第45話 薬師として―常闇の魔女―


 私がメリルさんの部屋へ向かうと、慌てて追いかけてくるソアラさんの気配を感じました。


 それでも私は構わずにすたすたと歩き目的の部屋まで来ると、扉の前には一人の美丈夫が待機していました。



「トーナ殿!」



 その美丈夫――ハル様は私の姿を見てぱっと笑顔になられました。


 はうっ!……この方の笑顔は凄まじい破壊力があります。



「ハル様?」



 それにしても、もう帰られたと思っていたのですが、ずっとこちらにいらっしゃったのでしょうか?



「まだ数刻も経っていませんが休憩はもう宜しいのですか?」

「え、ええ、もう大丈夫です」



 ハル様の指摘に窓へ視線を向ければ、差し込む陽光にまだ昼前くらいなのだと気がつきました。寝入ったのがまだ薄明かりの朝日の上る直前でした。


 どうやら思った程には時間が経過していなかったようです。

 それでも構わずにソアラさんは私を叩き起こしたのですね。



「メリルさんの容態はいかがですか?」

「今は彼女の同僚が見ています。特に慌ただしい様子もありませんから大丈夫だと思いますよ」



 部屋に入るとメリルさんは同僚とおぼしき女性の助けを借りて寝台で上半身を起こし、入室してきた私に頭を下げました。



 同僚の女性は私を見るや顔をしかめて部屋を出ていきましたが、メリルさんは屈託のない笑顔で迎え入れてくださいました。



「あなたがトーナさんですか?」

「はい、薬師くすしのトーナと申します」



 私はメリルさんに近寄ると、質問をしたり脈拍や体温を測ったりと手早く彼女の状態を確認しました。



「もう大丈夫みたいですね」

「ありがとうございます」

「傷の状態を診てみましょう」



 メリルさんの腕に巻かれている包帯を解き油紙を外すと、現れた皮膚には多少の傷と赤みを帯びていましたが大きな傷痕は殆ど消えていました。



「す、凄い……あんなに酷かったヴェロムの咬み傷がこんなに綺麗に!」



 娘の腕に醜い傷痕が残ると思っていたのでしょう。

 ソアラさんは目を丸くしています。



「傷もほぼ完治していますね」

「ありがとうございました」



 傷の名残りを見ていたメリルさんは、私に頭を下げました。



「正直に申しまして、もう助からないと思っていました」



 まだ残存する小さな傷口や発赤ほっせきに私が軟膏を塗布していると、メリルさんがその作業を見詰めながら心情を吐露してきました。



「だけど苦しみ意識が朦朧としている中で、はっきりと聞こえたのです」



 治療の手を止めてメリルさんに顔を向けると、彼女は嬉しそうな笑顔でした。



「それは確かに、そして優しく『頑張って』『大丈夫よ』と……何度も……ずっと……励ましてくれる声が……」



 それは彼女が苦しんでいる時に掛けていた私の声。



「こうして私が笑えるのもトーナさんのお陰です。本当にありがとうございます」

「いいえ、医療は本人の生きたい意志が重要なのです。メリルさんが生きたいと思う意志が強かったのです」



 メリルさんの容態はもう安定していますし、これ以上は私が何かをする必要もないでしょう。



「もう大丈夫でしょうが、完治するまではゆっくり養生されてください」

「はい……あの……」



 周囲を見て言い淀むメリルさんの様子を察して顔を寄せると、彼女はそっと私に耳打ちしてきました。



「今回の件で、伯爵様や私の母の事で嫌な思いをされたのではありませんか?」

「それは……」



 その問い掛けにどう答えたものかと迷い言葉を濁すと、そんな私の様子に全てを悟ったのでしょう、メリルさんは苦笑いしました。



「ご迷惑をお掛けしたようで申し訳ありません……そして、そんな中で私を救っていただき本当にありがとうございました」



 メリルさんは私の境遇を正しく理解し、私の身に降り掛かったであろう悪意を正確に予測されていました。



「いえ、今回の件は私も勉強になりました」



 思い返せば、私も至らないところが多々ありました。



「私はこれからもっと学ばねばいけません……それは薬学だけではなく、患者との……人との接し方、関わり方もです」

「この街では難しいかもしれません……」



 私の決意を案じる言葉に、でも、とメリルさんは続けました。



「きっと、その風潮は変えなければいけないと思うのです」



 この方は黒髪や赤い瞳に対して他の人程には偏見を持たれてはいないようです。



「この街には魔女に対する強い偏見がまだ色濃く残っています……ですが、必ずしも皆が皆同じではありません」



 そっと私の手を取るメリルさんはとても温かい。



「と言っても、私の立場ではたいしてお力にはなれないので大変心苦しいのですが……」

「いえ、私も……きっと救われたのだと思います」



 猟師のデニクさんもそうでしたが、治療した患者が救えて本当に良かったと思える方だと、こんなにも医療に対してやりがいと誇りを抱けるものなのですね。



「私は薬師くすしとしての本分を見失いかけていました」




 最近の私は義務として患者を治療している節があり、治癒師として生きる道に迷いが出始めていました。




 ですが、こんな私でも薬師としてまだやっていけそうです……

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