第100話 二度目の対話②

「言ったであろう、私にも小次郎の痛みをわけてくれと。カッコつけて、何でも一人で抱え込もうとするから怖いのだ。そう教えてくれたのは小次郎ではないか」


――『怖いなら怖いって、言っていいんだぞ? 弱味を見せていいんだぞ?』


 それは、幼き日に嵐の中、行方不明となった弟の高志を探しに出掛け、結果雷に怯え震えていた千紗に向け小次郎が掛けた言葉。

 当時の事を思い出したのか、小次郎はふっと小さく笑った。


「……あぁ、そうだな。確かにあの時、言っていたな」


 力ない笑いだったけれど、やっと千紗に見せた微笑み。

 久しぶりに見た小次郎の笑った顔に、千紗は小次郎を抱き締める腕に更に力を込めた。


「小次郎の本当の気持ちを聞かせてくれ。一人で抱えられない程に苦しいのなら、私にもその苦しみを分けてくれ。頼む小次郎……私もお主の力になりたいのだ」

「……千紗」


 小次郎は、自分の首に回された千紗の腕を解くと、振り返って千紗の顔を瞳に映した。

 昔と変わらず真っ直ぐな眼差を向けてくれる千紗に、小次郎の瞳が揺れる。


「っ……」


 たまらず小次郎は、千紗の腕をグイッと引き寄せると、力強く彼女を抱き締めた。まるで母親に甘える子供のように。

 そして小次郎は、ずっと一人抱えてきた思いをぽつりぽつりと吐き出して行く。


「……ない。争いたくなど……ない……。身内同士で殺し会うなど、もう二度としたくないのに……」


 千紗にしがみついて、歯を食いしばるように苦しげに、胸の内を吐き出して行く小次郎。

 初めて見る小次郎の姿に、千紗はただただ小次郎の想いを受け止めようと、彼を抱き締める腕に力を込めた。


「昔はこんなんじゃなかったんだ。爺様がいた頃は、伯父上達とも家族同然に一緒に暮らしてた。いつもいつも賑やかで、笑いが耐えなくて、一族みんな仲が良かった。国香の伯父上や親父には、太郎と二人悪さをしてはよく怒られて、いじけた俺達に良兼の伯父上が握り飯を持ってよく慰めに来てくれた」

「……あぁ」

「良正伯父上には沢山の悪戯を教えて貰って、その悪戯をしてまた親父達に怒られる。そんな毎日が楽しくて大好きだった」

「……そうか」

「俺は、そんな伯父上達の事を家族同然に思って慕っていたのに……それなのに伯父上達は、ずっと俺の事を疎んでいたと言うのか? あの優しかった伯父上の姿は全て偽りだったと? 俺が今まで信じて来た世界は全て虚構の上に成り立っていたと? そんな事……信じられないし、信じたくもない……」

「……」


 小次郎の悲痛な叫びに、千紗の心もきつく締め付けられた。小次郎が京にいた頃、千紗は良く小次郎から坂東の話を訊いていたから。

 それは楽しそうに、嬉しそうに、よく話して訊かせてくれていた。

 小次郎が話す故郷の話には、いつも故郷や一族に向けられた愛情が沢山詰まっていた。だから千紗は小次郎が話す故郷の話が大好きだった。

 千紗は知っている。小次郎がどれ程故郷を愛し、一族を誇りに思っていたかを。

 知っているから、今の小次郎が抱える悲しみが、痛いほど伝わった。

 何とかしてあげたい。そう思うのに、小次郎の為にいったい自分には何が出来るだろうか?

 考えても考えても答えは出そうにない。


――『お前がそれを知った所でどうなる? 何もできはしないであろう』


 坂東へ来る前、父忠平に言われた言葉が千紗の頭に浮かぶ。


――『残念だが既に我が一族、平家の身内通しの争いは後戻りの出来ない所まで来てしまった。京で甘やかされて育てられた貴族の姫君が、首を突っ込んだ所で今更どうにか出来るような、そんな簡単なものではないのですよ』


 坂東への旅の途中、貞盛に言われた言葉もまた、頭に浮かんだ。


 あの時、忠平や貞盛に言われ通り。今の自分では、苦しんでいる小次郎の為にしてやれる事など何もない。千紗は、自分の無力さに歯がゆさを覚えた。


「……どうしてお前が泣くんだよ」

「……あれ? どうして……」


 気付いたら千紗の頬は涙で濡れていた。

 ボタボタと次から次に流れ落ちてくる涙に千紗は困惑する。


「悪い……。やっぱりするんじゃなかったな、お前にこんな話」


 小次郎が千紗の頬に触れながら、流れる落ちる涙をそっと脱ぐってやる。

 千紗が小次郎を慰めたかったはずなのに、いつの間にか立場は逆転してしまったようだ。


「ごめんな千紗、全部忘れてくれ。今の話、全部。……ごめん……千紗。困らせて……ごめんな……」


 優しくも、何処か切なげな微笑みを浮かべて、小次郎はポンと千紗の頭を撫でてやる。そして再び背を向ける。


「……」


 あぁ、まただ。やっと近づけたと思った小次郎の背中が、また遠ざかって行く。

 大人のふりをして強がって、一人でどんどんと先へ行ってしまう。

 自分が子供だから? 何も出来ない子供だから、小次郎は頼ってくれないのか? 突き放そうとするのか?

 嫌だ。そんなのはもう嫌だ!

 千紗は必死に手を伸ばす。

 やっと捕まえかけた小次郎の背中に向かって必死に――

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