第2話 森の中の魔女の家―常闇の魔女―


「んっ、ん~!」



 調剤台にうつ伏せていた上半身を起こし、私は大きく伸びをしました。その拍子に、凝り固まった身体がぽきぽきと音を立てる。


「ふぁ~、いけない……途中で眠ってしまったのね」


 どうやら片付けの前に一休みと思っていたら、うとうとして寝入ってしまったみたいです。


「あら?」


 ふと、目元に感じる違和感に拭ってみれば、それは夢と同じ雫の残滓ざんし


 調剤室でうたた寝してしまったせいなのでしょうか、夢に見たのは懐かしいお祖母様との想い出。


 大好きだったお祖母様も、五年前に他界してもういない。

 十五の時に、私は天涯孤独の身となってしまったのです。


 ですから、街の外にある魔獣の棲む、この森の中の家で暮らすのは私ただ一人……


「ふぅ」


 いけない……


 調剤台が乳鉢や乳棒などの調剤器具を放置したままでした。

 まったく、この状態は余り誉められたものではないですね。


「片付けなきゃ――あっ!?」


 気怠けだるげな気持ちを引きずりながら、調剤台に散逸する調剤器具を片付けようとした私の目に止まったのは小さく愛らしい青い花。


 ――ラシア。


 ラシアの軟膏を作ろうと採取したのだけれど、その中で気に入ったこの花を材料とはせずに一輪挿しに飾っておいたのでした。


「お祖母様……」


 この優しい青を見ると、何となくお祖母様の穏やかな青い眼差しを連想させます。だから、先程の夢とも相俟あいまってとても物悲しい気分になってしまうのです。


「一人でいるのにはもう慣れたと思ったのに……」


 この森の家でお祖母様と過ごした記憶が蘇る。胸の中に懐かしさときゅっと締め付けられるようなやるせなさに気分が沈んでしまいそうになってきます。


「落ち込んでいてもしょうがないわよね」


 私はむんっと気合を込めてから片付けを始めました。


 薬品や生薬などを所定の薬品棚へ戻す。続いて薬匙、乳鉢、乳棒、ビーカーと次々に水洗いして水切り用の籠へ逆さに置く。後は天秤の皿を外して分銅を木箱に直す。


 これらの調剤器具は一般的なものではありません。ですから、希少で高価ですから手に入れるのがとても難しいのです。


 それに、私は街の人から忌み嫌われておりますから、取り引きをしてくれる店もあまりありません。それも専門器具の入手を困難にしている理由なのです。


 まあ、それでなくとも調剤器具はお祖母様の遺品でもありますから、とても大事なものなのです。


 最後に調剤台を拭き上げて終了です。


「うん、完璧ね」


 綺麗に片付いた調剤台を見て、私は腰に手を当てて満足気に頷く。


 と、その時――


 トントントン!


 ――突然のドアノッカーを打ち鳴らす音に、ビクンっと私の心臓が跳ねました。


「えっ、来客?」


 ここは魔獣も棲む森の中にある薬方やくほう店です。


 それに私はから街の人達に忌み嫌われているから、私の薬を求める特定の患者以外にここを訪れる者は滅多にいないのだけれど……


「はーい、ただいま!」


 ノックに返事をすると、私は慌てて鏡を見て身嗜みだしなみを確認する。


 寝入ってそのままだったから、寝癖やよだれの跡でもあったら目も当てられません。


 鏡に映った自分の黒髪に癖はついてはなかったけれど、赤い目から流れた涙の形跡が僅かに見られたので、湿らせた布を当てて涙の跡を消しました。


 ――闇夜の如く黒い髪に血を滲ませた様な赤い瞳。


 鏡に映る自分の容姿に少し気持ちが沈む。


 鏡に映る顔立ちは、それなりに整っていると思います。


 ですが、この黒と赤の外見こそが街の人々から嫌悪の対象となっている原因なのです。


 トントントン!


 そんな沈んだ空気をドアノッカーの音が打ち破り、止まりかけた時が動き出す。


 いけない、いけない……


「お待たせしました」



 私は急ぎ玄関に駆け寄り扉を開けると――


「あなたが噂の魔女殿か?」


 ――白い鎧を纏い、腰に帯剣した精悍で整った顔の若い男性が一人。



 白銀しろの騎士様がそこに立っていたのです……

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