第六話『大切な友達』
「……今ので、終わったの?」
「ああ。……多分、すぐに分かると思うぞ」
どこかまだぼうっとした様子のリリスに、俺は力強くそう断言してみせる。あれだけの損傷だったわけだし、治ったという実感はすぐに来るだろう。今はまだ、少し混乱しているだけだ。
魔術神経が切れても、本人の体内にある魔力が外に出ていくわけではない。イメージとしては、血の巡りが悪くなっているようなものだと言えばわかり易いだろうか。魔術神経が損傷したことで体中を循環することが出来なくなった魔力は、少なからずリリスの体内で悪さをしていたはずだ。
だが、その原因となっていた損傷は俺が修復した。それ以外の部分は健康そのものなわけだから、魔術神経さえ改善されればリリスの体に一切の不安はないわけで――
「……体が、軽い……」
「だろ? それが修復の証拠……っていうには、まだ弱いかもしれないけどさ」
信じられないといった様子で肩をぐるぐるとまわすリリスに、俺は微笑みかける。普段のすまし顔はどこかへ行き、リリスの表情には驚きだけがあった。
「補助魔術……だとしても、痛みが消えてるのは不自然だものね。使い物にならなくなってから、ずっと体の内側が鈍く痛んでいたのだけれど」
「そりゃあんだけ魔術神経を傷つけてちゃな……むしろそれをおくびにも出さなかったお前がすげえよ」
リリスの呟きに、俺は肩を竦めながらそう返す。そんな事だろうと思ってはいたが、実際にそれをできてしまうリリスの忍耐力には脱帽するしかなかった。
あの檻の前で対面した時だって、リリスはずっと痛みに苛まれていたはずだ。それを我慢できてしまうのは美徳なのか、それとも悪徳なのか……。多分、後者なんだろうな。自分の体に異常があるのを言い出せない環境なんて、良いものであるはずがない。
「護衛たるもの、雇い主に不安を与えちゃいけないもの。そう教育されてたら、いつの間にか痛みをこらえることに慣れてしまったわ」
「お前のいた商会、絶対ろくでもねえところだろ……。とにかく、俺に買われた以上は痛みを我慢するの禁止な。何か体に不調があったらすぐに報告すること、分かったか?」
修復自体は完了したが、それによって魔術神経が二度と損傷しなくなるわけじゃない。もちろん治せるには治せるが、あの苦痛を何度も味合わせるのは忍びなかった。
「……分かったわ。外傷の治療だったら私に心得があるから、その場合は私に言ってちょうだい」
「おお、そいつはありがてえ。俺たち二人が居れば治せないものは無し、ってことだな」
リリスは俺の提案を素直に受け入れ、おまけに嬉しい情報を提供してくれる。その情報を惜しみなく出してくれるのも、修復の成果あってこそってことなんだろうな。そう思うと少しうれしかった。
「いっそ二人で治療院でも経営してみる? 冒険者でいるよりよっぽど安定した稼ぎになると思うけど」
「冗談言ってくれるなよ、そんな悠長にやってちゃ返済期限に間に合わねえ。それに――」
冗談めかしたリリスの提案に俺も笑い返しながら、リリスに向けて俺は指を一本立てて見せる。それは、俺たちにとって今一番やらなくてはならないものを示していて――
「今から『タルタロスの大獄』に向かうんだ。そんなチマチマした稼ぎ、眼中に入れてる暇ないだろ?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……おや、マルクさん。今日はお仲間と一緒ではないのですか?」
「ああ、とある事情でな。いずれ分かると思うから、今は聞かないでくれ」
すっかり顔なじみになっている門番の問いかけに、俺は苦笑しながら返す。さすがのクラウスでも評判をすぐに回しきるのは不可能だったのか、まだ追放の事実を知らずにいてくれるのがありがたかった。
「なんだかよく分かりませんが、マルクさんがそういうなら聞かないでおきましょう。……そういえば、隣のお嬢さんは? ずいぶんといい身なりをしておられますが……」
書類に手を付けようとしていた門番の目線が、俺の隣に立つリリスへと吸い込まれている。間違いなく目立つとは思っていたが、まさかここでも問いかけられるとは……その魅力恐るべし、ということか。
だが、それに対する答えならもう決まっている。俺はリリスを指さし、思いっきり笑って見せると――
「ああ、こいつか? コイツの名前はリリス。……俺の、新しい仲間だよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……私、まだあなたの仲間になった覚えはないのだけれど」
「そんな細かい事言ってくれるなよ、この冒険が終わったらそうなるんだから。関係性の前払いってやつだ」
門からある程度離れたのを確認してから、リリスが不満げな顔でこちらを見つめてくる。それに俺は笑い返して、その背中を軽く叩いた。
リリスの不満も分からないでもないが、あそこで『奴隷です』って素直に言うのも悪手であることに違いはないからな。クラウスにはもう少し俺がへこたれていると思っていてほしいし、あんまり噂になるようなことはしたくないのだ。
リリスもここまで来てからそれを言い出すあたり、俺の意図自体はちゃんとくみ取ってくれているのだろう。なんだかんだ言いながらも、リリスが優秀なのは疑いようもない事実だった。
「……まあ、貴方の仲間になるのも悪い事じゃないのは分かってるけど。……でも、あの子を助けないうちにそんなことを言いだすほど薄情にはなれないわ」
「助けたい友達、ってやつか。……よっぽど、大事なんだな」
その友人のことを語る時、リリスの表情は少しこわばる。普段表情があまり変わらない彼女だからこそ、その変化からはリリスの想いがくみ取れた。
「ええ、大切よ。辛い事ばかりしかなかった護衛生活の中で、唯一私の友達になってくれた同僚の女の子。私よりもよっぽど強いし賢くて、私の近接戦闘は全部あの子に叩き込んでもらったわ」
「へえ、そいつはすげえや……仲間にできたりしねえかな」
リリスにとっても大切な友人ならば、迎え入れるのに何の抵抗もない。俺の目的のためにも戦力が増えるのはありがたいし、旅が賑やかになるのも嬉しい事だった。リリスたちが居た商会がろくでもない事は分かってるし、引き抜くことに何の罪悪感もないからな。
そんな思いから気軽に発した言葉に、リリスの表情が固まる。まずい、もしかして地雷でも踏んだか……?
リリスからしたら俺はまだ借金持ちだし、そんな状態で仲間に引き入れようもんならその友達すらも同じ身分になってしまう可能性がある。その可能性をすっかり失念していた俺は、リリスに怒られることも覚悟していたのだが――
「……ええ、そうなったら理想的ね。あの子は私と違って明るいし、きっと盛り上げてくれるわ」
何かを懐かしむように目を細めて、リリスは俺の提案を肯定する。その表情は、俺が見てきた中で一番穏やかなものだと言って良かった。
きっと、その友達との間にはいろんな思い出があるのだろう。奴隷になってもなお救いたいと思えるくらいに、大切な思い出たちが。
「そっか。……なら、なおさら急いでいかねえとな」
「そうね。……あいつらは、もうあの場所に居るはずだもの。『タルタロスの大獄』産の素材を使って大きい商談を成功させるんだって、鼻息荒く主が言ってたのを思い出すわ」
ひそかに決意を新たにしつつ、俺はぐっと拳を握りこむ。『タルタロスの大獄』に入った後に俺が出来ることなんて高が知れているが、それでも全力を尽くそう。そこで死ぬことになったとしても、絶対に後悔なんてしてやるものか。そう誓う俺の隣で、リリスも目を伏せて真剣な表情を浮かべていた。
「それにしても、『タルタロスの大獄』で仕入れをしようとするなんてな……。リリスっていう戦力を失っても予定変更しなかったのか?」
「ま、するはずがないでしょうね。私のほかにも一応腕利きは多かったし、自信だけは湯水のようにある商会だったもの」
俺の疑問に、今度はリリスが肩を竦めてそうこぼす。リリスの話を聞く限りでは、その商会が生き残れる気は微塵もしなかった。
「最悪、商会の本隊自体は全滅してるかもな。その護衛に関してはどうだか分かんねえけど……」
「商会なんてどうでもいいわよ。他の護衛も別にどうだっていい。……私は、あの子さえ助け出せれば十分だわ。むしろあの子以外全滅してくれた方が後腐れなく仲間にできて嬉しいくらいかも」
「……お前、意外とえげつない考え方するのな……」
確かに言う通りではあるのだが、それをそこまではっきり言う度胸は俺にはなかった。……というか、どう考えてもリリスじゃなきゃ言えないことだ。商会はともかく、その友達以外の仲間までそんな風に言い放つとは……。
「あの子以外の護衛、皆野蛮な男たちだったんだもの。いつ貞操が奪われるかと思うとろくに眠れもしなかったわ。あの檻はその心配が無いだけ少しマシだったくらいよ」
「あー……」
リリスの述懐に、俺は納得せざるを得ない。リリスが珍しいだけで、商会の護衛なんかには大体冒険者上がりの男性が付くことが多いのだ。そっちの方が従えてる時の威圧感もあるしな。
だが、その反動で気品はお世辞にもいいとは言えない奴らも多い。リリスはとんでもない美人だし、強引に迫ってくるような輩も多かったんだろうな……。
「あの子も同じくらい狙われていたから、二人で変わりばんこに寝たりもしたものだわ。……私が居なくなった今、あの子は大丈夫かしら」
「……そういう意味でも、急がねえとだな」
「ええ、当然よ。だから、そうね――」
リリスは軽く頷くと、そこで突然言葉を切る。そしておもむろに手を天高く掲げると、その手のひらの上に巨大な氷の槍が出現した。俺たち二人の背丈を足しても敵わなそうなそのサイズは、この平原に住み着く魔物の全てを一撃で葬り去れるくらいの威力はあるだろう。とてもではないが、世間一般の魔術師ではこんな魔術を気軽に操ることは不可能だった。
だが、隣に立つリリスの表情には一切の緊張がない。この魔術をさぞ当たり前のように掲げるリリスは、三十メートルほど先の岩陰に視線を向けると――
「……その邪魔になりそうな奴らには、すぐにでも退場してもらおうかしら」
低い声でそう呟き、掲げた腕を勢い良く振り下ろす。……氷の槍が着弾したその岩陰から魔物の断末魔が聞こえてきたのは、そのアクションから一秒もしないうちの事だった。
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