最終話 ノブレスオブリージュ① ~食わされるこっちの身にもお前がなるんだよ~

「アイラ、君は」


 手を伸ばす。恐る恐る伸ばしたそれが、何かを掴む事はない。


 眼の前にいる彼女は、ただ大地を蹴っていた。跳んでいた。森の木々を軽々と飛び越えるその姿は、俺達の知っている者ではなかった。


「あ……」


 情けなく声を漏らす、ただその場に立ち尽くす。


 何をしていたのだろう俺は。もっといい方法があったはずだ。なんてことはない、アイラに事情を伝えて剣を貰い、ただあの気のいい魔王に渡すだけで良い。それかあの剣をただ確認するだけでも構わない。本当にそんな些細なことを、俺はするだけで良かったはずだ。


「どなたか、レーヴェン様の治療を早く!」


 傷ついたレーヴェンを抱きかかえ、セツナが叫んだ。それでようやく、本当に自分が情けない事に気づく。


「シンシア! その、彼女達で誰かいたよな回復出来そうなの」

「行きなさいレモル!」

「わかった、シンシア姉さま!」


 駆けつけるシスターが、レーヴェンに杖を当てその傷を癒やし始める。荒くなっていたレーヴェンの呼吸が徐々に落ち着いたから、少しは安心して良いのだろうか。


『おいアナザー! さっきからそっちの映像が出ないぞどうなってる!』


 耳に挟まった小さな機械から、ハイネ先生の声が響く。


「えっと……アイラって覚えてますか? 俺達と一緒に旅をしていた」

『……勇者だったか?』

「はい」


 聞こえてくる先生のため息。やはり彼女は気づいていたらしい。


『状況を説明してくれ』

「レーヴェンが彼女に切られました。回復魔法で傷は塞いでもらいましたから大丈夫だとは」

『大丈夫じゃない! 今すぐこっちに連れて来い!』


 悲痛な先生の声に、事の重大さを理解する。普通の剣で切られたとは、訳が違うという事なのだろう。


『勇者は?』

「アイラの言葉からして……そっちに向かったかと」

『だろうな……わかった、時間は何とか稼いでみる。だが稼げるのは時間だけだ。わたし達はあの剣に、絶対に勝てないんだ』


 悲痛な先生の声に胸が締め付けられる。


『だからキール……お前が勇者を倒せ。お前しかいないんだよ、その可能性が残っているのは』


 突き付けられたのは現実。唯一勝てるかもしれないのが、こんな怠け者の自分だけだという悪夢のようなひどい現実。だけど。


「やってみます。死んだらその、ごめんなさい」


 そう答える自分がいた。膝が震えて手の平は汗で湿っている。


 柄じゃないのはわかっている。強くないのは知っている。けれどその可能性があるなら、自分に少しでも力があるなら。


 持てるものの義務は、果たさなければならないんだ。




「キール様、その……」


 タマの背に乗り魔王城へと向かう途中、セツナが目を伏せ口ごもる。心配してくれているのがわからない程鈍感な自分じゃないから、その肩に震える手を乗せた。


「安心しろとか大丈夫とか言えないけどさ……出来る事はやってみるよ」

「何ですかそれ、あなたに出来ることなんて大してありもしないくせに」


 辛辣な言葉は彼女なりの強がりだ。けれど同時に事実でもある。今の俺に出来るのは、こうパンツを食ったら破壊したり解析したりなんていう碌でもない事ばかりだ。


「何暗い顔してるのよあなた達は、葬式じゃあるまいし。人前で慰め合う暇があるなら、少しは強くなる努力をしたらどうかしら?」


 まだ目を覚まさないレーヴェンに膝を貸しながら、シンシアがそんな言葉を吐く。


「強くなるって言われても」

「あるじゃないそこに、宝の山が」


 扇子で指した先にあるのは、手を縛られてうなだれている偽勇者ラシックが集めた下着が詰まった鞄がある。


「宝かどうかは人次第かと」

「何言ってるのよ、今のうちにそれ全部食べちゃいなさいって意味よアホンダラ。ちょっとぐらい有用な物があるかもしれないじゃないの」

「そうかな」

「知らないわよそんなの。けれどお気に入りのメイドによしよししてもらうより、生き残る確率が上がるってだけの話」

「そうだな」


 意を決して頬を叩く。それから鞄の中を開け、一枚のパンツをつまむ。もちろん女性用のそれだ。色は紫で特に際どいデザインという事もない、ただのレースがついただけのパンツ。


「そういや女物食べるのは初めてか」

「ちょっとキール、変態みたいな顔になってるわよ」

「悪いな生まれつきなんだ」


 それをそのまま口に放り込む。うん、なんだろうな噛めば噛むほど味わい深いとか、やった異性のパンツだみたいな喜びは全く無い。


 だってこれ、布なんだもん。布をね、ただひたすら咀嚼してるだけの話でね、食べ物なんて胃に入れば全部一緒だなんて言う人いるけどその通りだよね。


『パンツイーターシステム発動。アンコモンスキル"おばあちゃんの知恵袋"を獲得しました』


 ――めっちゃむせた。


 思わずラシックを睨む。こっちの視線に気づいたのか、疲れた顔で笑顔を向けてきた。うんまあ、その確認だけね、しておこうかなって。


「なあラシック……パンツの持ち主って確認してるの」

「してる訳あると思いますか? 持ち主を想像するのが醍醐味なのに」

「そっか」


 俺は立ち上がり、鞄の中からパンツを数枚掴んだ。


「パンツアナライザー!」


 そして叫ぶ。周りがこいつ何言ってんだみたいな顔してるがそこは気にしない。


『パンツアナライザーシステム発動、解析を終了しました。コモンスキル"おばさん"、コモンスキル"おばさん"、コモンスキル"おばさん"です。獲得できるアーツは0個です』


 なるほどね。確率論とかはわからないが、ここに詰まってるパンツを適当に掴んで解析したら全部おばさんのパンツだったと。そりゃそうかもしれないよね、人口で言えばおばさんって言われる人が一番多いかもしれないからね。でもね、でもだよ。


「せめて年齢ぐらい調べとけこの下着泥棒! 食わされるこっちの身にもお前がなるんだよ!」


 俺はラシックの口をあけ、手に持っていたパンツを全部突っ込んだ。トリプルおばさんパンツアタックをくらえ。


「ん、んんっー!」

「どうだ参ったか!」


 涙目のラシックが窒息して気絶してくれたので、勝ち誇った顔で俺は拳を突き上げた。この旅に起きる個人的な恨みが今、精算されたような気がした。


「キール様、楽しそうですね」


 なんて事をしていれば、セツナがそんな言葉を漏らした。


「……そうかな」

「鏡があったら見せてあげたいぐらいよ」


 ため息をつきながら、シンシアも茶々を入れる。けれど少しだけ笑いながら、その言葉を続けてくれた。


「まぁ、さっきよりマシな表情になったのは良いことね。やっぱりあんた、笑ってるほうが似合うわよ」

「そうかなぁ」

「そうですね、キール様は笑ってるほうが素敵です」


 口に手をあて、表情の筋肉を解す。そんな事を言われたから少し気恥ずかしいけれど、随分と心が軽くなった事はわかったから。


「じゃあ、笑顔の素敵なキール様は……アイラを止めに行かなくちゃな」


 一人でそう呟いた。こんな事を言われたから、死にたくないなと思いながら。

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