第107話 下野国庁付近の戦い③

 矢に倒れる者があれば、混乱は更に深まって行く。

 敵軍の兵達はついに、我こそは何とかして逃れようと、前後で道を塞ぐ味方に殴りかかる者達まで現れて、醜い仲間割れを始める始末。

 見るに見かねた小次郎が、思わず敵軍に向かって大声で叫ぶ。


「茂みだ、茂みへ逃げろ!」


 小次郎の声を受け、どこからともなく新たな声が加わった。


「茂みだ~茂みへ逃げろ~」


 そして、その言葉は次から次へと伝染して行き、一人、また一人と、良兼軍の兵士達は隊列を外れて茂みの中へと逃げて行く。


「小次郎様? 何故敵にわざわざ逃げ場をお教えするのですか?」


 逃げ出す幾人の敵兵を横目に見ながら、小次郎の部下の一人が唖然とした様子で小次郎に尋ねる。

 尋ねた部下達に小次郎は迷いのない、凛とした物言いでこう返した。


「俺の目的は敵の戦力を削る事だ。殺す事じゃない。いいか、逃げて行く者達は放っておけ。絶対に手を出すな」と。


  ◆◆◆


 その頃、良兼軍の間では――


「待て、逃げるな! 戦え!!」


 小次郎の助言から、我先にと茂みへ向かって逃げ出す兵士達の姿で溢れる中、次から次へと降り注ぐ止まない矢の雨を勇ましく刀で払い除けながら、一人躍起になって逃げるなと訴える男の姿があった。

 男の名は繁盛。貞盛の弟だ。


「伯父上。伯父上達もあの腰抜けどもを止めて下さい。これは敵の作戦です。こっちの人員を割くための――」

「こら良正、私を守れぇ! 守れ守れ、守ってくれぇ~!! 私は大将なのだぞ」

「うわ、良兼兄い、離してくれ。 俺だって今はそれどころじゃない。自分の身くらい自分で守ってもらわないと」

「何だと薄情な。 お前が一人では勝てないと泣きついてきたから手を貸してやったのに、わしへの恩を仇で返す気か?」

「はぁ? 兄いこそ一人じゃ何も出来ない木偶の坊だろう。小次郎を恐れ手をこまねいていたくせに!」

「な、なんだと!?」

「何だよ!」


 だが、繁盛の必死の訴えも虚しく、大将と副将であるはずの良兼、良正は、みっともない兄弟喧嘩を始める始末で――


「良兼叔父上、良正伯父上! 喧嘩などしている場合ではありません! 軍を建て直さないと。伯父上、伯父上! ……くそっ!」


 自分の声など全く届いていない様子で、みっともない仲間割れを続ける二人を、腹立たしげに睨み付けながら、次は自分のすぐ隣にいるだろう兄、貞盛を呼ぶ繁盛。


「兄者、伯父上達では大将として役不足だ。こうなったら俺達でこの状況を何とかしなければ。とにかく兄者も逃げるあの腰抜け連中を何とかして止めてくれ。このままでは敵の思う壺だ。何とかして軍の建て直しを図らなければ」


 だが、繁盛の言葉に、帰ってくる声はない。


「……兄者?」


 不思議に思って、繁盛が視線を向ければ、そこにはもう既に貞盛の姿はなく――


「兄者? 兄者!? 何処に行ったんだ!?」

「恐れながら、も……申し上げます。貞盛様は誰よりも先に……茂みの方へと………向かわれて……」


 繁盛直属の兵士の一人が恐る恐る進言する。


「まさか逃げたのか? 自分だけのこのこと、兄者は逃げたのか?」

「お、恐れながら……そのようにお見受けできましたが……」


 貞盛の逃走の一部始終を見ていたらしい部下の報告に繁盛は言葉を失う。

 将を見捨て、あっさりと逃げ出して行く部下達。足の引っ張りあいをするだけの無能な将。そして、部下も将も、そして弟さえもを見捨ててさっさと一人逃げ出した薄情な兄。

 それら無情な出来事の数々に、ついに繁盛の怒りは爆発した。


「逃げるな、戦え! さもなくばお前達の命、今ここでこの俺が貰い受ける!」


 逃げ惑う兵の一人を掴まえて、見せしめとばかりに首を無惨にも斬り落としてみせた繁盛。

 怒り狂った繁盛の行動に、目撃した兵士の多くは逃げる事も忘れ、その場にへなへなと座り込む中、繁盛は一人低く唸るような声で小次郎への怨み言を吐き捨てるのだった。


「おのれ小次郎将門、許さんぞ。俺は絶対にお前を許さない!」


  ◆◆◆


 敵将の一人、平繁盛が戦況に苛立ちを見せる中、小次郎軍はと言うと――


 敵の兵士が次々に戦場から逃げ出して行く様を満足げに見つめながら、次の一手に動き出していた。


「よし、予想以上に敵の心臓部の人員は減らせたな。清太、お前達の出番だ。作戦通り頼んだぞ」

「任せて小次郎の兄貴! おいら頑張るよ!」


 小次郎の次なる指示に、清太はわくわくと瞳を輝かせながら、草陰に隠していた一頭の馬に跨がり、草原を北に向かって駆け出して行く。

 清太の動きを見て、向かい側にいた四郎もまた、玄明へと指示を出した。


「おっさん、清太が動き出した。おっさんも準備して」

「お、ついに俺様の出番が回って来たか。あのチビっ子が北に向かったと言う事は、俺様は南に向かえば良いわけだな」


 そう言って玄明もまた、隠していた馬に跨がると草原を清太とは反対側の、南に向かって駆け出した。

 そして――


「敵襲~敵襲~! 将門軍に襲われて、大将良兼は軍を離脱した。もうお前達に戦う理由なんてねぇ。敵に捕まる前に早くここから逃げるんだ!」


 偽りの情報を吹聴し、更に敵の兵力を削ぐ為に大声で叫んで回った。

 清太は敵軍の前方を目指して。

 玄明は敵軍の後方を目指して。

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