡眠をとり、鍛える。

 それだけを淡々と繰り返せばいい。

 何も考える必要はない。


 そんな機械に……。









 明日で30年。

 10歳の時、あの世界へと渡った日が30年前の明日だ。


 ここ数年は淡々と日々を過ごしてきた。

 なるべく何も考えないようにして。


 だけど。


「……」


 明日で一区切りをつけようと思っている。

 

 さすがに、もう……。


 もう……。


 諦めなきゃいけない。


 そう、諦めなきゃ。


 ……。



 明日何も起こらなければ現実と折り合いをつけて暮らしていこう、そう思う。

 それもあって、ここ数日は異世界関連の物を処分するための整理を始めている。


 あらためて見てみると使い道のないガラクタのような物も沢山あるが、今となっては全て懐かしい品々だ。


 こいつらともお別れか。


「はぁ~」


 寂しさとも虚しさとも判別がつかない複雑な感情が心を締めつけてくる。


 あの世界。

 異世界。


 ……。


 10歳のあの時、確かに俺はあの世界に足を踏み入れた。

 ずっと、そう信じてきた。


 でも、今やもう……。

 その記憶が俺を食らい尽くし、今では現実か空想かの区別も難しい。


 それでも、あの時の記憶は未だ色鮮やかに俺の心に浮かんでくる。


 異世界の綺麗な街並み、頬を撫でる鮮烈とも思える異世界の風。

 初めて見た魔法の信じられない程の美しさ。

 魔球の感触。

 勝利の喜び。


 全てが俺の心に手に鮮明に残っている。


 忘れられない……。


 それが全て俺の幻想だなんて!


 そんなはずはない!!


 でも。

 それでも、あの世界が実在するという確たる証は……。


 力はある!

 あの力を今も俺は使うことができる。

 それが俺の拠り所だった。 


 けど、本当にそれが異世界の存在の証になるのか?


 ……。


 分からない。

 全ては記憶違い。


 俺が狂っているという可能性も。


 ……。


 狂っている。

 10歳の頃からずっと。


「ハッ、ハハハ」


 ……笑えるな。


「ハハハハハハ……」


 全てを異世界のために費やしてきたというのに。

 道化ここに極まれりだ……。









 30年経過。

 僅かなまどろみの後、清浄な早朝特有の空気が40歳の俺に理不尽な答えを突き付けてくる。


「……30年、か」


 あぁ。


 潮時かな。

 潮時だな。


 とはいえ、今さら……。


「はぁ……」


 枕元に置いてある懐中時計を手に取る。

 幼い時に曾祖父からプレゼントされたお気に入りの銀の懐中時計。10代の頃はずっと使い続けていたものだ。


 そんな思い出の懐中時計もいつの間にか記憶の片隅に追いやられ、腕時計や携帯電話にとって代わられていたのだが、ここ数日の異世界関連品整理の最中にクローゼットから出てきたんだ。


 異世界関連品と共に廃棄しようかと考えて手にとってみたところ、表面の銀が硫化して黒ずんではいるものの問題なく作動するのを確認。どうやら、故障していると勘違いしていたようだ。


 普通に動くとなると、曾祖父からもらった思い出の品を捨てるというのも躊躇われる。それに、懐中時計を手に取って眺めていると不思議なことに今の俺に馴染むような気がしてくる。


 ということで、久々に使うことにしたのだ。



 その時計が教えてくれた時間は、5時30分。


「……」


「…………」


「………………」


 ああ……。

 ついに30年が経過したな。


 でも、何も起こらない。

 何も変わらない。


 いつもの通り、普段と変わりない朝。

 使い慣れた自分の寝室、自分のベッド。

 その中にいる40歳の俺。


 随分とくたびれてしまったな。



 でも。


「……」


 ああ、そうだ。

 どちらにしても。

 今の自分にけりをつけるしかない。


 そうだろ。




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