第102話 出陣の朝
――936年6月27日
昨晩小次郎の元へともたらされた、伯父良兼出陣の報せを受け、小次郎率いる百余名の兵は、まだ日も登りかけの早朝、豊田を出立すべく小次郎の館の門前に集まっていた。
「小次郎様、小次郎様、 お待ちくだせぇ。是非ともおら達も連れて行ってくだせぇませ!」
「やっと決意さ固まりました。おいら達も小次郎様と戦うって。なぁ皆!!」
「「「おぉぉ~~!!!」」」
そこに豊田に住まう民人達が、群れを為して騒ぎ立てている。
小次郎と共に良兼と戦うべく、自分達も戦地へ連れて行って欲しいと。
豊田に住まう民人達も、ついに小次郎と供に戦う覚悟を固めたようだ。
「すまないが、皆を連れて行くわけにはいかない」
だが小次郎は、民人達の申し出をきっぱりと断った。
「な、何故ですじゃ小次郎様?! 儂等では足手まといか? 鍬ばかり握っている儂等では小次郎様の役には立てねぇですか?」
「俺達だって必ずお役に立ってみせます。お願いします小次郎様、是非俺達も連れて行ってください」
「すまないが、その気持ちだけ貰って行くよ。ありがとう。前にも話したと思うが、今回の作戦は小回りが利いたほうが勝算があるんだ」
「それは理解してるつもりだけどよぉ、いてもたってもいられねぇんだよ。おら達だって、何か出来る事がしたいんだ。おら達みんな、小次郎様を信じて付いて行くって、そう決めたんだから」
「皆の気持ちは十分分かった。だが俺にも決めた覚悟があるんだ。この身内同士の争いに皆を巻き込むまいとな。俺を信じてついて来てくれるのであれば、尚更ここで待っていて欲しい。俺を信じて、皆は皆の仕事をしてこの豊田の地で待っていてくれ」
「「「…………」」」
ニッコリ微笑む小次郎に、皆それ以上小次郎を説得する言葉を失った。
小次郎の笑顔は自信に満ちていたから。
この人ならば、本当に何とかしてしまうのではないか――そんな予感すら感じられたから。
故に皆、小次郎の勝利を信じて、大人しく戦に赴く小次郎と彼の率いる精鋭部隊を見送る事にした。
「「「御武運を、お祈り申し上げております」」」
「……あぁ、行って来る。皆留守を頼んだぞ」
「「「はいっ!」」」
小次郎を見送る人垣。
そこから少し進んだ先、塀の陰に隠れるようにポツポツと疎らな人影があった。
大勢の民人達に見送られながら、屋敷を囲う土壁沿いに馬を進ませ始めた小次郎だったが、「小次郎」と呼び掛ける声と供にその人影に気付いて、再び歩みを止める。
「……千紗」
小次郎は小さく声の主の名を呼び、視線を向けた。
何か言いたげに口を開きかけた千紗の後ろから、もう一人ぴょこんと顔を覗かせる人物がいたかと思うと、その人物は千紗の言葉を遮り無邪気な声を上げた。
「四郎の兄貴、兄貴もいっちまうのか?」
「ん? おう、誰かと思えば清太じゃないか。それに春太郎とヒナも。姿が見えないと思ったら、お前等揃ってこんな所に居たのか。何だ何だ、こんな所で隠れてどうした?」
小次郎のすぐ後ろを、馬でついて歩いていた四郎。彼に名を呼ばれた清太と、それから春太郎の二人は、小次郎と四郎が乗る馬の元へと無邪気に駆け寄って行く。
「ちげ~やいちげ~やい!おいら達も連れて行ってもらおうと思って、兄貴達を待ってたんだよ」
はしゃぐ清太に、小次郎は静かに千紗を睨む。まるで牽制するかのように。
小次郎から向けられる静かな怒りに、一瞬怯んだように視線を逸らすも、千紗は一歩前へと歩み出て、馬上の小次郎へ真っ直ぐな視線を向けた。
「小次郎……」
「……」
「……やはり行くのか?」
「あぁ……」
「そうか……。ならば――」
「悪いが千紗、お前は連れては行けないぞ?」
千紗が言いかけた言葉を遮って、小次郎は千紗が言うより先に釘を刺す。
――千紗も連れて行け。彼女ならばきっと、そう言うと思って。
だが、千紗から返ってきた言葉は、小次郎の予想とは違うものだった。
「…………そんな事は……分かっておる」
「……?」
「私が付いて行った所で、足手纏いにしかならぬ事くらい、ちゃんと分かっておる」
「……千紗」
「だから、私の代わりに秋成を、秋成を連れて行って欲しいのだ」
千紗の言葉に、それまで全く姿の見えなかった秋成が、馬に跨がり塀の陰から颯爽と姿を現した。
「んでもって、ついでにおいらも~!」
清太もまた元気良く手を上げながら、千紗達の元へと駆け戻り秋成の隣に並んだ。
嬉しそうに秋成の隣に立つ清太の姿を振り返りながら、春太郎は言う。
「本当は僕も連れて行って欲しいんだけど……」
「ダメだって! 春太郎は留守番して姫さんとヒナを守るって、秋成の兄貴と約束したろ?」
「分かってるよ。もう~清太の馬鹿!」
「はぁ~? 何で馬鹿なんだよ。昨日ちゃんと公平に虫拳で決めただろ。負けた春太郎が悪いんだ」
話の腰を折って言い争いを始めてしまう春太郎と清太。
そんな二人を無視して、千紗と秋成は小次郎への交渉を続けた。
「この二人ならば、お前の役に立つだろ、小次郎」
「兄上、千紗姫様の変わりに是非、俺と清太も共にお連れ下さい」
「……千紗……秋成……」
痛い程真っ直ぐで、真剣な目を向けてくる千紗と秋成に、小次郎の顔は苦痛に歪む。
本当ならば秋成と言えども戦場に連れて行きたくはない。それでも、千紗なりに一生懸命模索し、妥協点を探した結果の交渉なのだろう。その気持ちを考えると、千紗の思いを無下に断るのも申し訳ない気がしてならなかった。
それになにより、ここで頭ごなしに反対して千紗がこれ以上素直に諦めてくれるとも思えなかった。
暫くの間、眉間に深い皺を刻ませ考え込む小次郎だったが、千紗と秋成、二人から向けられる熱い視線に「はぁ……」と大きく溜息を吐くと
「好きにしろ」
たった一言、それだけを言い残して、小次郎は止めていた馬の歩みを再び進めた。
「良かったな姫さん。兄貴からお許しが出たぜ」
千紗に向かって片目を瞑って見せる四郎。
秋成と清太に、隊を付いてくるよう促しながら四郎もまた小次郎の後に続いて馬を進ませた。
もっと反対されるかと思った願いが、以外にもあっさり聞き入れられて、唖然としながらも千紗はへなへなとその場に座り込んでしまう。
「千紗姫様、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。問題ない」
馬を下りて千紗の元へと駆け寄ろうとする秋成を制して、千紗はすぐに立ち上がる。
「小次郎からの許しは出た。秋成、後はお前に任せたぞ」
「……はい」
すぐさま気持ちを切り替えた千紗の思いをくみ取って、秋成は馬を下りる事を止め、馬上から千紗のその思いを受け止めた。
__________
●
蛙と蛇となめくじの三すくみによる拳遊び。
現代のじゃんけんのようなもの。
人差し指が蛇、親指が蛙、小指がなめくじを現す。蛙はナメクジに勝ち、ナメクジは蛇に勝ち、蛇は蛙に勝つ。
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