第3話 元聖女ユズの視点


 イノシシの如く廊下を闊歩かっぽしていたのはヘルムート殿下で、後ろにはカロリーヌ公爵令嬢がいた。


(カロリーヌ公爵令嬢ヒールの高い靴を履いているのによく転ばないな。……にしても何の用だろう?)


 ハインツ様は私を庇うように、ヘルムート殿下とカロリーヌ公爵令嬢の前に立ってくれた。


「ヘルムート、王太子として何をしているだい?」


 ハインツ様は穏やかだが声音には怒りがあった。息を整えたヘルムート殿下はハインツ様を見ずに、その背後にいる私に睨んだ。


「義兄上には関係の無いことです。私はユズと話がある」

「私も彼女に話が合ってね。……まあ、せっかくだ貴賓室で話そうじゃないか」


 ハインツ様の言葉の通り、廊下の真ん中で話すことではないだろう。私は彼の提案を受け入れ、ヘルムート殿下とカロリーヌ公爵令嬢も従ってくれた。


(ヘルムート殿下とのお話、あ。婚約破棄をする書簡などの手続きなのかもしれない)


 そう暢気に考えていた私は浅はかだった。

 貴賓室に通されて私とハインツ様が隣に座り、対面する形でヘルムート殿下とカロリーヌ公爵令嬢が並んで座る。

 重苦しい空気の中ヘルムート殿下が口を開いた。


「ユズ、先ほどの婚約破棄の件だが、お前を思って発言したまでのことだ。もっとお前に次期王妃としての気構えを理解して貰うためあえて」

「分かっています」


 その言葉にヘルムート殿下は安堵の表情を見せた。きっと私が途中退出したので念を押したかったのだろう。


「国王陛下にもお伝えすることですから、婚約破棄に関する同意書のサインが必要でしょう。お手数をおかけしますが、契約内容を見せて頂いても?(変なこと書かれたらたまったものではない。勝手に身売りだとか一文無しで国外追放なんてゴメンだもの)」

「な――なぜ、そのようなことを。……わかった。あの場で恥を掻いたことを根に持っているのだろう。だから私を困惑させ引っかき回そうとしているのだな」


 なぜか狼狽する殿下に私は眉をひそめる。

 自分で婚約破棄を言い出したのに、何を言っているのだろう。睨み付ける眼光がいつになく鋭くて怖い。

 今までのお茶会や顔を合わせるときも言葉数は少なく、上から目線ばかりだった。王族ならそうなのかもしれないが、聖女としての地位を失った今、教会からの後ろ盾も何もない状態で彼の元に嫁ぐことが恐ろしいとあの会場で改めて感じたというのに、殿下は何も気付かなかったのだろう。


「この三年、右も左もわからなかったからこそ殿下の婚約者という立ち位置にいましたが、聖女の力を失った今、次期王妃としての役割は荷が重いと思っております。ですから殿下の言葉通り、婚約破棄を受け入れたのです」

「――っ、婚約破棄などはしない! ユズ、。これは決定事項だ!」


 声を荒げる殿下はそれだけ告げると部屋を出て行ってしまった。婚約破棄を言い出しながら途端に婚約破棄をしないと言い出す。二転三転する彼の主張に私は困惑するしかない。

 カロリーヌ公爵令嬢は申し訳なさそうに一礼した後、殿下の後を追いかけていった。

 二人が退出したことで私は強ばっていた体が弛緩する。


「お疲れ様。あのヘルムート相手によく言い切ったね」

「ありがとうございます。……でも、これから私はどうなるのでしょう。殿下の言葉が二転三転してしまって何が本心なのか何を考えているのか分からなくなりました」

「……弟なりに君を慕ってはいたんだと思う。ただそれをよく思わない人間が弟の傍に多かったと言うだけだよ」

(殿下をいいように操ろうと近づく貴族たちが沢山いるのね。だからこそ私と殿下は上手くいかなかった――部分もあったのかもしれない。今後のことを考えると早めに婚約破棄をして国を出たほうが……)

「ユズ様。一つ私に提案があるのだけれど」

「ハインツ様?」


 微笑むハインツ様の真後ろに、姿


「――っ!」


 振り上げる鈍色の刃が煌めき――次の瞬間、私の意識は途切れた。


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