第110話 千紗の決起
――豊田・小次郎の館
「千紗様、先程から何を熱心に祈られているのですか?」
「おぉ景行殿。これは、小次郎や豊田の皆の無事を祈っているのだ」
「そうですか。熱心なのは良いですが、食事はちゃんと摂らなくてはいけませんよ。春太郎殿もヒナ殿も桔梗殿も、皆心配していましたよ」
「あぁ、もうそんな時間か………」
小次郎達を見送ってから、どれくらいの時間が経っただろうか。景行に声をかけられ、気付いた時には東にあったはずの太陽が西に沈みかけ、辺りは薄暗くなっていた。
時が経つのも忘れて、小次郎達が戦へ赴いてからずっと千紗は一人、小次郎達の無事を祈り続けていた。
小次郎の館、その北東角には景観を無視して立つ、人の背丈程の小さな鳥居が存在していて、鳥居の先には更に小さな――鳥小屋程の大きさしかない祠が置かれていた。
どうしてこんな所に祠があるのか、どんな神様が奉られているのか、千紗は知らない。
その一画はあまりに静かで、まるで遠ざけられているかのような、何とも不気味な雰囲気のある祠。
それでも千紗は、藁にもすがる思いで今日一日、その祠に向かって祈り続けていたのだ。
「時間も忘れて祈っていらしたのですね」
「私に出来る事なんて、これくらいしかないからな……」
「そんなに熱心に祈られては、怨霊と恐れられている雷神様も、手を貸さないわけには行きませんね」
「……え?」
何故か声量を落とした景行の言葉はうまく聞き取れなくて、千紗は首を傾げる。
「いいえ、こちらの話です」
笑っている理由を教えてくれるつもりがないのだろう景行の様子に、千紗も無理に聞くつもりはなくて、直ぐに興味を祠へと戻した。
(神様、どうか……どうか小次郎を、秋成を、皆を……お守り下さい)
千紗が祈りを捧げる事で、再び静寂が広がる。
だがその静寂は直ぐに破られ、屋敷のどこか遠い所から、何やら騒がしい声が聞こえて来た。
「……た~!……って来きましたよ~~~!!」
「? 何事だ?」
「はて、何かあったのでしょうか?」
騒がしさに千紗は、景行と顔を見合わせる。
「帰って来ました~! 帰って来ましたよ~〜!!」
段々と近づいてくる来る声に、何を言っているのかはっきりと聞き取れるようになった頃、千紗は慌てて立ち上がり、騒ぎの方へ向けて一目散に駆け出した。
「帰って来た? 小次郎達が帰って来たのか?!」
「あ~~姫様! やっと見つけたぁ!」
「清太っ!?」
駆けつけた先、人が群を成す中に見つけたのは小次郎達豊田の武者と共に戦に赴いたはずの清太の姿。
千紗は、思わず清太に向かって抱き付いた。
「良かっ……無事……だったのだな……」
「姫様、苦しいよ」
「無事だったのだな清太。他の者は? 小次郎は? 秋成は? 四郎は? 皆も無事か??」
「大丈夫! み~んな無事だよ!」
清太からの報告に“ぱぁっ“と顔を輝かせた千紗。苦しがる清太を解放してやりながら、辺りを見回し小次郎達の姿を探した。
だが何故かそこに、小次郎の姿も、秋成の姿も見つけることはできなかった。
いるのは清太、ただ一人だけ。
「……他の者達はどうした? 何故清太一人だけなのだ?」
「姫様落ち着いて。他の人達はまだ戻って来てないよ」
「何故じゃ? 皆無事と言うのなら、何故戻って来ておらぬのだ?」
「何故って、そりゃまだ戦は終わってないからだよ」
「終わってない? では何故お主はここに? 戦況は? 戦況はどうなっておるのだ? 小次郎達は負けておるのか??」
「大丈夫。小次郎の兄貴の作戦のおかげで戦況はこっちに傾いてるよ。敵が豊田の地に押し入ってくる心配はもうないはず。あとは敵を追い詰めてとどめをさすだけだ」
清太の言葉に、屋敷中の者達から安堵の声が溢れた。
だが、千紗だけは表情を少し曇らせていた。
「それでね、何でおいらだけ豊田に戻って来たかと言えば、何故だかおいら、姫様を戦場に連れてくるよう、秋成の兄貴に頼まれたんだ。だから戻って来たんだけど……」
「秋成が?」
次に清太が紡いだ言葉に、再び千紗の瞳に光が宿り始める。
――『俺が……俺が兄上について行きます。兄上の側で俺が兄上を見張ります。もし兄上迷いがあったその時は、俺が兄上を止めます』
秋成が千紗を呼んでいると言う事は、つまり――
やはり小次郎にはまだ、叔父達を討ち滅ぼす事に迷いがあって、本当は止めて欲しいと願っていると言う事か。
「分かった。私を小次郎達の元へ連れて行け」
千紗は迷う事なく応えた。
戦場に自分が赴いた所で、何が出来るかは分からない。足手まといになる事も重々承知している。だからこそ、一度は秋成に託した。
それでも、小次郎が今もまだ戦う事を悩んでいて、迷っていて、苦しんでいるのだとしたら……やっぱりじっとなんてしていられない。
行かなければ。行って自分に出来る精一杯の事をしなくては。きっと後悔する。小次郎も、千紗自身も。
だから――
千紗は協力を求めるように清太に向かって手を差し出した。
と、その時、千紗の背中に悲しげに彼女の名を呼ぶ声が掛かった。
「千紗姫様……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます