第7話 おいでませ魔王城③ ~パパ食事中~
結局俺の夕食は、パンとスープという質素な物ではなかった。俺達全員が座ってもまだ余裕がある長過ぎる机に置かれるのは、見たことも聞いたこともないようなご馳走の数々。アイラなんかは目を輝かせて両手に食器を持って頬張っている。美味いものを食い慣れている筈のシンシアですら目を丸くし、セツナは覚えるかのようにその味を何度も確かめていた。
「いやー笑った笑った! 女侍らせて旅に出てるって言うからどんな性豪かと思えば、なかなか聡い奴じゃねぇか!」
上座に腰を掛ける魔王様は、酒を煽りながら腹を抱えて笑っている。そりゃ悪うございましたね、性豪なんて気の利いたものじゃなくて。
「パパ食事中」
「すいません」
レーヴェンの言葉に頭を下げる魔王様。豪放な性格が鳴りを潜めるあたり娘には甘いようだ。
「でもどうして牢屋なんかに」
「ハイネから聞いてたんだよ、アナザーの都会で人を驚かせるのが流行ってるってな。違うのか?」
「はいその通りです」
そう言えば俺そんな事言ってたな、自業自得だったんだなって。
「あとお前が来るまでサボってた」
「はい」
どことなく親近感が湧く。どうやら恐怖と破壊の象徴は、思いの外人間臭かったらしい。
「あそこのうるせぇババアには言うなよ、おしめを替えてあげたから始まる説教がクソ長いんだ」
「わかりました」
彼は隣に座る俺に耳打ちして、脇に立つ老婆を指差す。酒のせいもあってか、思わず頬が緩んでしまった。
「で、レーヴェンどうだったアナザーの国は。楽しかったか?」
グラスの酒を飲み干して、魔王様は愛娘に笑顔でそう尋ねた。
「悪くなかった」
「そりゃ良かった」
「安心してパパ。偽勇者捕まえたら今度は本物倒しに行くから」
頬張っていたご馳走を飲み込んで、レーヴェンが堂々とそう答える。そうか本物の勇者についての話を、彼女はまだ知らないのか。
「……言わなくて良いんですか」
「ありゃ歴代魔王だけの秘密だからな。ハイネはまぁ天才過ぎて別枠だ」
「なんでそんな大事なことを俺に?」
「そうだなぁ」
笑顔で顎をさすりながら、魔王様は言葉を続ける。
「あーあ、どこかにこっちの事情も明るくて可愛い娘に手出ししないアナザーの良い人手伝ってくれないかな! そいつも付き添うなら俺としても安心なんだけどな!」
そして俺に視線を向ける。この人計ったな。
「おやこんなところキールが」
「……ハメました?」
「何のこと?」
ため息が出る。何の事はない、初めからこの男は俺に娘のお目付け役をやらせる予定だったのだ。だからこそあんな重要な事を教えてくれた。もちろん理由は娘が可愛すぎるからだ。
「ま、そういう訳だレーヴェン。勇者探しはキールと一緒なら構わないぞ」
「やった、パパ大好き」
そう言われて満足したのか、魔王様が俺の肩を軽く叩く。
「まあタダとは言わないさ。報酬はまだ考えてないけどな」
「良かったですねキール様、エルガイスト王からも魔王からも勅命を頂いて」
「貧乏くじって言うんだよこういうのは」
本家本元の王様からは偽勇者を倒してくれ、その裏側の王様からは本物の勇者を捕まえてくれ。ちなみに報酬については未定と言う名の予定である。これが不運じゃなくて何だと言うんだ。
一気に手元の酒を飲み干し、改めて周囲を見回してみる。ここは地獄の一丁目、の筈なのだが随分と和気藹々としていた。この目に映る景色を誰に見せたって、魔王城だなんて思わないだろう。なんてぼんやりとしていると、アイラと目が合ってしまう。
「アイラどうした?」
「あ、いえ……優しい人って、結構どこにでもいるんだなって」
その言葉を誰が指しているのか、酔った俺の頭にはわからない。それでもここにいる誰かの事なら、それで十分なような気がした。
「みんな気づいてないだけさ」
「そう、ですね」
なんて話をしていると、顔を真赤にした魔王様が俺の肩を強く掴んできた。もげそうなぐらい痛い。
「そういやキール、お前パンツ食ったり霧散させたりして強くなるんだって? ハイネから聞いたぞ」
「いやまぁ、その通りです」
否定できない自分が悲しい。
「しかも俺のパンツ食べてたらしいな。うまかったか?」
「涙の味でした」
「そりゃお粗末様でした」
「パパ食事中」
「すいません」
いやお前が食わせたんだろレーヴェン、という言葉は飲み込む。いつか食べた、横にいるおっさんのパンツの味と共に。
「まあ飯食い終わったらちょっと付き合えよ。どうせ暇だろ」
「そうですけど……何かあるんですか?」
そして彼はニヤリと笑う。あ、これ碌でもないなと直感が告げるがもう遅い。魔王城で魔王に逆らうなんて事は、地方領主の俺に出来るはずもない。それこそ出来る人間がこの世にいるとしたら、だ。
「食後の運動だよ」
この世界のどこかにいる、正真正銘の勇者ぐらいだ。
案内されたのは魔王城の中庭、といっても豪華な庭園というよりはただの広場という印象だ。
「よっしキール、どこからでもかかって来い」
「そんな馬鹿な」
首を鳴らしながら挑戦的な台詞を吐く魔王様。いやなんだかかってこいって食後の運動とかそういうレベルじゃないでしょこれ。
「ほれ俺のパンツ二枚重ねてるから。霧散させたら同等なんだろ」
「試したことないですけどね」
やっぱやめにしませんか、なんて言葉は出せない。食事までご馳走になっておいて、軽い運動に付き合わないというのは失礼極まりないというもの。
まあ、命懸けだけどさ。
「……パンツリベレーター、発動!」
とりあえず叫んでみる。そういや使い方聞いてなかったなと思ったが、魔王のパンツが光って粒になったので多分合っているのだろう。
『パンツリベレーターシステム発動、対象をパンツより解放します。身体能力を限定的にアップデートしました』
手を握り、開く。体が軽くなったという都合のいい感覚は無いが、ハイネ先生を信じることにした。
「準備できまし」
顔を上げる。拳が近づく。
「たあっ!?」
避ければその風圧が前髪を少し散らす。
いや、なにこの威力パンチしただけですよねこの人ってば。
「なるほど、流石ハイネの技術だな」
間髪入れずに飛んでくる蹴り。それをいなし避けて初めて、自分が強くなったという事実を実感する。それと同時に目の前にいるのが、それ以上に強い生き物だとわかる。
「オラオラどうしたキール! そんなんじゃうちの娘の護衛は務まらねぇぞ!」
拳、拳、足、肘、膝、拳、足。絶え間なく飛んでくるその攻撃を躱すだけで精一杯だ。
「死ぬっ、死ぬうっ!」
「その台詞はな」
魔王が構えを変える、いやただ手をかざしただけ。それを使ったことがあるから理解してしまう。
「こういうのを……喰らってから言うんだな!」
瞬間、爆発した。俺がクワイエット領で使ったものとは比較にならないそれが起こる。地面が抉れ大地が揺れ、視界が白く霞んでいく。
あ、死んだな俺。走馬灯なんて景気のいい物を見る間もなく、無様に尻餅をついてしまう。
なんて思っていたら、爆発は収束しそのまま綺麗に消えてしまった。魔王様はうつむいて、つまらなさそうにため息をついた。
「ま、付け焼き刃じゃこんなもんか」
「こんなもんって、誰か魔王様にいるんですか勝てる人」
「そりゃお前勇者だろ」
何の臆面もなく魔王様が答える。意外だこんなに強いというのに。
「む、勘違いすんなよキール。腕力とか魔法とか……そういう物で戦えるなら俺は絶対に負けはしない。ただ青い刃だけはな、どうしても無理なんだよ」
面倒臭そうな諦めるような、そんな表情で答えてくれる。そんなに凄いのか勇者の剣、こんな相手に勝てる方法見つからないぞ。
「ま、そういう訳だキール。勇者とドンパチやる時はお前に頼むぜ」
「……冗談ですよね?」
「だったら良かったな」
え何俺が戦うの勇者と聞いてないよそんなのと言いたいけれど、もう魔王様は広場を後にした後だったから。
「……食後は運動するもんじゃないな」
誰に言う訳でもなく呟いて、ただその場に倒れ込む。星空でも眺めようにも、重くなった瞼がそうさせてくれなかった。
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