呼吸の広場
試験が終わった日の翌日の夜、「呼吸の広場」のレッスンだった。僕は、麹町にある区民センターに向かった。建物に入り、二階にある広い畳の部屋に向かった。すると、入り口の前に女性がいた。僕は、受付にいる女性に声を掛けた。
「はじめまして。佐藤敏広といいます」
すると、女性は振り向いた。年齢はわからないが、三十代後半くらいに見える。
「どうも。メールありがとうございます。平野といいます。佐藤さんですね? 先生の『呼吸の広場』に来たのは、はじめてですよね?」
「そうです」
「じゃあ、ここで靴を脱いで下駄箱に入れてください。部屋には、座布団がおいてあるので自由に好きな場所に座ってください」
「わかりました」
「ここでは、有志で集まった人が、遠藤先生の授業を受けています。先生の授業は受けたことありますか?」
僕は、一息入れた。
「はい。ずっとカルチャーセンターの授業を受けていました。なので、どのように進めていくかはなんとなくわかります」
「そうだったのですね。じゃあ、話は早いです。同じようにやってください。呼吸をやるときはベルトとか外した方が良いと思います。その方がやりやすいと思うので」
僕は、わかりましたと言って部屋に入った。真ん中の座布団の席が空いていたので座った。ベルトを外した。時間になったら、遠藤先生が前にやってきた。ホワイトボードが前にある。
「みなさん、こんばんは。よろしくお願いします。今日もいろいろな話をしていきます」
遠藤先生は、ホワイトボードの前に立ってペンを持った。
「いま、みなさん呼吸を学んでいるけど、呼吸が上手くなると直感が冴えてくるということを知ってほしいと思う。呼吸とは、息のことを言うよね。息とは、自分の『自』という言葉と『心』という言葉を合わせて『息』という言葉になる。つまり、心の上に自分がいることが息という意味と考えることができる。これが、息の神髄だよ。息が整えることは、つまり、自分の心を極めることができるようになる。すると、人生も上手く進むようになる」
遠藤先生は、「息」「心」「自分」という言葉をホワイトボードに書いた。
「そして、『心』という言葉がキーワードでね。人間は、『体』と『心』でできている。それを僕は、『感覚』と『意識』という言葉で言い換えている」
すると、「感覚」と「意識」という言葉を書いた。
「『感覚』は『体』のことを言って、『意識』は『心』のことを指す。つまり、この二つがバランス良くあることが健康であるためのコツになのだよ。そして『意識』と『感覚』は『気づき』を与えてくれる。そして、『気づき』は『魂』ことを言うの。このことを、知っておくとよい」
遠藤先生が説明をしていると静寂な雰囲気なっていた。
「でもね、ただ健康になるために、僕は呼吸を教えているつもりはないからね。その人の本来持っているエネルギーやパワーを引き出すために、僕はいつも教えている」
すると、空気が静まりかえった。
「呼吸をすることによって、宇宙エネルギーと取り込んで、それを自分のもっている潜在的なエネルギーと合体させる。これによって、本来持っている能力を発揮できるのだよ」
遠藤先生は、ホワイトボードに向かって人間の形を描いた。人を丸く囲って頭から上に向けて線を書いた。
「ここに人がいるとしてね。人の周りには、丸く囲むオーラがあって頭の上から宇宙と繋がっているのだよ。この線が宇宙エネルギーと繋がっている。こういう見えない世界があるのだよ。呼吸をすると、宇宙を繋がってくる。そうすると、本来の力を発揮できるから」
僕は、絵を見ながら息をのんだ。人間の周りにはオーラがあって頭の上から宇宙と繋がっている、そんなことを言われても想像がつかなかった。
「まあ、こんなことを言う人は、滅多にいないから。こういう世界があるのだなという感覚で聞いてもらえれば良い。でも、こういうことをイメージしながら呼吸を学ぶと良いと思う」
遠藤先生は、笑いながら言った。すると、後ろの方から声が聞こえた。
「先生、今日はじめてレッスンを受ける人がいるので、簡単に呼吸について説明をしてください」
平野さんだった。話している内容が、すこしややこしくなっているので遠藤先生に簡単な説明をするように催促した。
「そうか。ごめん、ごめん。ここでは呼吸を僕と一緒にやっていくからね。コツは、お腹で、吐く、気持ちよく。この三つを覚えておいてください。そして、鼻と口で呼吸をするけど、ここでは鼻で呼吸をするから。じゃあ、これから始めます。じゃあ、座布団の上に仰向けになって寝てください。平野さん、電気消してください」
僕は、仰向けになった。横になりながら、お腹の呼吸と丹田の呼吸をしたあと、胡座をかいて座って、お腹の呼吸と丹田の呼吸を行った。カルチャーセンターのときと同じように先生が言葉で誘導したあと、自分のペースで呼吸を続けるというやり方である。
呼吸をしているとき、僕は自分の宇宙エネルギーを取り込むつもりで息を吐いた。頭の上から天にむかってエネルギーが放射されていて、それが宇宙と繋がっている。そんなことを考えながら呼吸をしていると体中が熱くなってきた。自分の潜在的なエネルギーと宇宙エネルギーを合わせることによって、自分の能力が発揮できるかもしれないと思いながら呼吸を続けた。
レッスンがおわったあと、先生はホワイトボードの文字を消していた。僕は、先生に質問をしようかと思ったが、この日は何も聞かないことにした。レッスンで聞いたことと呼吸をやっていたときの感覚を忘れないようにした。
自宅に戻って、僕は遠藤先生の「呼吸法の本」を開いた。そのなかには、呼吸について説明しているとともに、「気づき」について次のように書いてあった。
気づき=意識+感覚
つまり、「気づき」が「意識」と「感覚」を合わせたものだと書いてあった。先生が説明したことと同じことが書いてある。僕は、この本を始めて読んだとき、この考え方を気に入った。この計算式を見たとき、「気づき」を深めるためには何をしたら良いのだろうと考えた。そして、「書く」ことによって、その効果があるとわかった。例えば、日常で気になる出来事を書き出すことによって、それが意識される。その書き出したことを感じることによって、気づくことがたくさん出てきた。
休職期間中、僕はこの計算式に基づいて、自分に起きた問題をノートに書き出していた。意識して感じたことを書き出して日常生活で問題だったことを気づいていく。そうやって、書き出すことによって自分の体調を戻していった。これが、この本を気に入った理由だった。
「意識」と「感覚」が「気づき」を生み出す。これは、僕にとって大切な考え方だった。常に、その考えを取り入れながら日常を過ごすことによって、気づきが多くなる。ほんの些細な変化を意識して感じることになって、直感が冴えてくるようだった。それは、遠藤先生がレッスンで説明していたことだった。そして、この本では、この計算式を次のようにも表現していた。
魂=心+体
「気づき」とは「魂」のことで「意識」は「心」で「感覚」は「体」と同じ意味であると説明していた。つまり、気づきが多くなることによって直感が冴えて、魂が磨かれると、僕は解釈した。魂の成長のためには「気づき」が欠かせない。僕は、呼吸を通して、そのようなことを学んだ。
本を読み終えたあと、僕はベッドの上に胡座をかいて座って呼吸法をはじめた。意識を呼吸に向けて、気持ちよく吐くことに集中した。自分の魂と対話をするようなイメージを広げる。すると、二十三歳のとき見た「三島由起夫の生まれ変わりと言われる夢」について浮かんできた。そのことを遠藤先生に話したとき、それは僕に愛が必要だという意味だと言ってくれた。「愛」ということについて考えながら呼吸を整えた。
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