第三話『視線』
「……今、大丈夫だよな?」
いくら太陽がまぶしく輝いても、この場所に光が当たることは無い。王都という街の陰をすべて詰め込んだような店に、俺はゆっくりと足を踏み入れた。そのくせいやに清潔に整えられたカーペットやインテリアがやたらと目について仕方がない。表面だけでもまっとうに繕おうという意図が透けて見えるそれが腹立たしかった。
「ああ、いらっしゃい……っと、これはこれはまた珍しいお客様がいらっしゃったものだ」
俺の気配を察知して、店の隅から小太りの男が揉み手をしながらこちらに近づいてくる。一度しかここに来たことのない客のことも覚えているのか、店主は俺を認識すると目を丸くしてこちらを見つめて来た。
「一度来た客のことは忘れないとか、そういうところは律儀なのな。商人の性ってやつか?」
「いえいえ、そんなまっとうな志は持ち合わせておりませんよ。ただあの時汚物を見るような目でここを訪れていたあなたが、ずいぶんと見違えたなあと思いまして。――クラウスの旦那は、今日はお越しにならないので?」
「クラウスになら見限られたよ。なんでも俺は詐欺師なんだとさ」
「ほほう、それはまた面白いことをおっしゃる。私目たちの店を冷やかし要因としか思っていないあの方が詐欺師とは、この国トップクラスのパーティを率いる方は流石にユーモアのセンスが違う」
肩を竦める俺に、店主は腹を揺らして愉快そうに笑う。まさかこんな稼業の奴らにまで嫌われているとは想定外だったが、それなら少しだけ好都合だ。
「それなら、お前たちにとって俺は良客になりうるわけだな。アイツと違って、俺は今日金を落とす気でここに来てるし
俺がそう宣言した瞬間、店主の目つきが一気に変わる。客としての俺を値踏みするようなその視線は崩さぬまま、店主は楽しそうな笑みを浮かべた。
「ほほう、それはそれは。追放されてから奴隷を買おうなど、中々に歪な発想でございますな。やはり長い年月は人を変えてしまうという者なのでしょうか」
「奴隷として買うつもりはねえよ。……ここにいるやつらなら俺のせいで迷惑が掛かることもないって、そう思っただけだ」
その視線から逃れるように目をそらしながら、俺は早口でそうまくしたてる。まっとうな方法で仲間を集められないと悟った俺のとった行動、それこそが『奴隷市で仲間を探すこと』だった。
奴隷に身をやつす者にもそれぞれの事情があるが、その中でも戦闘能力が高い奴というのは確かにいる。そいつらと交渉することが出来れば、俺にとってもアイツらにとってもいい関係値を築くことが出来るんじゃないだろうか。俺はこの先も生きていくため、奴隷側はこのクソそのものと言っていい環境から抜け出すため。俺も相手も追い詰められた状況だからこそ、交渉の余地も生まれるというものだ。
もっとも、そのためにはかなりの金をはたかなくてはいけないわけだが――
「手持ちで足りなきゃ、今付けてる装備も担保にしてもらっていい。……なんなら、お前たちに借金をしたって構わねえぞ」
俺の唐突な発言に、流石の店主も目を丸くする。その宣言が普通のものではないことは、その表情を見れば火を見るよりも明らかだった。
「…………ほほう、それは大層なお覚悟で。奴隷商である我々に借金をするそのリスク、まさか知らないわけでもないでしょうに」
「約束守れなきゃお前らの商品に仲間入り、だろ? 金がなくなったらどうせ行く当てもねえし、それくらいのリスクはリスクとも言えねえくらいだな」
こんな奴の所有物になるなど、天地がひっくり返ったとしてもお断りではあるけれど。それでも、この店主の信頼を得るならばそれくらいのことは言えなければいけないと俺は直感していた。ずっと日陰を生きて来たからこそ、目の前にいる商人は尋常のそれよりも遥かに手ごわいのだ。
「……面白い。そのような方にこそ、私も商売をする意味があるというものです」
その直感が正しかったことは、店主の表情の変化からも明らかだ。こちらを値踏みする蛇のような目から、脳内の算盤を弾く経営者の目に。……どうやら、ここまでやって俺はようやく取引の相手としての第一歩を踏み出すことが出来たらしかった。
「お客さんとしては合格、ってことでいいよな?」
「勿論ですとも。半端な覚悟しかないなら不良在庫ともども潰れていただこうかと思っていましたが、貴方様にならこの店の全てをさらけ出してもよろしいでしょう」
さらっとえげつないプランを披露しながら、商人は一つの本棚へと歩み寄っていく。二メートルはありそうなそれには、色とりどりの背表紙が所狭しと詰め込まれていた。見るからに重そうなその棚に近づいて何をするのか、俺にはてんで見当がつかなかったが――
「……お前、見かけによらず力強いのな」
「逆ですよお客様、この棚が軽いのです。見た目の与える効果というのは便利なものでね、こうやって偽装しておけばそれが動くだなんて思いもしない」
一歩だけ後ずさった俺を見て、商人は小さく笑う。片手で棚を持ち上げてぶんぶんと振り回しているという衝撃的な光景は、商人のトリックによってもたらされたものであるらしかった。
これが筋力によるものなら荒事になったときの俺の勝ち目が全くなくなるし、トリックだったのはどっちかというと喜ばしい事なのだが、それはそれで問題は残っている。……一度見たら絶対に忘れないであろうその光景は、俺の記憶に微塵も残っていなかったのだ。
あまりのショックで忘れたか? ……いや、それならその後の奴隷市場の光景だって忘れているはずだ。今から行くところに向かって言いたくはないが、あの環境は劣悪って言葉じゃ表しきれないくらいにひどいものだったんだから。だぼだぼのぼろきれの上からでも分かるくらいにやせ細った奴隷たちがこっちを助けを乞うような目で見つめてくるのは、正直かなり神経に堪えた。まあ、クラウスはその隣でゲラゲラと笑っていたのだが。
俺のこの記憶が偽物じゃないんだとしたら、俺の中で考えられる答えは一つだ。……それが事実なら、この店主はどこまでも喰えない人物ということになるが。
「……お前、クラウスにここの存在教えたことないだろ」
「ええ、よくお分かりで。ここまで聡明なお客様も久しぶりですねえ。なぜ追放させられたのかが分からないくらいだ」
「奇遇だな、俺も分かんねえ」
俺も俺で貢献はしてたんだけどな……ま、それにアイツらが気づいてたかは分かんないけど。『修復』の恩恵は、ずっと『双頭の獅子』にもたらされていたんだ。
あのやり取りを思い出して溜息をつく俺に、店主は腹を揺らして笑って見せる。この店主の言っていることが正しいのならば、この先にある空間は正真正銘初見ってことになるわけだ。それもまたそれで、何が起こるか分からない恐ろしさもあるが――
「奴隷は大事な商品です。それを無碍に扱うなど、あくまで悲劇が好きな冷やかしに対するパフォーマンスでしかありませんとも。事実、あそこにいる奴隷たちはすべて私の所有物ですしね」
「……どこまでも、恐ろしい奴だ」
「商魂たくましいとおっしゃってください。……ご安心を、貴方にはすでに何も隠しておりませんとも」
「それもまたきなくせえな……ま、俺はそれを信じるしかないわけだけど」
俺がどれだけ疑ったところで、俺をどこに案内するかは店主が決めることだ。俺は客で、アイツが店主。その関係が入れ替わらない時点で、絶対的な有利不利は変わらない。
「おや、よくお分かりで。……ですがご安心を、この先にいるのは正真正銘の上玉たちばかりですから」
「……それじゃ、期待させてもらうよ。案内、してくれるんだろ?」
その言葉も疑わしいが、この先に踏み込まなければ何も変わらないのは悲しい事実だ。ある程度のリスクは受け入れると、そう誓ったばかりだろう。
「ええ、それはもちろん。どうぞ心行くまで品定めなさってください」
俺の頼みを快く受け入れて、店主は真っ暗な空間の中に足を踏み入れていく。先が見えない恐怖に駆られながらも、俺はその背中が遠ざからないよう足早に店主を追いかけた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……ここが」
「ええ。正真正銘我々の取引場、この世界で最も上質な奴隷たちの集いでございます」
――その空間は、奴隷売買場だとはとても思えなかった。日の差さない裏路地にあるはずの建物の床にはレッドカーペットが敷かれ、天井ではシャンデリアが眩しいくらいに光を放っている。あちこちにある檻にさえ目を瞑れば、国家交流に使われる良質な会館だと言われても信じられてしまいそうなくらいだ。
「お前が客を値踏みする理由、なんとなくだけど分かった気がするよ」
「そうでしょう? この場所は、奴隷に似つかわしくないくらいにきらびやかだ。奴隷という存在を蔑み自らを慰めたい嗜虐趣味のお客様には、この場所は気に入って頂けないかと思いまして」
皮肉たっぷりの俺の一言に、店主は満足そうな表情を浮かべる。ただ店主の言う通り、この場所を見てもクラウスは満足しないだろう。下種な商売をしているからこそ、客を選ぶ目は養われているということなのだろうか。
「ここにいる奴隷たちは、どれも値の張る上玉ばかりです。だからこそ十分な食事もとらせ、似合いの服も用意している。その方が商品価値は跳ね上がりますからね」
その商人の言葉通り、檻の中に囚われている奴隷たちはどれも綺麗に着飾られている。人間から異種族、あるいはその混血と思しき者まで、その顔触れは多岐に渡っていた。
だが、その誰もが牙を抜かれている。ここで与えられる環境はやはり心地いいものなのか、彼ら彼女らは大人しく商品としてふるまうことを選択しているように見えた。
とてもじゃないが、そのような気概の奴を仲間に加えるわけにはいかない。もっと荒ぶるような、なんとしてでもここを出る理由を見つけられるような奴じゃないと。
「……ここの奴ら、下手するとここを出たくないとか言い出すんじゃないか?」
「まあ、そう言われた例も往々にしてありますね。しばらく売れなければセール品として劣悪な環境で売り出されることになりますから、その時が近づけば皆焦りを見せて必死にアピールを始めるのですが」
そんな思いを秘めつつ、俺は店主に質問を重ねる。こういうトークには慣れているのか、店主の方も特にそれを疎ましいとは思っていなさそうだった。……まあ、だからこそそこから繰り出される発言のおぞましさには背筋が震えるのだが。
「……ホントえげつねえよ、お前」
「商人に対してその言葉は誉め言葉でございますよ、お客様」
ひきつった笑みを浮かべる俺に対して、店主はあくまで楽しそうに笑う。コイツにとっては、きっとすべてが商売のための布石でしかないのだろう。奴隷候補に好待遇を与えるのだって、あくまで彼ら彼女らを『いい商品』として保つためなのだ。情なんてそんな生易しいものじゃ、ない。
現に奴隷たちは、自分たちの意志で『いい商品』となる事を選択している。抵抗するための気力なんて、そこから見出すことはできなかった。
「どうでしょう、どれも上質な奴隷たちです。お気に入りは見つかりましたかな?」
「いいや、まだ俺の需要を満たすような奴は見つかってねえな。……もう少し、奥まで見て回っても?」
「ええ、それはもちろん。奥に行くほどここにいる時間が長く、少し品質としては落ちてしまいますが」
「それでも構わねえよ。……というか、それくらいじゃなきゃいけねえ」
ここですぐ売れてしまいそうな、心が完全に奴隷に染まり切った奴ではだめなのだ。俺の行く道は、生憎とそんなに舗装されたものじゃないのだから。
少しばかり意外そうにしている店主を追い抜き、俺は販売上の奥へと足を踏み入れる。相も変わらずすました顔でたたずんでいる奴隷たちが多いが、ここまでくると少しばかりそうではない者たちも多くなってきているようだった。
例えば、いっそのことここでの生活を楽しんでしまおうとだらけ切った姿勢を見せている者。例えば、この期に及んでもまだ高圧的な態度を崩さず檻につかみかかっている者。例えば――
「……ん?」
いろいろな奴隷を見て回っている俺の背中に、妙な視線が突き刺さるのを感じる。俺の事を値踏みしているような、主としての価値を測っているような、そんな視線。それはちょうど、さっき店主から感じたものと似たような印象だった。
「……こいつは……」
試される側ではなく試す側のその視線は、商品でしかなくなった奴隷にはありえない類のものだ。その視線が初めて希望を見せてくれた気がして、俺は思わず視線がした方を振り返ると――
「……始めまして、お客様」
透き通るような青い眼をした少女と、俺の視線が交錯した。
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