第3話

「まーーた大声出してるわねー。さっき頭冷やしたばっかりでしょうに、元気な子たちねホント。ほら、ご飯食べて落ち着きなさい」

 ふわり、とあたたかな匂いが鼻をくすぐる。惹かれるように菜月と里穂の視線がそちらに向いた。ことりことりと上品な音を立てて机にお椀や小鉢が2組ずつ置かれていく。有無を言わさず隣り合わせに置かれたそれは、無言で里穂に席の移動を促していた。

「あっ、ありがとうございます、すみませんなんか……」

 菜月が慌てて席に戻る。里穂は苦い顔をしていたが、過去に絵を買って応援してくれたという経緯があるためなのか、渋々菜月の隣の席に着いた。……可能な限り椅子を離して。

「どうぞ、召し上がって。もっと持ってくるからどんどん食べて頂戴。あ、おかわりしたいものがあったら言ってね。もっと持ってくるから」

 にっこりと笑うと、楓子はまたそそくさと店の奥に引っ込んだ。その背中に向けて菜月は戸惑いながら「いただきます」と伝える。隣では、里穂が手を合わせて小さい声で同じ言葉を呟いていた。

 久々にちゃんとした食事だ。それを踏まえているのか、持ってこられた料理は種類があるが全て小鉢に盛られている。普通のサイズはご飯とみそ汁のお椀とほうじ茶が入った湯飲みくらいだろうか。

 菜月はまず湯飲みを取った。持ってもそれほど熱くないそれに一応息を数度吹きかけてから、口に含む。適度なぬるさにホッとする一方、どうやら菜月も口の中を切っていたらしく、沁みて痛みを感じた。気付かない程度の菜月がこうなのだから、はっきり切れているのが分かる里穂の痛みは段違いだったようだ。隣からはみそ汁に口をつけて堪えきれなかったらしい悶絶の呻き声が聞こえてくる。反射のように脳内で唱えた謝罪は、やはり口から出ずほうじ茶と一緒に胃に落ちていった。

 みそ汁に手を伸ばしてみる。具材は根菜やキノコ類、芋類、葉物野菜がごろごろと入っていた。一口飲むと、丁度いい味付けが自然と二口目を誘発する。野菜はどれも温かく、噛めばすっと歯が通り味が染み出して来た。

 汁物を受け入れた胃は次を要求し始める。菜月は茶碗を持ち盛られている栗ご飯を口に運んだ。優しい栗の甘さが口いっぱいに広がる。それを飲み落とすと、片手に茶碗を持ったまま、菜月は次々に小鉢に箸を伸ばしては口へと運んだ。

 そうして自分に訪れた変化に、菜月はがドラマの中でだけ起こる出来事ではないことを知った。

「……ひっぐ、ぐすっ」

 涙を流しながら、時々鼻をすすりながら、菜月はそれでも食事を続ける。何でかは分からない。けれど、腹が満たされていくにつれ、何か別の物も満たされていくようで、涙が止まらなかった。安心とも悲しいとも言い難い、名前のつけづらい感情が菜月の中に溢れていく。

 次の品を持ってきた楓子は机に小鉢を追加すると、向かい側の椅子に腰かけた。

「――そろそろ、自殺しようとした理由を聞いても大丈夫?」

 優しく問いかけられ、菜月は涙を拭いながら頷く。

「か、彼氏に、フラれたんです。だい、大学、入ってから、ずっと、付き合ってた、のに、結婚も、し、したいね、て、話して、たのに、突然、他に、好きな子、で、出来たから、って。~~何で、あんなに、すぐ、他の子の前で、幸せ、そうに、笑えるの……っ」

 拭っても拭っても涙が止まらなくて、菜月はご飯を掻き込み詰まりそうになりながら無理やり飲み込んだ。少しの苦しみは逆に少しだけ落ち着きを取り戻させる。

「――いろんな好きなこと、我慢してでも、一緒にいたいって思ったのに――」

 震える声で吐き出した言葉が、菜月が彼のために捨ててきた多くのことを思い出させてきた。眉根を寄せ唇を引き結んでいると、目の前にことりと小鉢が置かれる。中には艶めくあんがかかったかぼちゃの煮付けが入っていた。

「菜月ちゃんは、どんなことが好きなの?」

 問いかける双眸は声音と同じ気遣う色を滲ませている。それを正面から受け止め、菜月は目の前に置かれたかぼちゃの小鉢を手に取り口に運んだ。甘じょっぱさがとても好みで、美味しい、と思えるとまた涙がこぼれる。

「ごはん、食べるの、元々好きだし、スポーツとか、屋外アクティビティ、とかも、ほんとは、好きなんです。昔は、髪も短くて、肌も黒くて。大学入る時、彼氏、欲しいなって、思、て、高校の終わりぐらいから髪伸ばして、服とかも、変えて、ゆるふわ系の、可愛い感じの、着るようにしたんです。それだって、好きでは、あったけど、やっぱり、どっかつまんなくて、でも、彼氏は、外で遊ぶの、そんなに、好きじゃ、ないし、細くて、肌白くて、可愛い系、好きだったから、嫌われたく、なく、て……っ」

 我慢した。我慢した。我慢した。ずっとずっと我慢してたのに。それでも耐えられるくらい、彼が好きだったのに。

「……わたし、ばか、みたい……っ」

 茶碗と箸を握りしめながら菜月は俯く。それに楓子が声をかける――より早く、隣で黙々と食事していた里穂が先んじて言葉を放った。

「ほんとバカみたい」

 変わらない辛辣さに菜月が顔を歪め、楓子が叱りつけようと里穂に視線を向ける。だが、楓子の少し寄った眉はすぐに緩められた。顔をそらしているので見づらいが、目の端が少し赤くなっている。

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