第11話 大願成就
次の朝。昨晩のことは夢だったかのように、普通に朝になった。
俺は母親が用意してくれたであろうテーブルに置かれたいつもの朝食。トーストと目玉焼きをもそもそと食べると、学校へ行く。
本当は体が重くて休みたかったが、学校へ行かないと親が悲しむだろう。
(ああ、堕天使がうらやましい)
これは彼がニートであるという理由からである。けっして、彼がゲームに参加した報酬で今日中に童貞を捨てられるということに対してではない。
(俺にとっては、童貞か非童貞などどうでもよいのである)
学校へ行くと昨日の事故の件が進展していた。
事故にあった加藤さんの意識が戻ったそうだ。まだ、入院はしないといけないらしいが、命に関わることはないという。
担任の教師がそう嬉しそうに朝のホームルームで話してくれた。
担任の名前は中村玉緒。今年29歳の三十路がけっぷちの女性教師だ。生徒からは『たまちゃん先生』と呼ばれている。ポニーテールに束ねた髪といつも来ている青いジャージ。
体育教師だから仕方ないにしろ、もうちょっと女ぽくしないと嫁にいけないとこっちが心配する感じの教師だ。まあ、気さくで生徒思いであることは俺も認めている。
「よかった、まりちゃん」
「本当に良かったよね」
中村先生の話を聞いて、クラスの中に生じた重苦しい空気は排除された感じになった。女子が口々に隣近所の生徒と喜び合っている。
(ああ、トラックに轢かれたのが俺だったら、みんなこんなに喜んでくれるだろうか……)
ふと虚しくなる俺。加藤さんは人望があったのであろう。俺にはきっと、こんな風に言ってくれる人間はいない。
俺も加藤さんの顔ははっきりと思い出せなかったが、クラスメイトが死ぬのは寝覚めが悪いから、良かったということにしておこうと思った。
後ろの席の小林の奴も平然としているが、心の中は安堵で満ち溢れていることを俺は知っている。
「先生、加藤さんのお見舞い、クラス代表で行ってもいいですか?」
麻生さんがそう言って立ち上がった。さすがクラス委員。
「昨日まで面会謝絶だったけれど、今日の夕方からは面会できると保護者の方が言っていました。先生も今日病院へ行く予定だから、一緒に連れて行ってあげてもいいですよ」
「じゃあ、私も行く」
「麻生さんが行くなら、私も……」
さすが女子。みんなが行くならとわらわらと行きたい奴が集う。めんどくさいことに首を突っ込む連中だ。
「せっかくだけど、そんなに大勢で押しかけてはいけません。それに先生の車は小さいから無理です。今日のところは、クラス代表だけで行きましょう。麻生さんはクラス委員だから、行ってくれるわね」
「はい、先生」
麻生さんの笑顔がまぶしい。加藤さんとは友達だったから、きっと会いたいに違いない。
事故から奇跡的に生還だ。加藤さんも目覚めて最初に友達を見るなら、美しい麻生さんがいいに決まっている。
「男子も代表だとクラス委員の木村くんだけど……」
そうクラスの秀才君に中村先生がどんぐりのような眼を向ける。だが、クラスで2位の秀才君は目を逸らす。どうやら、行きたくないようだ。
「す、すみません。ちょっと今日は……」
俺は知っている。この秀才君。今日は塾の日だ。塾をいくつも掛け持ちしているこの秀才君。
ガリ勉の時間は俺の比ではないが、彼もこんなに頑張っても麻生さんに勝てず、いつも2位の座に甘んじている残念な奴だ。もちろん、俺よりもずっと成績はいいが。
「困りましたね。男子で行ける人いませんか?」
中村先生、男女一人ずつにこだわっている。別にお見舞いに行くのは女子の加藤さんだから、女子2人でもいいと思うのだが、こういう場合は男女で1人ずつという決まりでもあるのであろうか。
「じゃあ、ボクちゃんが行ってもいいでござるよ」
変な言葉をしゃべって立ち上がったのは、鬼頭という男子生徒。俺が名前を知っているということは、コイツは変わった奴なのだ。
例のごとく、俺は鬼頭の下の名前を知らない。変わった奴というのは、コイツはコミュニケーションが変で人との距離関係がおかしいのだ。いわゆる空気が読めない奴だ。
(俺とは対局の位置にいる男……)
その鬼頭がなぜか手を上げてお見舞いに行くことを意思表示した。悪い奴ではないと思うが、人をイライラさせることに関しては天才的な奴である。
その証拠にクラスのみんなは冷ややかな空気を作っている。この鬼頭という男子生徒は、わがままで弱いくせに乱暴もの。女子からは嫌われている。
こいつが手を挙げたのは明らかにお見舞いというよりも、麻生さんと一緒に行くことが目的だとみんなわかっているのだ。
教室中がシーンとなった。こいつを行かせたくないという共通の気持ちがそうさせているのだ。
「ボクちゃん、今日は超忙しいけど、みんながどうしてもって言うのなら行ってやってもいいけど。ママには連絡しておくから」
鬼頭はそう続ける。恩着せがましい言葉だが本心は違う。麻生さんと行きたくて仕方がないのだ。
その証拠に鬼頭はペロペロと舌で唇を舐めている。無意識のうちにやっているのだろうが、男が見てもキモイと感じる。ちなみに鬼頭がママと呼ぶ母親は、過干渉してくるモンペである。クラスの誰もがその破壊力を知っている。
但し、この鬼頭という男子生徒を阻害していじめるという行為は誰ひとりしない。鬼頭は普通ならいじめられっ子キャラであるが、クラスのみんなはそんな彼を上手に扱っている。麻生さんもこの空気を神対応で変えた。
「先生、一緒に行ってくれる人、私が推薦していいでしょうか?」
そう言って麻生さんは手を挙げた。実のところ、鬼頭を病院へ連れていくことをある理由から危惧していた担任の先生はこの機会を逃さなかった。
「そうね。鬼頭君に無理に行ってもらうのは申し訳ないわ。一緒に行く人は、麻生さんが決めてもいいわね」
麻生さんは立ち上がると、自席から歩き出した。麻生さんの席は俺の斜め右に位置する。前から3番目の席である。麻生さんはなぜか、俺の席にやってきた。
「渡辺くん、今日は暇かしら?」
「ほえ?」
急に俺に麻生さんが聞くものだから、驚いて変な返事をしてしまった。(ほえ?)ってなんだよ。俺が言っても可愛くもなんともない。
「お、俺は……その……」
みんなが俺と麻生さんに注目する。そりゃそうだ。麻生さんと俺という組み合わせは誰も想像できないだろう。なんで、麻生さんが俺に声をかけて来るのか理解ができない。まあ、話しかけられて悪い気はしないが。
「だ、だって、渡辺くん、真理子と同じ中学校でしょ?」
(そうだっけ?)
俺は心の中で首をかしげた。大きな中学校なので学年にそんな名前の女子がいたかもしれないが、覚えていない。
それに先ほどまでにこのクラスには俺の中学時代の同級生はいないと思い込んでいた。それよりも、麻生さんが俺の出身中学校を知っている事の方が不思議だ。
俺の反応がないので麻生さんも戸惑っている。みんなの視線をようやく感じて、俺に助けを求めるかのように潤んだ瞳を向けた。
俺は決心して口を開いた。ここで何とかしないと男じゃない。
「あ、そうだったかもしれません……。じゃあ、行っても……」
麻生さんに助け舟を出そうと俺は勇気を振り絞った。敬語がちょっと痛いが仕方がない。
俺の言葉が広がり、空気が少しずつ色づいていく。だが、その変化は急に止まる。
「あの……」
俺の真後ろの男が口を開いた。昨日、俺に暴力を振るってきた小林の野郎だ。
「どうしたの? 小林君」
麻生さんの潤んだ視線が小林に注がれる。
(畜生、この瞳は俺のものなのに!)
俺はちょっと残念に思ったが、色づいた空気がまた透明に戻るだけだ。冷静に考えれば、加藤さんと同じ中学校出身というだけで、麻生さんが俺を誘うことがおかしい。(なんで俺?)(これって、バツゲームなのか?)と思う。
「お、俺……僕が行ってもいい? 麻生さん」
小林の言葉は予想通りであった。俺は心の中で納得した。加藤さんとは接点のない俺が行くよりも、彼女を好きな小林の方が無事にこの世に生還した加藤さんにとってもいいに違いない。
「そ、そうね。小林君が行きたいのなら……」
麻生さんの表情が少し曇ったような気がしたが、思い過しであろう。
クラスの人気者で正真正銘の美少女の麻生さんが、俺を誘いたかったなんて言うのは妄想以外なにものでもないだろう。
後ろの席で鬼頭の奴が小林と俺を呪うような目で睨みつけていた。そしてガリガリとノートに何か書いている。
いつものことなので無視しているクラスメイトであるが、俺は何だか気になった。この粘着質の男が何かをやらかすのではないかという不安だ。
その日の授業も普通に過ぎた。放課後に麻生さんと小林の野郎が中村先生の車に乗って、市の総合病院へ行くのを見た。赤い小さな車の後部座席に麻生さんと一緒に乗っている小林。なんだか、嬉しそうだ。
(クソ……。本当なら俺はあの隣に座っていたのに……)
もし、麻生の隣に座ったら、色々と気を遣わないといけないが、それでも空気たる俺でも気分はハイになるに違いない。
「ああ、麻生さんと話ができる一生に一度のチャンスだったかもしれない……」
残念だが、そこはエアー男子。いつもの透明な存在に戻ろう。俺は何事もなかったかのように急いで家に帰る。
麻生さんと幻のお見舞いデートの妄想よりも、『炭酸』のおっさんと『堕天使』の願いがどうなったか知りたい衝動に駆られたからだ。
*
「おう、聞いてくれよ!」
俺がパソコンを起動すると、SNSコネクターに接続する。俺が入って来るのを待ってましたとばかりに『炭酸』のおっさんが会話をしてきた。
「どうしたんですか?」
「今日から俺のことを億万長者と呼んでくれ」
(マジかよ……)
炭酸のおっさんがばあると約束したのは『金』だった。世界の理を乱すような願いはダメだと、ばあるは答えたがある程度のお金は可能らしい。それにしても億万長者とは。
「まあ、これを見てくれたまえ」
心なしか、炭酸のおっさんの口調が若干、上から目線ぽい。画面には数字が羅列した紙の写真が映し出された。
(これ、ロト6じゃないか……)
ロト6は選択数字を選ぶ宝くじだ。1~43の数字を6個選んで的中すると最高2億円がもらえる。
高校生の俺は買ったことないし、そんなもの当たるわけがないと思うから、一生買わないつもりだ。
炭酸のおっさん買ったくじの数字
03 04 16 17 21 33
そして、本日の当選番号を示した携帯の画面の写真
03 04 16 17 21 33
「的中じゃないですか!」
「ふふん。しかも当たったのは俺一人。賞金2億円ゲッツ!」
「すごいですね」
「これも実力。昨日、2人も冒険者をぶっ殺して運が向いてきた。しかし、願いが叶うのなら、昨日稼いだKP、金に変えなきゃよかった」
「炭酸、KPをお金に変えてしまったんですか?」
「ああ。125KP全てな。合計、12万5千円。ちゃんと俺の口座に振り込まれていたよ。それを即効で下ろして今日は昼から高級寿司食って、服も買って、欲しかったフュギュアを大人買いしたぜ」
「……ダンジョンを強化しなくていいんですか? トラップの配置替えもした方がいいと思います。あの幼女悪魔、何か重要なことを隠しているような気がするんです」
「ふん。俺のゴブリンワールドは突破できないさ。完璧なトラップコンボだからな。それにゴブリンは25匹だけじゃない。今日も元気に殺しに行こう!」
俺は心の中で何か嫌な感じがした。炭酸のおっさんのダメな大人ぶりはともかく、そんなにこのゲームが簡単なわけがないと思うからだ。
「まあ、2億円も手に入ったことだし、今日、ぶっ殺して手に入れたKPはダンジョン強化に使うよ」
「そうした方がいいですよ。何か嫌な気がするんです」
「心配性だな。高校生なら勢いで行かなきゃ」
「はあ……」
(おじさんこそ、勢いじゃなく思慮深さで勝負じゃないのか?)
「それにしても、明日、銀行に行って2億円もらったら何買おうかな。今住んでいるのはボロいアパートだから、新築のマンション買おう」
「マンションですか……」
「ああ。ちょうど、駅前にタワーマンションが建つんだよな。モデルルームがあったはず。キャッシュで一番いい部屋を買おう」
「はあ……」
「ついでにポルシェも買うか」
「ポルシェですか……」
2億円と言っても、通常サラリーマンの生涯年収は3億円と言われる。無駄遣いすればすぐになくなってしまう程度のお金だ。
「ああ。今まで俺を馬鹿にしていた奴を見返してやりたい」
そう炭酸のおっさんはまくし立てている。よほど、たまったものがあったのだろう。今住んでいる大家の悪口や、隣に住んでいるOLの話など、次から次へと会話が文字に変えられていく。
いつもはこのグループのリーダー役で、聞き手に回ることの多い炭酸のおっさんだったが、やはり、たまりにたまった鬱憤があったようだ。それが億万長者になったという上から目線で、急にタガが外れたと思われた。
「そうですか……。でも、まだ、実際に現金を受け取ったわけじゃないので、確実にお金を手にしてから考えてくださいね」
高校生の俺が助言するようなことではないが、この中年のおじさんの浮き足だった状態を抑えないとやばいなと思うのは俺だけではないはずだ。
通常、高額当選金の場合、銀行に行ってもすぐにもらえるわけではないらしいから、その間に冷静になれるとは思うが。
「は~い」
妙に軽い感じでメンバーの堕天使が入ってきた。いつも常駐の彼が今頃から参加するのは妙な感じだ。しばらく、沈黙なのは俺と炭酸のおっさんが刻んだログを確かめているからであろう。1分ほどで会話が再開し、コメントが文字になる。
「炭酸師匠、おめ」
「おお、ありがとうな」
「明日から億万長者ですな」
「まあな」
「ふふん……」
堕天使の文字にも何かいやらしい雰囲気を感じ取る俺。一応、何か聞いてみて欲しいようなので、俺は嫌々聞いてみる。
「何か、いいことあったんですか?」
「よく聞いてくれた!」
明らかに聞いて欲しい雰囲気を察した俺の勝利だが、聞きたくもない気持ちもないわけじゃない。
「俺の願いはなんだか知ってるか?」
(確か、脱童貞だったと思うけど……)
「おお、堕天使よ。ついに一線を超えたのか?」
炭酸のおっさんのコメントが弾んでいる。俺はもうこの会話には入っていけないと、静観することにした。俺がコメントしなくても炭酸のおっさんが上手に聞き出すだろう。
「今日、市役所の引きこもり相談カウンセラーのお姉さんが来てね。それが超カワイイの。大学出たばかりの女の子でね。俺からいろいろ聞き出そうとするの」
「ふむふむ……。それで?」
「1時間ばかり話して、彼女がどうすれば変われるかって聞くから、一発やらせてくれれば、変わるかもって言ったんだよね」
「ほほう……。それは神対応ですな」
(いやいや、普通、引くだろ。100mぐらいは引く)
炭酸も堕天使も馬鹿だ。俺もエアーだが、ここまで自分を落としたくない。
「そうしたらね。その子、彩音ちゃんって言うんだけど。私でよければどうぞって」
「マジかよ! 神かよ!」
(ありえない……)
興奮する炭酸と困惑する俺。これがばあるの言っていた願いの成就の力なのか。
絶対にリアルではありえないシュチュエーションだ。もし、ばあるの言う報酬であるなら、その女の子は悪魔の犠牲になったということだ。
「それで昼から今までやりまくってしまったのだ」
「一発じゃねええ……」
「数え切れないほどやってしもうた……。腰がいてえええ」
(もう嫌だ)
俺はついていけないと思った。大人のダメな会話だ。しかも卑猥な会話を傍で聞くのはいたたまれない。
だが、もうすぐ、21時になる。
ばあるが言っていた俺たち4人がダンジョンマスターになる時間だ。
「あと10分ほどで、SATOさんが参加する時間です。このログ消した方がいいんじゃ?」
「おう、そうだなTRよ」
「SATOさんには嫌われたくない」
そう言うと会話のやばい部分は(削除)に変わっていく。時計の針が20時50分を回る。いよいよ、2日目が始まる。
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