第108話 下野国庁付近の戦い④


「何?! 良兼様が逃げた?」

「つまりはおいら達は見捨てられたって事か……」

「くっそ、ふざけるな! これ以上付き合ってなんかられねぇ。俺達も急いで逃げるぞ。大将が逃げ出したのに、関係のない俺達が死んでたまるかっ!」

 

 玄明と清太の伝えた情報は、偽りと疑われる事なく瞬く間に敵軍の兵士達の間に広まって行く。

 広まる事で、次から次へと兵士達が戦場を離脱して行く。

 大蛇の如く連なっていた長い長い列は、驚く程あっけなく崩れさった。


「そうだ、逃げろ逃げろ。お前達を縛りつけていた糞役人の圧力になんて屈する必要はねぇ。きっと将門が討ち滅ぼしてくれるはずさ。お前達はもう自由だ。何処へなりとも逃げるが良い」


 そう呟きながら玄明は、何の被害もなく無事に隊を脱して行く兵士――もとい、農民達の姿を満足気に見送った。


 そして小次郎もまた、玄明と清太の活躍によってみるみる解体されて行く敵の様をじっと見つめていた。

 見つめながら「今が攻め時か――」と、ポツリと呟いた小次郎は、ついに隠していた愛馬に跨がり馬上から味方を鼓舞する声を上げる。


「皆、よくやってくれた。皆のおかげで予想以上に敵の力を削ぐ事ができた。礼を言うぞ」

「そんな、小次郎様の作戦が見事だったからですよ」

「待ち伏せて挟み撃ちなど、少し卑怯ではあったがな。だが、ここからは正々堂々と行く。皆、今暫く俺についてきてくれ」

「はい、勿論です。私達はどこまでも小次郎様について行きます!」

「頼もしい限りだな。よし、では最後の仕上げと行こうか。皆、馬に乗り刀を持て。ここからは正々堂々敵陣へ突っ込むぞ!」

「「「おぉ~~!!!!」」」


 雄叫びを挙げながら、小次郎率いる50あまりの兵が、壊滅寸前の良兼軍目掛けて突進して行く。

 それを合図に、向かい側に潜んでいた四郎率いる50あまりの兵も、小次郎達の勢いにつられて突進する。

 両側から挟み撃ちで奇襲を仕掛けてくる小次郎軍。

 対する良兼は、いつの間にか追い詰められた状況に、憎々しげに唸り声を上げた。


「お~の~れ~~~小次郎め〜! よくも、よくもやってくれたな~!」


 だが、どんなに唸ってみたところで、手足をもがれた今の良兼軍では、精鋭揃いと名高い小次郎軍に対抗しうる手立ては思い付かなかった。


「仕方ない。良正、貞盛、重盛、ここは一旦退くぞ」

「そうだな良兼兄い。ここは一度引いて、体制を立て直した方が良い。だいぶ戦力を削がれたとは言え、数ではまだ俺達の方が勝っているはずだ。体制さえ立て直せたら、きっとまだ勝ち目はある」


 早々に退却を選択した良兼に、賛成を示す良正。


「しかし伯父上、ここで逃げるなど私はしたくありません。数で勝っていると言うならば、きっとまだ勝ち目はあります。たがら今暫くは戦って様子を見るべきです」


 反対に繁盛は、良兼の決断に納得できない様子で強く反対の意を唱えた。


「ええい、黙れ重盛! 口答えは許さんぞ。将は私だ。私が退けと言ったからには退くのだ! 」

「ですが、退くと言ったって、一体どこへ逃げるおつもりですか? 敵に背中を見せ撃たれたとあっては、俺達は坂東中の笑い者になりますよ」

「そんな事には絶対させぬわ。絶対逃げおおせてみせる。わしだって何の考えなしに言っているわけではない。考えがあっての策だ」

「考え? それはどのような策なのですか?」

「思い出してみろ。ここは下野しもつけの地に近い。そして下野国庁にも近い」

「なるほど、良兼の兄いは下野の国府庁に逃げ込むつもりなのか」


 隣で訊いていた良正が口を挟む。


「そうだ。わしは上総介として下野の役人とも面識がある。必ずやわし等の力となってくれよう。国庁にさえ逃げ込めれば、きっと小次郎はわし等に手出しできなくなる。国庁に手を出すと言う事、それ即ち国家の謀反人となると言う事だからな。その間に時間を稼いで体制を立て直せれば、わし等にもまだ勝機はある。だからここは一旦退くのだ」

「……ですが」

「良いから引け! これは命令だ!」

「…………分かり……ました……」


 良兼の一喝に、渋々同意を示した繁盛。

 未だに納得はできていない様子で、強く唇を噛みしめながら、悔しさに満ちた声で自国の兵に退却を命じた。


「皆、一旦退くぞ! いいか、ここは良兼様の後に続け。逃げ出す事は決して許さない! 少しでも逃げようとする者がいたら、後ろから俺が射殺してやるから覚悟しろ!」


 繁盛が放つ凄まじい程の威圧感に、兵士達は顔を真っ青に染めながら、彼の命に従った。


「おのれ平小次郎将門! 俺は絶対にお前を許さない! 」


 そう悔しげに怨み言を吐き出しながら、繁盛は逃げる味方兵の最後尾について、何度も何度も後ろを振り返る。


「許さないからなっ!!」


 茂みの隙間から一瞬、僅かに見えた小次郎の姿に最後の悪あがきとばかりに手にしていた矢を構え、怒りに任せてギリギリと力一杯弓矢を引いた繁盛。

 小次郎に向けて照準を合わせた矢は“パン”と言う玄が切れた音と共に、物凄い勢いで飛んで行く。

 そして、草原に生い茂る草花の間を突き抜けて、小次郎の元へと一直線に突き進む。



「死ねっ!将門っ!!」



__________


国庁こくちょう

中央から諸国に赴任し、在地勢力である管内諸郡の郡司を統率して一国の政治を行った。その政庁を国衙こくがあるいは国庁といい、政庁所在地を国府といった。

今で言う県庁のような場所です。

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