第111話 千紗の決起②

「……チビ助」


 振り返るとそこには、騒ぎを聞き付けてやって来たのであろう朱雀帝が、今にも泣き出してしまいそうな、物悲しげな表情で千紗を見つめていた。


「千紗……姫様……千紗姫様まで私を置いて……行ってしまうのですか?」

「………」

「行かないで……行かないで下さい。私を一人にしないで下さい姫様……」


 一人置いて行かれる事が不安なのだろう。

 消え入りそうな弱々しい声で、必死に行くなと訴えてくる。


「チビ助……」


 一度信じていた貞盛に裏切られ、置いいかれてしまった朱雀帝は、千紗もまた自分から離れて行ってしまうのかと不安を抱いているのだろう。

 そんな朱雀帝の抱える寂しさを察して、千紗はすっと、清太に差し出していた手を、今度は彼に向かって伸ばした。


「……え?」

「来るか? お主も一緒に」

「わ、私も?」

「置いて行かれるのが怖いのであろう」

「……でも……」

「それに、貞盛の事も心配であろう」

「…………」

「行くなと言う願いは聞いてはやれぬ。だが、一人にするなと言う願いならば叶えてやれる」

「ちょ、ちょっと姫様? こいつを連れて来いなんて、秋成の兄貴には頼まれてないよ?」


 千紗と朱雀帝のやりとりに、焦った様子で清太が割り込んで来た。


「ならば私が命じよう。こやつも共に連れて行け」

「えぇ? でも、おいら一人で姫様とそいつ、二人もなんて守れないよ」

「はいはいはい、じゃあ僕も、僕も一緒に行く!」


 そして更にもう一人、千紗達の会話に割り込んで来た人間が――


「はぁ~?! 春太郎まで何言ってんだよ。そんなにいっぱい余分な人間連れてったら、おいらが兄貴達に怒られちまう」

「清太が一人じゃ姫様達を守れないって言うから、じゃあ仕方がないから僕もついて行って、清太に力を貸してあげるよ」

「何がだよ。弱虫春太郎のくせに! 」

「弱虫じゃないよ! 僕だって少しは力になれるもん!」

「こらこら、喧嘩などしている場合ではなかろう。怒られる時は私も共に怒られよう。だから頼む清太、チビ助も共に連れ行け。春太郎も私達に力を貸してくれ」

「うん、勿論だよ千紗姫様!」

「でも姫様……」


 喜ぶ春太郎と愚図る清太。まだ納得できてはいない清太を無視して、千紗は強引に話を決着させた。


「よし、そうと決まれば、急いで小次郎達の元へ向かおう。行くぞ清太、春太郎、チビ助!」

「え……え……? えぇ?!」


 朱雀帝の意見も聞かないままに、千紗は彼の手を強引に掴んで引っ張った。

 千紗に引き摺られるまま、朱雀帝は屋敷の外へと連れて行かれ、清太が乗ってきた馬に乗せられる。

 今更行かないとは既に言えない雰囲気。

 戦地へ赴くなど初めての経験で、朱雀帝の心臓は恐怖に押し潰されそうな程バクバクしていた。情けない程に手足も震えている。

 だが、覚悟を決めて朱雀帝もまた真っ直ぐ前を見据えた。

 怖いけど、千紗まで自分から離れて行ってしまったら……また一人暗闇に取り残されてしまったら……そっちの方がよほど怖いと思った。

 だから千紗が差し伸べてくれたこの手を離さない。そう覚悟を決めて――


 こうして千紗と朱雀帝、そして清太と春太郎の四人は、小次郎達が待つ下野へ向かうべく豊田の地を後にした。


  ◆◆◆


 ドタバタと旅立って行った千紗達を見送った後、屋敷に残った景行は、一人あの祠の前に立っている。


「行ってしまいました。あの破天荒な姫君を見ていると、暇な隠居暮らしも飽きませんね。次は何を仕出かすのかと、いつもハラハラさせられて。……でも、あの真っ直ぐな瞳を見ていると、止めるべきだと分かっていても、ついつい応援したくなってしまう。父上も、ああ言う子は嫌いじゃないでしょう?」


 まるで誰かと語らっているかのように、祠に向かって語りかける景行の口調は穏やかで、クスクスと笑いまで溢している。


「父上、悪さばかりしていないで、たまには“雷神”の名に相応しい働きをしてみませんか」


 景行の語らいに、そよそよと心地良い風が吹き、彼の頬を撫でた。

 その風に景行は更に穏やかに目尻を緩めると、祠に向かって手を合わせる。


「どうかあの子を、あの子達を、降りかかる全ての厄災からお守下さい――」

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