第55話 不条理な世界で―お祖母様の夢―

 

「私の娘を返して!」



 幼い我が子の亡骸なきがらを掻きいだいて泣き喚く、その女性の態度に私は思わず眉間に皺を寄せてしまいました。



「どうしてよぉ!」



 ですが、その母たる女性は私の剣呑な雰囲気にも気づかず、或いは気づいても気にも留めず尚も叫ぶのです。


 もともと、この女性の娘は街の薬師にも医師にも見放された患者でした。他に頼るところもなく彼女はお祖母様を頼って森にやってきました。



 ですが、その時には既に手の施しようはありませんでした――



「あなたになんか頼むんじゃなかった!」



 ――それでもお祖母様に治療してくれと懇願してきたのはあなたじゃないですか!



 その娘はもう助からないのだと、お祖母様はきちんと説明しました。


 ですが、誰も手を差し伸べてくれないのだとその母親は嘆き、それに心を痛めたお祖母様は願いを聞き入れてこの子を受け入れたのです。



 それなのに……



「なんで私の娘は死んだの?」

「だから最初から手遅れ……」



 ごねる女性に腹を立て、私は食ってかかろうとしました。



「やめなさいトーナ!」



 どうして止めるのですかお祖母様?


 最初に助からないと説明し、それをこの方は承知した筈です。

 それなのに、こんな理不尽な言動を許容されるのですか?



「この人殺しぃ!……返して……私の娘を返してよぉ」



 わあっと泣き出し、その後は自分の娘の名を叫びながら支離滅裂な事を喚き散らす理性の欠片かけらもない姿に私は辟易へきえきしました。


 貴族やよほど裕福な家庭でもない限り、治癒を施しても見込みのない患者を看取る治癒師はいません。


 彼女の子供は確かに可哀想ではあります。


 しかし、他に診るべき患者がいる中で、診療を断った治癒師達が非情なのではありません。


 むしろ、彼女の様に死が不可避の患者を受け入れる方が特殊で、優しいお祖母様でなければ看取りを承諾したりしなかったでしょう。


 そんなお祖母様の思いやりを踏みにじるなんて!



「トーナ……真実を伝える事が、いつも正しいとは限らないのよ」

「だけど!」



 感謝こそされ非難される謂れはないと、不満に思っていたのが顔に出ていたのでしょう。お祖母様は寂しげな眼差しを私に向けて諭してきました。



「だけど……私は…間違ってない……」



 そのお祖母様の青い瞳に私がいけなかったのかとひるんで、私は言い返そうとした言葉を途中で飲み込みました。



「あなたは正しいわ。でもね、正しい事は他人に優しいわけではないの。正しい事を貫いても患者やその家族を不幸にするのでは意味がないのよ」



 私の頭をひと撫ですると、お祖母様は娘の亡骸なきがらを抱き締めうずくまって嗚咽おえつを漏らす母親の元へと歩み寄りました。


 それから、お祖母様は彼女に寄り添い、慰め始めたのです。


 彼女は泣きながらお祖母様を詰り……それでもお祖母様は彼女の理不尽な態度にも優しく接し……私はその姿をただ黙ってじっと見守るだけでした。


 取り乱して周囲に憎悪を向けていた母親は、お祖母様の優しさにすがって泣くようになり、次第に落ち着きを取り戻しました。


 背に腕を回し慰撫するお祖母様に、彼女はようやく己の過ちに思い至ったのか、しきりに謝罪の言葉を口にして、やがて頭を何度も下げながら森の薬方店から去っていかれました。


 その去り際に、母親はまだ涙を流していましたが、その雫には当初の憎しみの暗い色は無く、ただ娘の死をいたむ純粋な輝きに見えたのは私の思い過ごしだったのでしょうか?



「どうやら娘の死と向かいあえたみたいね」

「どうしてお祖母様が責められなければいけなかったの?」



 その母娘を玄関先で見送りながらポツリと不平を漏らすと、隣に立つお祖母様はまだ微かに見える母娘の後ろ姿を見送りながら私を教え諭したのです――



「医療とは理不尽なものなのよ」



 ――と……

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