第3話 試験前日譚
家を旅立ってから試験会場であるリベリオンへ着くまでに、二か月弱かかった。
本当なら兄さんの空間魔法でリベリオンまで瞬時に移動できたけど、兄さんが「お前はもっと外の世界を見た方がいい」と言って、町を転々としながら歩くことになった。
あの家では実感できなかったお金の価値や仕事に汗を流している町の人々など、町で生きている普通の人たちがどのように暮らしているのかを知れた。これは僕に新鮮な息吹を吹かせた。
次の町ではどんな人が、何の仕事を、どの家で暮らしているのだろうか? と未知の世界へ期待に胸を膨らませながら旅を進めた。
王都へ着いて一番に目に入ってきたのは、王都を取り囲む家の高さほどある城壁だった。
「高い!高いよーッ! 兄さん、でっかい壁が町を覆ってるよ!!」
僕はその大きな城壁に張り付いて、自分何人分か大雑把に計算した。
スゴイ……僕が5人いてもあそこのてっぺんまで届かないや。一体どうやって作ったんだろう? 地平線の奥までそびえ立つような巨大な人工物に圧倒されていると、兄さんが僕を脇に抱えて中へと連れて行った。
王都の中は僕が想像した以上の場所だった。
人が住んでる建物がさっきの城壁より高く、行きかう人々が身に着けている服や装飾が明らかに普通ではない人々が多い。
あの煌びやかな人たちが貴族というものなのだろう。存在している世界は同じなのに、住んでいる世界は全く違う。子供ながら僕は貴族たちとの差を思い知った。
他にもいくつか見て回りたかったけど、今日は早く宿を明日に備えるという兄さんの意向に従った。
僕たちは早く宿を取るために、王都中を駆け回ったが、大きな宿はすでに志願者などで埋まっており、僕たちは個人がやっている民宿を利用することにした。
暖かく出迎えてくれた宿屋の主人のニナさんは、二十代後半の女性で三歳ほどの小さな男の子と二人だけでこの三部屋しかない家に二人きりで暮らしている。
聞くところによると、旦那さんが一年ほど前に魔物に襲われたことで命を落としたそうだ。それ以来、ニナさんは女手一つでまだ小さなカイルを育て来たらしい。
それでも王都で生活していくのは大変で、いくつもの仕事を掛け持ちしてギリギリの生活を送っていて、民宿も仕事がない時にだけ行っている副業の中の一つだという。
それを聞いて僕は悲しくなってニナさんに同情した。そして、一人で生きていくということはとても難しいことなんだと初めて分かった。
いつもは兄さんに一から十まで生活の面倒を見てもらっているから、今まで生きてきて生活するのに苦労したことがなかった。
毎日の食事と洗濯、日用品の買い出しまで。外界に触れることは感じることのなかった兄さんのありがたさをつくづく実感させた。
「ああ……僕は兄さんに甘えて生きてきたんだ」
僕の甘えっぷりはニナさんと比較して赤面するほど恥ずかしくなり、心配をかけられるほどだったけどうまく切り抜けた。
部屋へと案内されている中で僕は極力兄さんに甘えないことを誓った。
「ちょっと狭いかもだけど、ゆっくりしていってね」
案内された部屋は、一つのベッドが用意された以外には何もない部屋だった。
「ありがとう。夕食は自分で用意した方がいいのか?」
「いいえ、今夜はみんなで食べましょう。カイルも久しぶりのお客さんに喜んでいるから」
「わかった。おいロード、せっかく夕食をいただくんだ、お子さんと遊んで来い」
「うん!」
兄さんに言われた僕は隣のニナさんたちの寝室に向かって、そこでボール遊びをしているカイルに話しかけた。
「なにやってるの? お兄さんと一緒に遊ぼうよ!」
僕が入って来たことに気づいて一瞬戸惑いの顔を見せたカイルだったけど、僕が遊び相手としては最適だと認識した途端に、笑顔でステップしながら僕に近づいてきた。
「えへへへ、名前なんて言うの~?」
膝をついて同じ目線に合わせている僕の髪の毛を鷲掴みにするカイルはとても楽しそうだった。
日中仕事でほとんど家を空けているニナさんと長い時間遊んだことがないカイルは、いつも一人で遊んでいたらしく、木箱いっぱいに入っているおもちゃを見れば容易に想像できる。
「ロードだよ! じゃあカイル、一緒に遊ぼうか」
「うん!うん!」
カイルは髪をいじくるのをやめて、さっきまで遊んでいたボールを持ってきて僕にぶつけて、今度は僕がカイルめがけてボールをぶつける遊びを夕食に呼ばれるまで延々としていた。
一方、リードは夕食の準備をしているニナを手伝おうとキッチンへと来ていた。
「何か手伝うことはあるか? 一人でいるのも暇しているのも時間の無駄だから、何かやってほしいことなら言って欲しいんだが」
「ありがとう。なら、そこにある野菜をきって炒めてもらえるかしら? 少しは魔法を使えるわよね?」
「当然だ」
俺はボウルにある野菜をまな板の上に置いて包丁で次々と切っていった。切った野菜は水魔法で出した水で張った、火魔法で瞬時に水を沸騰させた両手鍋にぶち込んで蓋をした。
続けて、野菜が湯上がる前の時間を利用して、空間魔法で取り出した鶏肉をロード達が一口で食べられるサイズに切りながら横を見ると、手が止まって驚いた表情で俺を見つめるニナがいた。
「どうした? 手が止まっているぞ」
「え、、え……ちょっと、、アナタっていくつの元素魔法を使えるの? それにさっきの空間を開いた魔法は……」
ニナの驚きも無理はない。この世界には魔法の根源である火、水、土、風、空、闇、聖の七大元素と呼ばれる概念があり、この七大元素を組み合わせることによって、無限に近い種類の魔法が存在している。つまり、七大元素をより多く扱える人間ほど魔法の才に溢れているということだ。
「基本的には全部使える。才能の子に産んでくれた母上に感謝しないとな」
「本当!? 全部なんて混血の中でも一部の人しかいないんじゃないの。……混血じゃないの?」
「違う。俺はただ、ロードの成長を見守るものだ。明日の試験だってアイツのためにここまでやって来たんだ」
驚いてはいるが、ロードみたいに声を荒げることはない。彼女みたいな大人と話しているほうが安心する。
ロードは知らない人に会う時、高頻度で俺のことを自慢しながら紹介する。恥ずかしいからやめて欲しいと頼んでも、アイツは聞く耳を持たない。
俺のことでいちいちオーバーリアクションをされるのも気分が悪い。
「アナタが入隊試験を受けるんじゃないの?」
「馬鹿言うなよ。なんで俺がめんどくさい兵士の仕事をしなきゃいけないんだ? アイツが入隊できたら俺は家に帰るよ」
「そうなんだ……」
話している間に野菜が茹で上がり、水を流して野菜を皿に盛りつけた。
「あ、しまった……ロードがいるんだった」
料理なんて旅立ってから久しかったからロードが野菜を食べないことを忘れていた。
このままでは拗ねて明日の試験に影響がでるかもしれない。それを危惧した俺は先ほど切った鶏肉を使ってロードの好きなクリームシチューを夕食のメインとして作ることにした。
「さて牛乳は――」
空間から牛乳を取り出そうと手を伸ばした時、ニナが自身の体を自然に俺の方へと近づけていることに気づいた。
キッチンで刃物を使う者が二人いる中で、体を密着させることは危険を伴う行為だ。
俺はニナに危ないからと注意を促したが、彼女は俺から離れる気はないようだ。それどころか、さらに体を密着させて俺の剛腕に、自身の細い腕を絡めてくる。
そこでようやく俺は気づいた。ニナは俺に気があることを。
自慢ではないが、俺は女性からよくモテる。町を歩いているとよく声をかけらる。その度に断るようにしているが、家までストーキングしてくるようなヤバい奴もいた。
なるべく穏便に断らないと後々面倒なことになる。ロードも俺がそのようなことになったら泣き出してしまうかもしれない。
「俺にはロードの面倒を見ないといけないからお前と添い遂げることは無理だぞ」
「子供の幸福よりも、自分自身の幸福を求めた方がいいんじゃないかしら。それとも、ロードがいると結婚ができないんじゃないの?」
「お前が自身の幸福について語るのか? 今の生活を見るにそんな気配微塵も感じられないが」
カイルのために昼夜問わず働いているニナが、自身の幸福について語るなんて俺はおかしいと思った。
おかしいと思ったのは矛盾だらけの話だけではなく、俺も彼女と同じように子供のために生きているからだ。
自身を否定して、投げ出したくなるような子育てに精神を病んでいる時期が俺にもあった。彼女の顔をよく見てみると、小さくない隈やげっそりとして頬骨が浮かび上がって生活の過酷さを物語っている。
「そうよ……私の幸福なんて羽毛のように軽くなってしまったわ。私は母親としてあの子を養っていかないとダメなの。夫に先立たれた私は、生きていくために仕事の量を倍にしたり、新しい仕事を見つけて頑張ってきたわ」
ニナは目に涙を浮かべ、それを荒んだ手で拭いながら、ポツリポツリと今までの苦労とこれからの人生に悲壮感に苛まれている現況について語り始めた。
「保育所へ預けるための費用、家賃、税金……どれだけ働いてもみすぼらしい生活のままで、なんで私はこんなにも惨めなんだろう? ってずっと思っていたわ」
「旦那が死んだ時の保険はおりなかったのか? 魔物に襲われたのだから国から幾らか出るはずだが」
「もらえなかったのよッ!! 国が指定する危険地帯での死亡事故は保険対象外って言われて、国からも務めていた会社も夫を簡単に見捨てた。私は取引先に向かっている間に襲われたんだって訴えたけど、魔物が手をかけた直接的な証拠は無いって棄却されたの……国や保険会社はただ払いたくなっただけなのくせにッ」
彼女の言葉にはやり場のない怒りを含んでいた。
町の外では多くの魔物が徘徊しているため、仕事で町を転々とする者は魔物に襲われた時の保証として国などの保険に加入する。
耳に入っていた噂で最近は国の好意も虚しく、保険金を払わないケースが増えてきているそうで、ニナの話は噂に真実味を持たせた。
まるで躁鬱のようなニナの人生になんて言葉を掛ければいいのか俺にはわからない。いや、そんな日は永遠に来ないだろう。彼女の人生は今のところ悲劇であるが、それも人間が生きていく中での試練の中の一つだ。
「そう悲観するな、人生は長いんだ。生きていれば好転する未来もあるだろうから、今は辛抱強く耐えるべきだ」
俺は鍋に入ったシチューを焦がさないようにかき混ぜながら、淡々と答えた。
「不安でしょうがないの……アナタは知らないでしょうけど、前を見たくない人生もあるのよ」
絡みついていたニナの細腕が俺から離れていく。
料理に身が入らなくなったニナが次に取った予期しない行動に、俺の体は飛び上がりそうになった。
なんと彼女は俺の後ろに立つと、俺の性器を玉ごと握り上げた。
「おいっ! いきなり何すんだお前、ビックリするだろッ!?」
俺はたまらずニナの腕を手で払いのけ、顔を見ながら行為を咎めたが、彼女はやめるどころか今度は顔を胸に押し当てて抱きついてきた。
「四人で一緒に暮らしましょう! カイルもアナタの弟のロードも喜んで受け入れてくれるわ!!」
まいったな……寝床が欲しかっただけなのに、こんなことになるなんて考えてなかったな。ちゃんとした宿を取るべきだったと後悔しても今更遅いし、どうしたものか……
体に抱きついているニナをどかそうともせずに、この場をどう切り抜けようか頭を捻らせていると、ロードが号泣しているカイルを前におぶりながらやって来た。
「泣いちゃったよ~! 兄さん何とかしてぇ~」
「はあー、次から次へと……今日は厄日だな」
カイルはニナがあやし、四人はリード達が作った夕食を堪能した。
夕食と風呂を終えて四人は就寝準備に取り掛かった。
ベッド、毛布、枕、必需品を揃えたら、最後は寝る相手を決めることだ。家に来た当初は、ロードとリードは一緒に寝ることになっていたが、ニナはリードに、カイルはロードにべったりになっていたので、二人は彼女たちの意思を尊重することにした。
「ねぇねぇロード、明日はなにして遊ぶ~?」
カイルは暗闇の中で話しかけてきた。小さく温かい手で僕の体と自身の体をピッタリとくっつけている。
「明日は朝早くからここを出て行かないといけないから遊べないんだ。ごめんね」
「いやいやいや!! イヤーッ!! 明日も遊ぶのー!!」
カイルは体を起こして僕の顔めがけて乗っかってきた。小さい体でも僕にとっては大きな負荷がかかる。その上、耳元で泣かれればたまらない。
たまらずに顔に張り付いているカイルを手で押しのけて上半身を起こしてから、自分の膝に座らせて兄さんたちに怒られないように必死になってあやした。
「泣かないで、お願いだから泣かないで。迷惑になるから泣き止んでよ」
「だって、だってぇ! みんな僕と遊んでくれないんだもん!」
「それくらいは我慢しなくちゃダメだよ。僕だって小さい頃は兄さんと遊べないことの方が多かったんだから」
月明かりに照らされたカイルの目は点になって僕の方を見つめていた。よっぽど僕の言葉が衝撃だったんだろう、いつの間にか泣き止んでいた。
「今は兄さんと暮らしているけど、実は僕は孤児なんだ。だから、親も兄弟も見たことがないし聞いたこともない。赤ちゃんだった頃に捨てられていた僕を拾ってくれたのが今の兄さんなんだ。
人里離れた廃村で暮らしていたから周りに遊んでくれる友達もいないし、時々遊んでくれる兄さんも仕事や家事で忙しくていつも一人だったんだ」
「寂しい時は何していたの?」
僕の話に興味が出てきたカイルは顔に手をさし伸ばして話の続きを催促してくる。
興味を引きつけてこのまま寝てくれればいいなと期待しながら、僕はカイルの望み通り話の続きを聞かせてあげた。
「夜は兄さんが帰って来るから、遊べなくても一緒に過ごせる時間を大切にしていたなぁ。だから、できるだけ夜を楽しむために日中はずっと寝ていたよ。そうしたら、一人の時間で起きている時間も少なくなるからオススメだよ」
「それでそれで、もっと聞かせて」
カイルの気を引き付けることに成功した僕は、寝落ちするまで一人で楽しく過ごすための方法を全て話した。
気づいたら僕は兄さんに起こされていた。
兄さんは試験当日に寝落ちするなんて何を考えているのだと怒っていたけど、横にいるカイルの安らかな寝顔を見ればどうってことはない。
カイルはそのまま寝かせて置くことにして僕たちは朝食を食べ終えると、すぐに家を出ようと玄関へと向かった。
ニナさんは何やら兄さんと話している。詳しい内容はよく分からないけど、結婚という単語だけはハッキリと聞こえてきた。結婚なんて兄さんには縁がないことだから、ニナさんのことなんだろうけど僕は少し心配になった。
兄さんが誰かと結婚したら僕はどうなるのだろうという不安が脳裏によぎったからだ。兵士になる僕は一人で魔物と戦って、兄さんは知らない人と同棲か……それは嫌だ。蚊帳の外に置かれてしまうかもしれないから。
僕は自然と兄さんの右手を握って、「兄さんも僕と一緒に兵士になろう! これからも僕の傍にいて!」と言葉が出た。
兄さんとニナさんは戸惑っているようだったが、すぐに返事が来た。
「わかった。そう言うことだ、すまないな。うちの子は俺無しでは生きていけないんだ」
ニナさんは悲しみの顔を浮かべているが、兄さんが大金の入った袋を渡すと目を見開いて驚いていた。
「いいの!? こんなに貰って?」
「ああ、どうせ兵士になるのだから死んだら意味がない。このお金でどこか田舎の町へと引っ越したらどうだ? ここにいても大勢の人で息苦しくなるだけだからな」
金色に輝く大勢の金貨の総額は五百万ルーンになるだろう、都会ならいざ知らず、田舎であれば豪遊しなければ一生仕事をしなくてもいいほどの額だ。
疲れ切ったニナさんの顔にも笑顔が戻っており、兄さんと別れの挨拶を済ませると今度は僕にカイルと遊んでくれたお礼を言ってきた。
「あの子からもお礼を言ってもらわないとね。起こしてくるわ」
「いいよ起こさなくて。もうカイルは寂しい思いをしても大丈夫だから。寂しさに耐えられる方法を手に入れたから」
「そう……ありがとうね二人とも。兵士になってまたどこかで会えることできることを祈っているわ」
「うん! じゃあバイバイ!!」
そうして僕たちは名残惜しい別れをして、受付会場となる王立公園広場へと向かった。
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