第54話 真実と向き合う勇気―常闇の魔女―


「もうよい!」



 私達の言い争いを止めたのは、バロッソ伯爵の怒りを含んだ大声でした。

 それは、彼のどうにも出来ない忿懣ふんまんの発露だったのでしょう。



「もうよい……やめよ……」



 絞り出すように紡がれる言葉に含まれる伯爵の怒りおもいが向かう先はいったい何処なのでしょうか……



「どうしてだ……どうしてエリーナは死んだのだ……」



 そして、その問いは誰に対してのものだったのでしょうか……


 沈んだ重い声、その苦悶に歪んだ表情……それは、伯爵の怒り、絶望、悲しみ、何を恨めば良いか分からぬ遣り場のない苦しみが、心の痛みが形を変えてその辿々しい言葉となったのだと感じられました。



「……適切な処置を怠った為です」



 頭を抱えて髪を掻き毟る伯爵の求めている答えはそれではない……そう分かっていながら、それでも私は真実しか口に出来きません。



「今回の場合は薬のみで治療できるものではなかったのです」



 ――真実を伝える事が、いつも正しいとは限らないのよ。


 それは、森の家での生活が始まったばかりの頃、お祖母様が私に言い聞かせた薫陶。



 ですが、それでも私は……



「解毒薬があるなしを別にしても、毒により衰弱した患者の看護、創傷の処置……薬師くすしで対応できる範疇はんちゅうにはなかったのです」

「医師に任せていればエリーナは助けられたのか?」



 ――正しい事は他人に優しいわけではないわ。


 ああ、お祖母様……私は……私はそれでも……



「少なくとも薬師に任せるよりは可能性があったかと……」

「だが、お前も薬師ではないか」



 そう指摘する伯爵の目に暗い光が灯りました。



「何故だ……それなら何故メリルは助かったのだ……」



 それは闇よりも深く暗い想念の光……



「薬師のお前に治療されたメリルが無事なのはおかしいではないか……どうしてだ……どうしてメリルは助かりエリーナは死んだのだ!」

「確かに私は薬師です。ですが、本職には及びませんが多少なりとも医師の真似事が出来るからです」



 ――彼女が本当に責めていたのは私ではないの。


 お祖母様……それでは伯爵の瞳に宿る憎しみの光も私に向けられているものではないのですか?



「なら貴様はメリルの命を救って何故エリーナを見捨てた!」

「最初に全て申し上げたではありませんか。それを拒んだのは伯爵です」



 ――相手に理解だけを求めてはいけないわ。真実と向き合うのはとても勇気がいるものなのよ。


 ああ、お祖母様……それでも私は……



「医師を退けたのも、私の進言に聞く耳を持たなかったのも全て伯爵ご自身ではありませんか」

「私が……私が悪いと言うのか……」



 伯爵の目に宿っていた闇は憎悪よりも絶望、怒りよりも失意へと形を変えていきました。



「ガラックやオーロソ司祭ではなく医師に頼っていればエリーナを助けられたのか?……お前の話をきちんと聞いていれば良かったのか?」



 ――病も死も人に必ず訪れる理不尽……だから、治癒師の使命は患者を安んずる事なのよ。


 お祖母様!?

 私は大変な思い違いを……



「伯爵……私は……」

「騙されてはいけませんぞ!」

「そうです。この娘の言葉はまやかしです。こいつのは薬師の治療なんかではない!」



 力を落とした伯爵の姿に、私は掛けるべき言葉を間違えたのだと気が付きました。ですが、自分達の立場が危ういと感じたオーロソ司祭とガラックさんが讒言ざんげんを捲し立て、もはや私の意思を伝えられる状況にはありませんでした。



「そうだ分かったぞ。今回のヴェロムの件は貴様の仕業だな!」

「なるほど。ヴェロムを操りエリーナ様を襲わせたのだな。魔獣を使役する神をも畏れぬ魔女の所業らしい」

「なっ!?」



 二人の突然の言い掛かりに私は絶句してしまいました。



「どういう事だ?」



 ですが、伯爵はその讒言に反応し、意気消沈して消えかけていた瞳に宿る憎悪の炎が再燃してしまいました。



「きっとヴェロムの毒に見せかけてエリーナ様とメリルとかいう娘に呪いをかけたのです」

「最初はエリーナ様に近づき、その呪いを解いて毒の治療をしたと言い張る所存だったのでしょう」

「酷い!」



 二人のあまりな発言に、私は堪らず非難の声を上げました。



「そんな何の根拠もない暴言を――きゃっ!」

「黙れ!」



 ですが、オーロソ司祭に足蹴にされ、その苦痛に反抗を遮られたのです。



「そして、貴様はエリーナ様の治療から外された腹いせにエリーナ様を呪い殺し別の娘の呪法を解いて自分の手柄にしようとしたのだろう!」

「や、やめて――いたっ!」



 オーロソ司祭は止めるよう懇願する私を狂ったように蹴り続けました。



「きっとそうに違いない!」

「でなければ我々の薬が効かず、あんな怪しげな方法でヴェロムの毒が治る筈もない!」



 何の証拠も正当性もない、本当にただ他者を……私を貶める為だけの妄言。

 どうして彼らはそんなにも私を憎むのでしょう?



「そんな無茶苦茶な理屈が……私の治療に関しては医師に確認いただければ正しいと分かります!」




 しかし、私の願いは伯爵に届きませんでした――



「この魔女を投獄しろ!」

「伯爵!」



 伯爵の目は憎悪と狂気に血走り、もう常軌を逸しているようでした。



 その時に気が付いたのです……



 伯爵は認めたくないのだと……


「連れて行け!」


 ……自分の判断が間違いで、それが愛する娘を死に追い遣ったなどと。




 領兵達に荒々しく連れ出されて行く中で、再びお祖母様の声が聞こえてきました。



 ――いつかトーナにも分かる日がくるわ……診るべきは病ではなく人なのだという本当の意味が、薬師のまっとうすべき本分が……

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