第101話 決起

「……ない。忘れてなどやるものか。言ったであろう、千紗も一緒に背負うと。あの言葉に嘘偽りなどない。見くびるな!」

「……千紗……」

「私は――」

「千紗姫様ぁ~、どこにおられるのですか? 千紗姫様ぁ~」


 小次郎の手を離すまいと、再び手を伸ばしかけた時、どこからともなく聞こえて来る千紗を呼ぶ声。その声に千紗の言葉は遮られる。


「待て、千紗姫様は今取り込み中だ。邪魔をするな」

「うるさい! うるさいうるさい! お前こそ私の邪魔をするな!!」


 秋成と朱雀帝だ。


「……呼んでるぞ?」

「……」


 二人に邪魔をされて、話の腰を折られた千紗は、言葉に詰まった。

 そんな彼女に、小次郎は今一度千紗の頭をポンと叩く。


「ありがとう。お前が話を聞いてくれたおかげで少しスッキリした。スッキリしたおかげで覚悟も決まった。もう十分だ。だから俺の事はもう良い。もう大丈夫だから、ほら……行ってやれ」

「だが今は――」

「千紗姫様、私を一人にしないで下さい。千紗姫様ぁ~……」

「ほら、お前を必要としてる奴が、他にもいるんだ。行ってやれよ。お前は困ってる奴がいたらほっとけない。そう言う奴だもんな」


 ニコリと微笑みながら、千紗の手を放した小次郎。


「……こじっ」


 放されてしまったその手を千紗は慌てて掴もうとする。だが――


「見つけました千紗姫様! もう、探しましたよ。私の側にいて下さると約束したのに、目が覚めたら千紗姫様の姿が見えなかったから。千紗姫様、私を一人にしないで下さい」


 丁度その時、部屋に駆け込んで来た朱雀帝によって邪魔されてしまう。

 やっと見つけた千紗の姿に、朱雀帝は駆け込んだその勢いのまま甘えるように千紗の腕に抱き付くと、キッと小次郎を睨み付けて牽制した。


「こら、お前っ!姫様は取り込み中だと言って――」


 遅れて入って来た秋成。


「す、すみません姫様、兄上。お邪魔をしてしまいまして。ほら、お前は大人しく部屋に戻るぞ!」


 強引に朱雀帝を部屋から連れ出そうとする秋成。

 意地でも千紗の腕を離そうとしない朱雀帝。

 一歩も譲らない二人の力に引っ張られて、千紗はずるずると小次郎のもとから引き離されてしまう。


「……」


 自分の意思に反して、離れて行く小次郎の姿を何度も何度も千紗は振り返った。

 千紗を見送る小次郎の表情には、優しい笑顔が浮かんでいたけれども、その笑顔はやはりまだどこか無理しているように見えて、堪らず千紗は叫んだ。


「小次郎っ!」と。


「お主が、どんな気持ちで伯父上達と戦う覚悟を決めたのかは分かった。お主が悩み、苦しみ、何度も迷いながら出した答えだと言う事も理解した。ならば、もう止めろとは言わない。いや……言えない。何が正しいのか、私にももう分からないから。先程の席で四郎が言ったように、私もお主を信じる。お主が下した決断を信じる」

「…………」


 千紗の言葉に、小次郎の視線は無意識に下へ……下へと下がって行く。


「だがな」

「……?」

「もしお主が下した決断に、少しでも迷いが残っていたその時は、私は全力でお主を止めるぞ」

「っ……」


 小次郎の瞳が一瞬揺れた。

 下げられた視線は、またゆっくりと、上へ上へと上って行き、小次郎は真っ直ぐな視線で千紗を見つめた。


「後悔の残る決断だけはするな! よいな小次郎、絶対だぞ!!」


 小次郎の姿が見えなくなるギリギリまで、必死に叫ぶ千紗。掴みかけた小次郎の背中を離すまいと、必死に……必死にしがみついた。

 しがみついた結果、小次郎の心に千紗の声は届いたようだ。

 見えなくなるその時まで、千紗の姿を真っ直ぐな眼差しで見つめ続ける小次郎。

 その瞳には、微かな光が宿り初めていた。


―――『もしお主の下した決断に、少しでも迷いが残っていたその時は、私は全力でお主を止めるぞ』


 千紗の残した言葉が、何度も小次郎の頭の中思い起こされる。

 小次郎は心のどこかで、まだ誰かに止めて欲しいと、そう願っていたのかもしれない。

 だからこそ千紗の言葉に、心が少し軽くなるのを感じた。

 そしてついに小次郎は決心を固める。


「兄貴、兄貴! 大変だ!!」

「……四郎」

「――て、ん? なんか兄貴嬉しそう? 何だ? 何か良い事でもあったのか?」


 千紗達と入れ違いに小次郎の部屋へと駆け込んで来た四郎。

 兄のどこか穏やかな表情に、四郎は首をかしげた。


「いや、何でもない」

「ふ~ん。まぁ、いいや。それより大変なんだ!」

「どうした? 何かあったのか?」

「あいつが、あの自称大悪党のおっさんが、馬を盗んでとんずらしやがった!」

「玄明が?」


 そう言えば、いつの間にか玄明の姿がなくなっていたなと、小次郎は今初めて気が付く。

 だが鼻息荒く怒りを露わにしている四郎とは対称的に、小次郎はクスクスと笑いを溢した。


「そうか、玄明がな。流石は自称大悪党」

「兄貴笑い事じゃないって。これから戦をおっ始めようって時に、大事な戦道具を盗まれたんだぞ」

「そう怒ってやるな四郎。あいつはそれに見合うだけの十分な働きをしてくれた。馬一頭くらい、その礼にくれてやれ」

「兄貴~。……ったく。相変わらず甘いんだからな兄貴は」


 ムスッと膨れっ面の四郎。小次郎はそんな四郎にクスクスと笑いを溢しながらこう言葉を続けた。


「四郎、丁度良い機会だ。馬を何頭か飼い足そうか。それから弓矢や刀、戦に必要な道具を集められるだけ集めてくれ。いつ戦になっても良いように、準備を進めて欲しいんだ」

「お、おぉ! 任してくれ兄貴!」

「頼んだぞ、四郎」


 四郎に戦の準備を進めるよう命を出しながら小次郎は、何か吹っ切れたように心の中、ある決意を固めていた。


(悩んでいる時間はない。時はすぐそこまで迫っている。敵が攻めてくると言うのならば、抗うまで。たとえ敵が血を分けた一族だとしても……背負っている者を守る為には抗うしか道はない。ならば進め。自分が信じた道を信じて前へ。もし進むべき道を違えそうになったその時は、きっと千紗が正しき道を示してくれる。だから俺は進む。恐れず前へ。自分の決断を信じて前へ――)


  ◆◆◆


 ――それからおよそ一ヶ月の後。梅雨も半ばを迎える六月の下旬。

 ついにその時がやって来た。

 良兼、良正の両軍が、二千三百にも及ぶ大軍を、大蛇の如く引き連れて、小次郎が治める領地、豊田を目指し進軍を始めた。

 迎える小次郎は、日頃から豊田の治安を守るべく、弓や剣の訓練を受けた兵つわもの、およそ百余人を引き連れて豊田を旅立つ。

 その瞬間、後に『下野国庁付近の戦い』と呼ばれる戦の火蓋が切って落とされた。

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