第2話 第二王子ハインツ視点

 **ハインツ視点**



 初めてユズ様を見た時、後頭部に強い衝撃を受けた。

 長い黒髪、菫色の瞳、すらりとした華奢で可憐な少女。気まぐれで召喚の儀に参加してよかったと心から思った。


 聖女召喚。

 この国では五十から百年に一度、国を覆う邪気が厄災をもたらす。それを防ぐため異世界から少女を呼び出し、浄化の儀式を執り行う。

 異世界から召喚した際に奔走するエネルギーが吹き荒れ邪気を一層した。この段階で聖女としての役割は半分以上終わっている。しかし特別な存在である少女の血筋を取り込みたいと思うのはよくあることで、代々王族あるいは貴族によって婚姻を結ぶことが決まりとなっている。


 自分にも可能性があるかもしれない。そう思っていたがその期待はすぐに打ち砕かれた。

 腹違いの弟、ヘルムートとの婚約が決まってしまった。


(身分が低くても第一王子として王位継承権を放棄すべきでは無かったか)


 地位や名誉に興味は無かったものの、聖女ユズ・イチノハへの興味は薄れるどころか増していった。

 そんなある日、王族図書室の整理をしようと部屋を訪れてみたら彼女がいたのだ。梯子はしごを使っても一番の上の棚に届かなかったのか背伸びをして手を伸ばす姿は、とても可愛らしくて声をかけた。


 代わりに本を取るとこの国の歴史や伝承関係のものだとわかった。しかも古代文字で書かれているので翻訳するのがとても難しいものだ。

 異世界のしかも年端もいかない少女が読めるものなのか声をかけたら、「私にはすべて自国の言葉に変換されているのか普通に読めますよ」と言い出した。

 衝撃だった。


(聖女の治癒能力なんかよりも希有で素晴らしいものじゃ?)


 思わず解読が難しい古代文字の一節を翻訳してもらった。彼女はサラサラと見たままの文章を用意した紙に書き出してくれた。古代文字とは異なる見たことのない文字だったが、全文を書き終えると文字は母国語に変わったのだ。

 異世界転移者による祝福ギフトの一つなのかもしれない。以前の聖女も言語や語学など全て精通していたと聞いたことがあった。


 おそらくこの世界に訪れることによって文字や言葉が通じないと、聖女自身が不利になるからなのだろう。教会という後ろ盾はあるが、あくまでも聖女という存在であり彼女自身をよく思っているか別だ。


「素晴らしいよ。なにかお礼がしたいのだけれど君は何を贈ったら喜んでくれるだろうか」

「え。私に、ですか?」


 キョトンとした顔で驚く彼女に私はますます惹かれた。この国の貴族令嬢であれば、男性からの贈り物などはもらって当然という節がある。しかし彼女は「いいのですか?」と嬉しそうだ。

 婚約者であるヘルムートから何も貰っていないことがすぐにわかった。こんな愛らしい彼女に何も贈らず、愛情を向けないなど目が腐っているのではないだろうか。


「ユズ様、貴女の本を読む力はとても素晴らしいことです。もしよろしければ時々文章の解読をして頂けないでしょうか?」

「聖女と王妃教育があるので、あまり時間がとれないとは思いますが、それでもよければ」

「ありがとうございます。それともし本が好きなのなら、私の国立図書館にも是非お越し下さい」

「え……。あ、そういえば貴方は?」

「申し遅れました。私はハインツ・フォン・フレーリッヒ。ヘルムートの義兄で、現在は国立図書館の室長をしております」


 それから彼女との交流が始まった。

 ユズ様との時間は夢のようで、僅かな時間であっても私にとって癒やしそのものだといえる。


 国立図書館には彼女がいつ来てもいいように特別貴賓室を用意し「好きに使ってください」と告げた。最初彼女は「申し訳ない」と遠慮していたので慎ましい姿も愛らしい。

 「閲覧制限のある解読を少し頼みたいので、どうかその場所を使ってくれないかな」と話したら折れてくれた。彼女としても一般席で本を読むには目立つと思っていたのだろう。どこか安堵していた。


「気遣って下さってありがとうございます」

「いえいえ。本が好きな方に快適に読む場所を提供するのも私の仕事ですから」


 本を読む時間が多かったので会話はさほどない。

 それでも私にとって僅かな時間がとても貴くて心地よいものだった。

 教会には読解不可能な文章の解読する依頼と同時に貢ぎ物も渡したし、貴族たちにもユズ様が不利にならないよう根回しを行った。本来はヘルムートが行う作業だが彼女を守るためならなんでもいい。

 そんなある日、義弟が声をかけてきた。恐らくユズ様の図書館通いが耳に入ったのだろう。一応婚約者に関心はあるのだとぼんやりと思っていた。


「兄上、ユズが解読した原本を全て出してくれ」

「(相変わらず既に貰うこと前提で話をする奴だな)……魔法研究所と国立図書館解読班からの教会に正式な依頼として頼んでいるものです。控えは渡しても原本を渡すことはできないし、君に渡す理由もないのだけれど」

「……ユズは私の婚約者だ。婚約者なら彼女の関わった物は全て私の物になるだろう」

「(なるわけない、頭大丈夫だろうか)……その理屈はよくわからないのだけれど。それに君は聖女様に関心がなかった訳じゃないのかな?」

「誰がそんなことを? ユズとは良好な関係を築いている」


 真顔で答えるこの男に、とりあえず話を続けるため適当に相槌あいずちを打つ。


「良好ねぇ。どんなことをしてそう言い切れるのか教えてくれないか?」

「週一日にお茶会をしている。ユズが私に刺繍で作ったハンカチなどを持ってきてくれた。手紙もよく届く」

「(それは全部社交辞令だ)……他には?」

「……十分ではないのか。彼女はよく笑ってくれている」


 そう言ってほんの少し口元を綻ばせた姿を見て、「ああ、彼もユズ様が好きなのか」と察した。もし形だけの婚約なら手を回して白紙に戻そうと画策しかけていたので、彼の発言には少し驚いたものだ。


「どんな会話をしているんだい?」

「王妃教育の進捗、聖女の活動報告などで話が弾んでいる」

「(……うん、それは会話ではなく確実に業務連絡だ。ユズ様が不憫ふびんでならない。一応、第三者客観視できる者から情報を得た方が良いな)なるほど、なら贈り物などは毎日欠かさずにしているのだろう?」

「なぜ?」

「(質問を質問で返すな!)……んん、あー、好いている子に対してもっと着飾ってほしいとか喜んでほしいとか普通に思うだろう」

「ユズはそのままでも充分美しい」

「(そうじゃない! 美しいことは認めるが!)……贈り物はしていないと?」

「どうせ王妃となれば、その時に必要な衣服や部屋、調度品一式揃えるのだから問題ないだろう」


 完全にずれていた。ユズを思う気持ちはあるようだが、あまりにも考え方や対応が杜撰ずさんすぎる。誰も苦言を呈さないのか。

 いろいろ調べた結果、どうやら宰相と貴族派は聖女が次期王妃になることをよく思っていないらしい。それもあり王子の側近にも息のかかった者が聖女と不仲になるように動いているようだ。


 情報屋から届いた手紙を読み終えた後、暖炉に報告書を放り投げた。

 赤々と燃えさかる炎によって報告書は一瞬で灰と化す。


(まあヘルムートが王位継承権を得たのは宰相や貴族派の後押しがあったからで、彼ら的には貴族派から次期王妃を排出したかったのだろう。その野心もあった。それが聖女召喚をせざるをえなくなったことで、風向きが変わったのか)


 ヘルムートには悪いがユズ様の身の安全を考えると婚約破棄するほうがいいだろう。伝統に従って聖女と王族が婚姻を結べばいいのだから、


 手始めにユズ様と仕事関係で合う回数を増やしつつ、聖王国フォルリーの話題を出した。

 彼女が興味を持つように期間をおいて話をして、それから水面下で諸々の準備を整えていく。


(ああ、王位継承権争いをしてきたよりも楽しそうだ)


 あの時は生きるか死ぬかで毎夜、刺客がやってきた。そのたびに全て返り討ちにしてきたのだけれど、今回はことを進めるという縛りも中々に面白みがある。

 ユズ様の御心を傾けることができるか、タイムリミットは婚儀が決まるまでだろう。


 そう思っていた矢先、まさかヘルムートの失言と自爆。

 パーティー会場での発言は完全に失言だった。見かねたカロリーヌ公爵令嬢が王子の暴走を止めるために腹に一撃を入れていたときは面白かったが。


 もっともカロリーヌ公爵令嬢彼女は私の手駒でもあった。ユズ様を守るためにも女性の友人は必要と思っての配慮として手を結んだ。彼女は王族派の人間で公爵家としても次期王妃として虎視眈々こしたんたんとその座を狙っていたので、都合がよかった。


 さて――彼女はどちらを選んでくれるのだろう。

 先の見えない賭というのも案外悪くない。

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