最終話 ノブレスオブリージュ② ~馬鹿な事だよ~
「先生、魔王城が見えてきました」
目の前には魔王城、橋の上で散る火花。
『よし、水門まで全速力で突っ走れ! 医療班は待たせてある、そのままレーヴェンを治療する!』
タマの角を叩けば、方向転換してくれる。魔王城城門前の大きな橋の下を通る川に向かって、その巨体を動かした。
「了解です……タマ気合入れろよ、ご主人様の命がかかってんだ」
レーヴェンを見る。まだシンシアの膝の上で目を覚まさない彼女の額には、大粒の汗が流れていた。
「行けぇぇえええええ!」
加速するタマ。開き始めた城門に向けて、矢のように全速力で突き進む。
「させない」
だが、そう簡単な話じゃない。橋から飛び降りたアイラが、その剣を振りかぶる。思わず息を飲む。防ぐ手段を探りながら。
「どうかな」
鉄の弾ける音が響いた。彼女の青く輝く刃を、受け止めた剣があった。その刃の色もまた、伝説のように青く輝く。
「ラシック!」
ラシックが剣を弾けば、アイラがタマの上に着地する。彼女は剣を構え直し、ラシックに向け突進する。
「この……偽物が!」
二度、三度。打ち合う刃が火花を散らす度、ラシックが押されていく。けれど彼は笑っていた。横眼で彼と旅していた、三人の女性を捉えながら。
「ああそうだ、僕は偽物で嘘つきなただの下着泥棒だけど」
風が吹いた。正面を見据えるラシックが、剣を脇に構える。火が、氷が雷鳴が。剣を中心に渦を巻き、一筋の光となる。
「この剣だけは……本物だ!」
横に、薙いだ。
そのままアイラを吹き飛ばし、橋の上へと追い返す。気付けば俺の口からは、安堵のため息が漏れていた。
「いいのかラシック、こっちについて」
「減刑、期待してますよ」
「そこまで偉くはないんだけどな」
肩を竦める。昨日の敵は今日の何とかという言葉があるが、それにしても早すぎるだろうと笑いながら。
「じゃあ、行ってくる」
「キール様」
橋の上で立ち上がるアイラを睨めば、セツナが服の裾を摘んだ。振り返らない。見なくたって俺にはわかる。
「行ってらっしゃいませ」
気がつけば、彼女の手が離れていた。だからいつものように落ち着いた顔で、お辞儀をしてくれているのだろう。
「ああ」
「行きますよ、キールさん!」
ラシックが傍に俺を抱えて、風の魔法剣を放つ。そのまま浮かび上がった俺達はようやく橋の上についたのだけれど。
「これは……そのなんというか」
そこにあるのは惨状だった。ラシックを追い詰めていた魔王軍の兵隊達が、そこら中に倒れている。百、いや二百人? あんな化け物みたいな連中がこのザマだ。
『全くだ、魔王軍の兵どもはもう品切れだ……作り直すにいくらかかるのやら』
「作り直すって、中に人はいないんですか?」
『まあな。こっちは人の命が高すぎるんだ』
聞こえてきた言葉に、思わず安堵する自分がいた。彼女が倒したのがただの人形なら、それ以上に嬉しい事は無かった。
「なあアイラ、これ全部一人でやったの?」
だから向き合う。
「そうですよ、他に誰かいるとでも?」
「いや、こんなに強いなら早く言って欲しかったなってさ。そうすれば俺はパンツなんて食わずに済んだから」
冗談を飛ばしても、彼女は眉一つ動かさない。あの明るい笑い声が響き渡る事は無い。
「話し合いの余地はある?」
「ありません」
「アイラだって、ここの人達がどういう人かってもうわかってるだろ」
彼女は首を横に振る。俺の言葉は届かない。
「ねえキールさん、知ってましたか? 私の故郷にはこの剣を扱える人、本当は沢山いるんですよ」
青い刃を真っ直ぐと構えて、彼女はその口を開く。
「当然ですよね……何百年前に生きた人の子孫が条件なんですから、それこそ山のようにいて。その中で一番強い人を選ぶ方法なんて、簡単に思いつくと思いませんか?」
言葉が出なかった。彼女の悲しそうな表情が、明確な答えだとわかってしまった。
「殺し合うんです。兄弟とか友達とか、勇者ってのはそういう屍の上で勝ち残った人の称号なんです。だから」
そこは地獄なのだろう。一人の勇者を作るために、大勢が殺し合う彼女の故郷は。そして選ばれてしまった彼女が、生きていくこの世界も。
「誰が相手だって、どんなに優しい人がいたって……」
彼女の剣の輝きが増していく。伝説にあるそれは、絵本のように煌めかない。ただ、彼女の頬を伝う。
「立ち止まる事なんて、許してなんてもらえない!」
涙と同じ色をしていた。
「僕が防御します、キールさんは攻」
「思い上がるなよ、偽物!」
ラシックが前に出て、アイラの剣を受け止める。だが鍔迫り合いなんて事は起こらない。アイラの剣から放たれた光りが、ラシックの剣を包む。
瞬間、砂のように霧散した。支えを失った刃はラシックを斬りつけ、そのままアイラが蹴り飛ばす。魔王軍の兵隊達の山まで吹き飛ばされ、ラシックは動かなくなってしまった。
「先生、今の見てました?」
『ナノマシンだ』
「ナノ……?」
また聞きなれない言葉を。
『相手の武器を食い尽くす小さい虫みたいなものさ』
「要するに武器は使えないと」
『そういう事』
頬を叩く。まあ、武器なんて俺使えないんだけどね。というか武術も魔法も学んでいない俺が出来ることなんて、この冗談みたいな首輪だけで。
「なあアイラ……その今履いてるパンツなんだけど……おばあちゃんの手編みのやつか?」
「なっ!?」
一応、大事なことなので確認する。彼女はやっと年頃の女の子らしい素っ頓狂な声を上げていた。まあ変態のする質問だよなこれ。
「こ、この期に及んでなんて事言うんですか!」
「結構重要なんだ、答えてくれ」
どこがどう重要なのか、彼女にはわからないだろう。でも、良いんだ。これは俺の自己満足だ。理解される必要はない。
「……そうですけど」
「わかった、ありがとう」
だから、決めた。人の思い出の品を霧散させるなんて、間違ってると思えたから。
「借りるぞラシック、パンツリベレーター発動!」
そこで伸びてる下着泥棒から、下着を一枚拝借しよう。
『パンツリベレーターシステム発動、対象をパンツより解放します。身体能力を限定的にアップデートしました』
拳を握り、つま先で地面を叩く。
「キールさん、私に勝つつもりなんですか?」
「その可能性、ほんの少しはあるらしくてさ……それにほら、勇者を止めるのはやっぱり」
体中を巡る力が、彼女に勝るとは思わない。けど。
「魔王の技だと思ってさ!」
強く地面を蹴りつける。彼女の顔面に向かって、真っ直ぐと拳を伸ばす。
剣の腹で受け止められるが構わない。そのまま蹴りを放てたのは、魔王本人の攻撃を受けたから。ここまで計算されていたら怖いなと、心の中で笑いながら。
ひたすら攻撃を続ける。拳、拳、足、肘、膝、拳、足。異常なその破壊力に、自分の体が悲鳴を上げているのがわかる。それでも続ける、肉弾戦はこれしか知らないからただ闇雲に体を使う。
アイラの剣が真っ直ぐと突き出される。遅い、躱せる。なら分はこちらにある。
頭をずらし刃を避け、彼女の脛めがけて前蹴りを放つ。衝撃が足の神経に走り、頭が痛みで支配される。靴を履いているのにこうだなんて、悪い冗談でしかなかった。
それでもアイラが吹き飛んだ。だが致命傷には至らなかったのか、途中地面に剣を突き刺しその膝を着きはしない。
なら、追撃をするしかない。両手を広げる、思い描くのは無数の爆発。囲むように彼女を包み、一斉にそれを起爆させる。
轟音と爆風で橋が半壊する。上がった土煙を吹いた風が攫えば、彼女の姿が顕になる。
「何あの半透明のやつ」
倒れている、なんて都合のいい現実は無い。むしろ青い半透明の、ガラスのような球に包まれた彼女は呼吸さえ落ち着かせている。つまり今の攻撃は全部無駄。
『ナノマシンバリアだ。遠距離攻撃は全部効かないぞ』
「何それふざけてんの!?」
ハイネ先生の言葉に思わず反論してしまう。が、帰ってくる言葉はない。代わりに跳んできたのはアイラが放つ剣圧だった。地面を這いながら、三方向に分かれるそれを間を縫うように躱す。それが罠だった。
読まれていた。急接近するアイラの剣が本命か。受ける、なんて格好のいい事は出来やしないから両手を交差し防ごうとする。だがその手が傷を負う事はない。体を襲ったのは衝撃だった。
鳩尾にめり込む拳。呼吸が止まり視界が霞む。そのまま無様に膝をつけば、首筋に冷たい感触が当てられる。
「キールさん、邪魔をしないで貰えますか? あなたを殺したくありません」
見上げれば、汗一つかいていないアイラの顔がそこにあった。対する俺は満身創痍で、正直息をするのだって辛い。けれど。
「殺すとか殺さないとか、アイラには似合わないな」
涙が乾いた跡だけは、どうしても許せなかった。そうさせた世の中なんて抽象的な物じゃない。この期に及んで役に立たない、自分自身が許せない。
「私の……何がわかるんですか?」
吐き捨てるように彼女が言う。だから答える。
「食いしん坊で、人助けが好きで、おばあちゃん子でお酒は匂いだけでダメで馬車が扱えて……俺が知ってるのはこれぐらい」
この旅を思い出す。こんな所まで来て、こんな事までさせられたけど。
「まだ……わからないんですか? あなた方に同行していたのは、レーヴェンを通して魔王の事を探るためだって」
「それは嘘だ。あの時はまだ、そんな事知らなかったはずだ」
「記憶力いいんですね」
「こう見えてもね」
案外覚えているんだ。ひどい道のりだったけれど、どこか楽しかった事だけは。
「なあアイラ、本当はさ……こんな事やりたくないんだろ?」
「そんな単純な話じゃありません」
「そうかなぁ」
立ち上がって、剣を掴む。手のひらから血が吹き出す。
「少しは周りを見習って」
世の中は単純じゃないと知った。教えられなかった歴史があって、人にはそれぞれ事情があって。救えないとか救われないとか、山程の問題が転がっている。
けれど俺達は生きている。こんなひどい世の中を、精一杯生きている。だから、皆。
――揃いも揃って大馬鹿なのだ。
「馬鹿になるのも……悪くないさ!」
握った刃を腹に突き刺す。死ぬほど痛い、というか死にそう。
「何を!」
「決まってるだろ、そんなの」
けれど俺は笑ってみせる。そっちのほうが似合ってると褒めてくれた人がいたから。
「馬鹿な事だよ!」
思い描くのは爆発。喜劇のひどい落ちのような、劇伴付きの大爆発。それを刺さった剣のど真ん中、腹の前で起こしてやる。
ああそうだ、これでいいこれがいい。大人も子供も知っている、格好いい伝説を台無しにするのは。
いつだって無能な馬鹿の、一般人の仕事だから。
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