第五話『修復術師の本懐』
「……今日はありがとうな。お前の稼業は理解できねえししたくもねえけど、一応感謝はしとく」
「こちらこそ、ご購入ありがとうございました。……約束、どうぞお忘れなきよう」
社交辞令くらいの気持ちで軽く頭を下げた俺に、店主はほくほく顔でお礼の言葉を返してくる。コイツのやってることを考えると顔面をぶん殴りたくて仕方がないのだが、その存在が俺にとっての突破口になったのは間違いなく事実なのが性質が悪い。
せめてもの抵抗とばかりに、俺は足早に店を後にする。俺が案内された店内への通路は、何事もなかったかのようにまた張りぼての本棚で封鎖されていた。
「……本当によかったの? アレ、私でも分かるくらいに悪徳商人だけど」
「いいんだよ。……今の俺にとって、アイツはある程度信用できる。信頼は絶対しねえけどな」
先に店の外で待たせていた少女が、すまし顔で俺にそう尋ねてくる。その白い首元には、俺の所有物であることを示す黒い首輪が付けられていた。デザイン性も何もない無骨なものなのだが、それでも似合っているように思えるから不思議なものだ。
「アイツは外道だし鬼畜だけど、『商人』っていう立場を踏み外すことはしない。だから客に対しては誠実だし、売れそうな商品に対してはしっかり管理もする。人間性じゃなくて、俺が信じてるのはそういうとこだ」
「へえ、結構頭も切れるじゃない。……それでなんで追放されることになったのか、私にはとんと見当がつかないわね」
奇しくも商人と同じリアクションを取ったことに、俺は思わず苦笑してしまう。あくまで変わらないそのスタンスが、俺にとってはありがたかった。
買ってからこの店を出るまでに、俺の事情は大体伝えておいた。パーティを追放されて食い扶持がない事から、『修復』の力と謳いながら外傷を治療する力がない事を詐欺だと言われたことまで。それをどれだけ理解してくれたかは分からないが、俺がなかなか厳しい状況にあるってことだけ理解してくれていれば今は十分だ。
「単純な話、俺の事が気に入らなかったんだろ。治癒術師でありながらロクに貢献もせず、いるだけでパーティの金を食いつぶしているように見えるやつがさ」
「損切り、というものなのかしらね。まさかパーティ運営でその言葉を聞くことになるとは思わなかったわ」
俺の真似をするように、少女は肩を竦めて見せる。……そういえば、まだお互いの名乗りが済んでなかったっけ。これから一緒に旅をすることになるんだし、聞いておくに越したことは無いだろう。何の脈絡もないけれど、こういうのは思い出した時にやるのが一番だからな。
「……お前、自分がなんて呼ばれてたかとか覚えてるか? こう呼んでほしい、とかでもいいけど」
予防線を張ったのは、奴隷にとって自分の名前は地雷であったり、そもそも名前を付けられてなかったというパターンも往々にしてあるからだ。捨てられるような子供たちの中には、名前をくれた存在である親を死ぬほど憎んでいるパターンだってある。悲しい話だが、目をそらしてはいけない真実だった。
だが、幸いなことに少女はそのどちらのパターンでもないようだ。俺の質問に思い出したかのような表情を浮かべると、薬と笑いながら俺に視線を合わせて来た。
「私はリリス。リリス・アーガストよ。貴方は私の所有者なんだし、リリスでかまわないわ」
「マルク・クライベットだ。……できれば、お前とは仲間として付き合っていきたいんだけどな?」
冗談めかした後半部分に、俺も苦笑しながらそう付け加える。確かに奴隷として購入したのだが、俺が求めているのはもっと対等な仲間なんだからな。
「私の目的が果たされたら、私のことはそう扱ってくれていいわよ。それが私からの約束だったし、それに――」
ふっと笑いながら言葉を切ると、リリスは俺の全身を上から下までぐるりと見まわす。あまり感情の変化が顔に出ないタイプには見えるが、その瞬間だけは次の言葉が予想できてしまった。
なんせ、今の俺とこの店に入る前の俺には大きな違いがある。その原因は、間違いなく俺の見栄にあるわけで――
「商人に対して何の躊躇もなく『言い値で買う』なんて宣言しちゃう人、簡単に仲間にしたくはないしね」
「……それに関しては、返す言葉もねえよ……」
うなだれる俺に、リリスの辛辣な視線が突き刺さる。商人があんなにも上機嫌だったのは、俺があまりにもいいカモだったからに他ならなかった。
『言い値で買う』という俺の言葉を存分に活かし、アイツが吹っ掛けてきた額はなんと五百万ルネ。『双頭の獅子』時代の俺が月に三十万ルネ位を貰っていたから、俺が一年と五か月くらいせこせこと働いてようやく返せる額をアイツは要求してきたわけだ。
当然、文無しの俺にそんな貯金があるはずもなく。冒険に使うもの以外すべてを担保にしても、提示された金額まで五万ルネしか近づけない始末だった。簡単な話、俺は一瞬にして債務者になってしまったというわけだ。
そんな俺たちに対して、店主が指定してきた返済期限は一週間後。それまでに残りの四百九十五万ルネを支払えなければ、俺たちを待つのは無残な結末しかないだろう。覚悟の上だったとはいえ、実際に借金をするという重みは間違いなく俺にのしかかってきていた。
「ようやく私の要求を呑んでくれる買い手が現れたと思ったら、その人はいきなり借金持ち。奴隷である私が言えた話じゃないけど、貴方って相当考えなしなんじゃないの?」
「何も考えてねえわけじゃねえよ……。なんとしてでもお前を買わなくちゃいけねえって思っただけだし、金のあてもちゃんとあるさ」
どこまでも厳しいその指摘に、俺はうなだれながらも必死に反論する。いくら追い詰められた俺でも、勝ち目のない戦いに自ら飛び込むくらい自暴自棄にはなってないからな。
「『タルタロスの大獄』にいるやつらの素材を取ってくれば、五百万ルネは軽く稼げる。ちょうどお前の目的地もそこだし、上手い事かみ合うって思ったんだよ」
「まあ、確かに間違ってはないわね。あそこで獲れる素材は高く売れるって話だし。……だけど、そのためにはまず乗り越えなきゃいけない問題があるんじゃないの?」
どことなくそわそわしたような様子で、リリスはそう問いかけてくる。その話題に近づいた瞬間にちょっとだけ落ち着きを失いかけるのは、やっぱりどこかまだ半信半疑だからなのだろうか。……それなら、早いところ安心させてやらないといけないか。
「そうだな。……まずは、お前の魔術師としての才能を復活させねえと」
「ずいぶんと簡単に言ってくれるわね。これが治らないって言われたから、私は奴隷としてあそこに売り出される羽目になったのよ?」
「へえ、そうだったのか。……だとしたら、お前の雇い主は不勉強だな」
少し呆れたような様子のリリスに、しかし今度ははっきりとそう言い切って見せる。その見解に関しては間違っていると、そう確信できているからだ。
「……手、出してくれるか? これ以上言葉で説明するより、実際にやった方が早い気がするからさ」
あんまり人前でやりたくない魔術でもあるし、そういう意味でもこの路地裏はちょうどいい。奴隷にしか興味ない奴しか通らないし、そういう奴らが見ても魔術を使ってる光景だと思いはしないだろう。『初めて買った奴隷にテンションが上がっているボンボン』くらいに思うのがきっと関の山だ。
「……そうね。貴方の自信、結果で証明してもらおうかしら」
リリスもその提案に乗り、俺の方に手を差し出してくる。華奢ながらも筋肉質なその細腕は、リリスがこれまでに積んできた修練を雄弁に物語っていた。
「ん、話が早くて助かる。……それじゃ、失礼して……っと」
透き通るような白い肌に触れることに若干の申し訳なさを覚えつつも、俺は差し出されたリリスの手を取る。――その瞬間、つないだ手を通じてリリスの体内状況が脳内に流れ込んで来た。
クラウスが『詐欺』と断じた俺の魔術は、生命の内面的な損傷を治すことに特化した術式だ。そしてそれは、リリスが負っている魔術神経の損傷にも適用される。その能力もあって魔術神経の状況を把握するのも慣れたものなのだが、リリスの損傷は正直見たことがないくらいにひどいものだった。
「……どんだけ酷使すれば、こんなひどい損傷にできるんだよ……」
本来なら体中をぐるりと一周するように繋がっている魔術神経が、リリスの体内のあちこちで寸断されている。小さな穴が開くぐらいの損傷だったら安静にしていれば治るのだが、リリスのそれはどう見ても無理をした代償と言った感じの損傷具合だ。損傷しながらも魔術神経を使い続けたせいで、もう後戻りできないラインを踏み越えてしまっている。
「……私はね、とある商会に護衛として雇われていたの。無力な金持ちを守るためだけに雇われた身分に、ロクな休息の機会があると思う?」
「あー……。なるほど、それを聞けばこの状況も納得だわ」
どれだけ荒事だらけの商会なんだと思わなくもないが、この世界の商人というのは本当にピンキリだ。リリスを売りに出したのも、護衛としての価値が失われてしまったからだと思えば納得のいく話だった。
「……というか、触れるだけでそこまで分かるのね。それが貴方の術式?」
「まあ、その一部だな。安心しろ、本番はこっからだ」
そう宣言すると、俺はふっと目を瞑る。視覚的な情報をいったん遮断して、つないだ手から伝わってくるリリスの情報にだけ全神経を集中した。
「……それじゃ、治療を始めるぞ。痛いと思うけど、短い間だから我慢してくれ」
一応そう伝えて、俺は『修復』の術式を行使する。俺という人間の奥底から魔力を引っ張り出してきて、それをリリスの体内にそのまま流すような感じだ。
本来はそれだけで凄まじい苦痛を伴う行為なのだが、『修復』の術式がそれを緩和してくれている……と、思う。上手く行っていることを信じて、俺は実際に損傷が起こっている地点へと魔力を流していく。
「く……っ、うう……」
軽減してもなお魔力を流される感覚というのはやはり違和感を伴うのか、リリスの口から何かをこらえるような吐息が漏れる。負担をかけてしまっていることに内心土下座をしつつ、俺は損傷個所に意識を集中した。
主要な損傷は四つ、それも重要な箇所だ。筋肉で例えるならば、両太ももと両肩の部分が思い切り断裂しているような感じだろうか。当然、その状態で魔術が使えるはずもない。
ここまで酷く損傷してしまった魔術神経は、本来再生することは不可能だと言われている。最早定説だと言ってもいいそれを覆せるのが、俺のような『修復』の術師だった。
魔術神経の四つの切れ目に意識と魔力を集中させ、慎重に魔力を変質させる。それが上手く行ったのを確認して、俺は軽く息を吸い込むと――
「……繋げッ‼」
「く……っっ!」
俺の言葉とともに、リリスの体がひときわ大きく跳ねる。どれだけ丁寧にやろうと思っても、やはり魔術神経の治療は体にある程度の負担をかけてしまうようだった。
だが、その負担に耐えてもらった価値はあると言っていいだろう。リリスの体の震えがあらかた収まったのを確認して、もう一度魔術神経の情報を読み取ると――
「……うん、成功だ」
さっきまで断裂していた魔術神経が、少し歪ではあるがしっかりと繋がっている。修復が成功したことを確認して、俺は初めて肩の力を抜くことが出来たのだった。
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