最終話 ノブレスオブリージュ③ ~君が誰でも何者でも~

 耳に響く言葉の意味を、理解できたのは少し経ってからだった。霞む頭に動かない体。それから流れる自分の血。


『おい、生きてるかアナザー!』

「何とか」

『安心しろアナザー、あの剣は真っ二つだ』


 眼球だけ動かして、自分の腹を見る。もう輝きを失った剣が、折れて腹に刺さったまま。


「見ればわかりますよそれぐらい」

『待ってろ、今治療班を呼んでやる』


 ようやく動く首のおかげで、周囲を見回すことが出来た。アイラはうつ伏せになって倒れ込んでいたから、すこし安心できた。


 なんて事は束の間で。


「アイラ!」


 衝撃に耐えきれなかった橋が崩れ、彼女の姿が落ちていく。ろくに動かない体で這いずって、這いずって、痛みに耐えて進んでいく。覗けば彼女は左手で瓦礫に捕まり、何とかぶら下がっている。


 上半身を乗り出せば、彼女と目が合う。


「どうして……どうしてあたしなんか、助けようとするんですか? 騙してたのに、キールさんのこと、殺そうとしたのに」


 体中に激痛が走る。手を伸ばしたくても動かない。もはや体力と呼べるものは、俺の体に残っていない。


『おいアナザー動くな、傷が』


 だったら、無理矢理にでも動いてやる。


「パンツリベレーター発動……! 使うのは……俺だ!」


 途切れる息、かすれた声でそうつぶやく。体を動かす方法は、まだ俺に残っている。


『パンツリベレーターシステム発動、対象をパンツより解放し、システムエラー発生、システムエラー発生。装着者のスキルを、全消化する可能性が』

「うるさいな……だいたいパンツなんてものは」


 どいつもこいつも、下着一枚で大騒ぎだ。こんなものただの消耗品だ、無くなったときの対処法なんてただ一つしか無いじゃないか。


「また買えばいいんだよ!」

『パンツリベレーターシステム発動、対象をパンツより解放します。身体能力を限定的にアップデートしました』


 動く。体が、腕が。だったらやるべきことは一つ。


「アイラ、君は!」


 手を伸ばす。ただ真っ直ぐに。迷いもせず。


「誰よりも真面目で、強くて、勇者で! 俺が持って無いものを、山程持っているかもしれない、けど!」


 父の言葉を覚えている。母の優しさも忘れない。そして彼女の手の温もりは、まだこの体を動かしている。


「俺だって、君に無いものを持っている! 背だった俺の方が高いし、金持ちだし、あとはまあ下らない事ばかりだけど!」


 持っているんだ、俺は。勇者の使命と比べられない、ほんの小さな物かも知れない。


「だから!」


 これは義務だ。俺がキール=B=クワイエットであるために、この名前に恥じないために、課された一つだけの条件。


「この手を……掴む権利があるんだ!」


 眼の前にいる彼女は泣いていた。泣き虫なんだなと初めて知った。


「嘘つきですよ」

「ああ」

「人殺しです」

「そっか」

「使命すら果たせない……半端者です」

「それでも」


 右手を強く、強く差し出す。彼女はその右手を、恐る恐る伸ばしてくれる。


「掴んで良いんだ……君が誰でも何者でも」


 その手は涙を拭わない。ためらいがちに指先が触れ、その表情をくしゃくしゃにして。


「……はいっ!」


 掴んだ。この手を強く、力強く。それはきっと何よりも、素晴らしいことだと俺は思えた。


 けど。


「あれ」


 ずれた。思いの外重かったせいか、俺がアイラに引っ張られる。こう半分ぐらいしか出ていなかったはずの上半身があれよあれよという間に川に向かってずるずると。


「ちょ、キールさん!?」


 が、止まる。誰かが俺の足を掴む。感触でわかる、細いその腕の持ち主は、いや俺の足を平気でつかめる人間なんて、彼女ぐらいしかいないのだ。


「全く世話の焼ける人ですね」

「ああ、セツナありがとう」


 後ろから聞こえる声に、素直な礼を述べてみる。彼女は今、どんな顔をしているのだろうか。クスクスと笑うアイラを見れば、振り向けない事を呪った。


「ちょっと、わたくしもいらっしゃるんですけど……?」

「さすがシンシア、美少女の危機は救いに来るな」


 聞こえてくるのはシンシアの声。セツナの体でも掴んでいるんだろう、悪役という言葉は今の彼女に似合わない。


「残念だけど、今日の主役はわたくしじゃなくって……よっ!」


 瞬間宙に舞う俺とアイラ。そのまま尻餅をついてみれば、成る程主役はそこにいた。


「アイラ」


 まだ額に汗を残しながら、レーヴェンがそこにいた。


「レーヴェンちゃん」


 アイラは彼女と目を合わせられなかった。当然だ、罪悪感とかそういう物が彼女を蝕んでいるのだから。


 だがレーヴェンは違った。真っ直ぐと彼女に歩み寄り、小脇に抱えた水晶玉を垂直に彼女の頭に落とす。


「痛いっ!」

「わたしも痛かった」


 まぁそうだろうけどさ。


「……だからこれでおあいこ」


 それから彼女はアイラの手を、優しく両手で握りしめた。


「わかった?」

「うん……」


 涙を拭わず、アイラもまた手を重ねる。これにて一件落着なんだけど、こうね、今の俺にはね、腹に折れた剣が刺さっていてですね。


「それよりキール様の治療しなくて良いんですか?」


 よく言ったセツナ。


『あ、忘れてた。レーヴェンにやってもらえ回復魔法使えるから』


 さらっとハイネ先生がそんな事を言う。


「初耳なんだけど」

『面倒だったんだろ多分……どうせさっきの傷には使えなかったしな』


 はぁそうですか。そろそろ耳も痒くなってきたから、耳栓みたいなそれを外して捨てる。結局この姉妹に良いように使われたような、そんな気分にさせられたから。


 で、当のレーヴェンはどうなったかと言えばさっきからアイラの両手を握りしめてブンブンと振り回しているだけ。仲がいいのは良いことだけどさ。


「頼みづらい雰囲気だな」

「せめて包帯でも巻きましょうか?」

「それもあるけどさ」


 自分のパンツを犠牲にしたおかげか、出血はもう止まっていた。どういう原理だ、とかは考えない。どうせハイネ先生に聞いたところで、俺に理解できない答えが返ってくるのはわかりきっているのだから。


 まぁ、今は傷もあるけど気になる点がもう一つ。


「実は今パンツ履いてなくて……その違和感が凄いんだ」


 そう、今の俺は履いていない。いやズボンは履いてるんだけどさ、ズボン直穿きなんて事今の今までしたことが無かったもので、こう変にスースーするんだ。


「何だそんな事ですか」


 セツナは少し笑いながら、そのポケットを弄った。そして取り出す一枚のパンツ。それを俺に差し出した。


「どうぞキール様、あなたのパンツです」

「ああ、ありがとう」


 受け取ってそれを広げる。あ、これ去年ぐらいに亡くしたと思ってた俺のパンツだ。グレート黒のチェック柄のどこにでもあるトランクス。さすがセツナ用意が良いね。


「……ん? 何でセツナ俺のパンツ持ってるんだ?」


 待て、待て待て待て待て考えろ俺。


 今セツナが俺達の戦いを見て、駆けつける前にパンツを持ってきた? いやそれはない、なにせ俺の荷物は漂流したときに全部どこかに消えたからだ。というかこの無くしていたと思っていたパンツを俺が鞄に詰めている筈はない。それはおかしい。


 だから彼女は、こっちに来てからこのパンツを回収したんだ。その機会があったとすれば。


「あれ、セツナのパンツは二枚盗まれてて、一枚は女性ものの所にあってもう一枚はたしか別のとこに」


 ラシックが盗んだ下着について思い出す。クワイエット家から盗まれたパンツは全部で二枚。んで、それはセツナの部屋から取られたわけで。となるとセツナの部屋にはそもそも。


「なあセツナ、もしかして」


 その答えを聞く前に、彼女はスッと立ち上がる。そして仰々しくスカートの両端を摘んで、行儀よくお辞儀をして。


「キール様、急用が出来ましたので本日は帰らせていただきます」


 そんな事を言いだした。えーっと、なんだ。走り去るセツナを見て思考を巡らせる。この旅についてまとめるなら、きっとこうだろうなんて思いながら。


 ――うちのメイドのパンツが勇者に盗まれたと思ったら、俺のパンツがうちのメイドに盗まれていましたとさ。


 めでたしめでたし、と。





◆◆◆今回の獲得スキル◆◆◆




パッシブスキル:キール=B=クワイエット


アーツ:持つものの義務ノブレスオブリージュ

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