第53話 反駁―常闇の魔女―

 

「それは異な事を仰います」



 ですが、私は怯える心に鞭打って毅然と立ち向かいました。


 それは薬師くすしの本分をまっとうしてきた自負と、治癒師としての矜持を傷つけられまいとする意地が、私を奮い立たせたのです。



「聖典によれば、聖水には神の力が宿り、邪をはらって清浄をもたらすものとあります――」



 言い返してはいけない……


 反論するのは、相手の神経を逆撫でしてしまいます。

 だから、本当は駄目なのだと分かってはいるのです。


 ですが、勢いのついた馬車が急に止まれないように、口火を切ってしまった私は感情のうねりに飲み込まれ、ひとたび堰を切って流れ出た川の水の如く、相手を非難する言葉が激しい情動と共に吐き出されてしまいました。



「――エリーナ様に呪いが掛けられようとも、聖水ならはらえたのではありませんか?」

「ぐぬっ!」



 オーロソ司祭は咄嗟に反論が思いつかなかったようで言葉を詰まらせました。


 当然です。

 全て正論なのですから……ですが、なんとも可愛げがないですね…私は。



「それに例え私が魔女であったとしても、そんなけがれた力では神の力には及ばないのではありませんか。それともオーロソ様の聖水には神の力が宿っていないと?」

「黙れ黙れ黙れ!」



 もう理論的に言い返せなくなったオーロソ司祭は握った拳を振り回して喚き散らしました。


 それは、ただ激情の発露としての行為であり、オーロソ司祭には理性の欠片もありません。



「神を試し、神を疑う背信者め!」

「私が試しているのも疑っているのもオーロソ司祭です。それともあなたは自身を神だとでも言うのですか?」



 苦しくなれば軽々しく神の威光を笠に着るオーロソ司祭の方こそ神を試し神を疑っているのではありませんか。



「か、神を愚弄する不信心者め!」

「司祭こそ簡単に神の威光を顕示するなんて、あなたは神を畏れないのですか?」



 前任のモスカル様なら軽々に神の威光を借りたりせず、己の理性と信仰心を以て自らの言葉を紡ぎ出したでしょうに。


 とても同じ聖職者とは思えません。



「それから胆薬はヴェロムの毒の特効薬にはならないと申し上げたはず」



 オーロソ司祭は話にならないと、次に矛先をガラックさんに向けました。



「胆薬はあくまで肝胆の働きをたすけるものです」

「毒は胆嚢が解毒薬になると……」



 ガラックさんは製薬の技術は先進的で一流なのですが、薬学の知識はいったい何十年前のものなのでしょう?



「胆薬の作用は利胆でしかないのです。『動物由来の毒は、その毒を持っている生物の胆嚢を薬とする』――そんなものはただの言い伝えです。迷信でしかありません」

「そ、そんな筈はない!」



 私の口撃は止まりません。



「ヴェロムの毒に解毒薬がないなど常識です。だから、実際に他の薬師くすしは誰も治療に名乗りをあげていなかったでしょう?」

「こ、この……女のくせに生意気な奴め!」



 普通のか弱い女性なら恐れ慄き、たださめざめと泣いていたでしょうか?

 私は縛られ身動きの取れない状態でしたが、それでも毅然と振舞いました。



「本来ならヴェロムの毒は医師に任せるべき症例です。当然、噛み傷の治療もです」



 本当に私は可愛くありません。

 こんな姿を見たらハル様も私に愛想を尽かすでしょうか……



「それなのにガラックさんはどうしてテナーさん達を追い払ったのですか?」

「い、医師など……あんな薬の調合もまともに出来ない半端な治癒師など……」



 ガラックさん……あなたはこの期に及んでまだ……



「その薬が全く役に立たなかったでしょう?」

「ち、違う……私の薬は……絶対に間違っていない……」

「医療は薬が全てではないのです……今回の件でそれが良くお分かりになられた筈です」

「……」



 ガラックさんは押し黙ってしまいました。


 おそらく、医師に対して対抗意識を持ち過ぎてしまい、この方はどうしても自分の過失を認められないのでしょう。



「こやつの戯言たわごとに惑わされるな!」



 横からオーロソ司祭が委縮するガラックさんを叱咤し、私を憤怒の形相で睨み付けてきました。



「魔女が……聖水を虚仮こけにしおって!」

「あなたもです!」



 もはや道理の通らぬオーロソ司祭を一喝して彼を黙らせました。



「あなたは聖職者ではありませんか。それなのに治癒師の領域にしゃしゃり出てくるなど……モスカル様でしたら絶対にこんな真似はされませんでした」

「くっ、この口ばかり達者な魔女め!」



 私は何一つ間違った事は言っていません。

 エリーナ様を死に追いやったのは、彼らの独善的な行動とそれに惑わされた伯爵の判断。



 そう、私は何一つ間違ってなんかいない……



 ――真実を伝える事が、いつも正しいとは限らないのよ。


 突然その時、お祖母様の声が頭の中で響きました。


 それは、大きな声ではなく静かなものでした。

 ですが、それでもはっきりと聞こえたのです。


 お祖母様の温かく穏やかな、だけど憂いと悲しみを含んだ声が……

 そして、お祖母様の姿が脳裏に浮かび上がってきたのです。


 それはとても懐かしい姿。

 ですが、その青い瞳が寂しげです。


 お祖母様……どうしてそんな悲しい目をするのですか?



「最初の段階でエリーナ様の治療を医師に任せていれば……」



 それでも私は尚も彼らに非難の言葉を浴びせ続けようとしました。



 その時――



「もうよい!」

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