第99話 二度目の対話
朱雀帝の部屋へと戻って来た三人。秋成は朱雀帝の体を床へと横にさせると千紗に一礼し、そのまま庭へと降りて行った。
「ご苦労だったな秋成」
千紗から掛けられた労いの言葉に再び一礼すると、秋成はそのまま庭から静かに二人の様子を見守った。
「少しは落ち着いたか、チビ助?」
未だめそめそと泣きじゃくる朱雀帝の頭を、優しい手付きで撫でてやりながら、千紗は横になる朱雀帝の顔を覗き込んだ。
すると朱雀帝は、もう片方空いていた千紗の手を握って、千紗の温もりを求めた。
貞盛がいない今、朱雀帝が唯一心を許せる相手はもう千紗しかいなかったから、この手だけは離したくないと、ギュッと強く握り締めた。
「チビ助?」
自分の手を握り締める小さな手。その手を握り返してやりながら、千紗は優しい声音で朱雀帝に語り掛けた。
「大丈夫。大丈夫だ。周りの言葉に惑わされる必要などない。お主は、お主が信じる貞盛を信じてやれば良い」
「……」
千紗が朱雀帝に掛けた言葉は、数ヵ月前、秋成が千紗自身に掛けてくれた言葉。
――『姫様はただ、姫様がよくご存知の兄上を信じていれば良い。ただそれだけの事です』
秋成の言葉のおかげで、千紗自身、不安だった気持ちがすっと軽くなった。秋成の言葉に、千紗は救われた。だから今度は自分が――
「大丈夫だ。泣かなくても大丈夫だ」
「……でください」
「ん? どうした?」
「……かないでください。私を置いて……何処にもいかないでください、千紗姫様。一人はもう嫌だ……」
「……ああ、分かった。私はどこにもいかない。お主が落ち着くまで傍にいてやる。だから、安心して眠るがよい」
優しく頭を撫でてくれる千紗の手が温かくて、心地好くて、朱雀帝の意識はそのままゆっくりと夢の世界へと誘われて行った。
「チビ助?」
千紗の呼び掛けに、朱雀帝からの反応はもうなかった。
朱雀帝が眠った事を確認すると、千紗はそっと彼の手を解いた。
「すまないが秋成、少しの間チビ助の事を頼みたい」
解いて庭に控える秋成に向かってそう声を掛けた。
真剣な表情で頼み事をする千紗に、秋成は全てを理解したようにただ短く言葉を返した。
「行くのですね。兄上の所へ」
「あぁ。小次郎もまた、太郎貞盛の裏切りに心を痛めている一人だろうからな。……心配なのだ」
「貴方と言う人は」
「何だ?」
「……いえ、何でも。分かりました。こちらの事は俺に任せてください」
「すまないな。ありがとう秋成」
「……いえ」
秋成に感謝を伝えるや、足早に部屋を出て行く千紗。
秋成はそんな彼女の後ろ姿を見送りながら、ぽつりと小さく漏らした。
「人の心配ばかりして。自分だって苦しいくせに」
◆◆◆
千紗が朱雀帝を慰めていた頃、小次郎はと言えば、玄明からある報告を受けていた。
「将門、お前さん源家の杏子って姫さんの事覚えているか?」
「懐かしい名だな。あぁ、勿論覚えているさ」
「じゃあ、彼女との間に起こったいざこざも?」
「……あぁ」
「なら話は早い」
玄明は、貞盛の屋敷で見聞きした貞盛と杏子、二人に関する秘密を小次郎に話して聞かせた。その話を小次郎は、驚いた様子もなくただただ静かに聞いていた。
「そうか。やっぱり、そうだったのか」
「やっぱりってお前、もしかして最初から全部知って?」
「知っていたわけではない。ただ、何となく予想はしていたと言うだけだ。太郎が杏子姫に惹かれていた事は知っていたからな。あの日杏子姫の部屋に忍び込んだのは、もしかしたら太郎だったのではないかと」
「なら、どうして十三年前にその事を皆の前で話さなかった? もし話していれば、お前が一族から不当な扱いを受ける事もなかったかもしれないのに」
「確証もないのに話せるわけがない。勝手に疑って、もし違っていたらどうする。俺はあいつを陥れる事になったかもしれない」
「でも結果として太郎貞盛は、十三年も前からお前の事を裏切っていたんだぞ。お前はずっとあいつに陥れられていたんだ」
「……あぁ、そうだな。玄明の言う通りだ。これは俺の甘さが招いた結果だ。結局最後まで太郎を信じきる事も出来なかったくせに、友を信じたいなどと綺麗事を口にして、真実から目を背けてようとして来た俺の……」
「いや、俺様はそこまで責めたつもりは……」
なかったのだが。
小次郎は自虐的に笑ってみせながら立ち上がると、部屋の障子を開け縁側へと腰を掛けた。
「最近な、怖くて堪らないんだ。俺の言動にこの豊田に住まう多くの民人の生活がかかっているのかと思うと……」
遠い目で空を見上げながら、ポツリと弱音を口にする小次郎。
「俺がもっと早くから、太郎に対して抱いていた疑心と向き合っていたら、玄明の言う通り皆をこんな戦に巻き込まずに済んだかもしれなのに……。自分の行動は正しいものなのか、自分が下した決断は本当に間違っていないのか、考えれば考える程不安で身動きが取れなくなる」
「……」
「人の上に立つと言う事が、こんなにも怖い事だったのかと思い知らされる。……なんて、盗賊に何を愚痴ってるんだろうな俺は……。悪い、今の忘れてくれ」
苦笑混じりに玄明のもとへと振り返った小次郎。だが振り返った先には、玄明の姿以外にもう一人の人影があって――
驚きのあまり小次郎は息を止めた。
「……千紗? お前、いつからそこに……」
「お主が、怖くてたまらないと、ぼやいていたあたりからだ」
つまりは最初からと言う事か。
今口にしていた弱音の全てを、千紗に聞かれてしまったと。小次郎は情けなさから、ははと力無い声で笑う。
「お前にだけは見られたくなかったのにな……こんな情けない姿なんて」
「……小次郎」
「どうしてお前がここにいるんだ。大人しく京で待っていてくれれば良かったものを……どうして坂東になんて来てしまったんだ……」
消え入りそうな程小さな声で吐き出す小次郎。千紗に背を向け項垂れる。
ずっと追い掛け続けてきたはずの大きな背中が、何だか今は妙に小さく見えて、どこか寂しそうで、思わず千紗は小次郎の元へと駆け寄った。
そしてその小さな背中に、後ろからギュッと抱きついた。
背中に感じる懐かしい千紗の温もり。小次郎は一瞬ビクンと体を強ばらせるも、その力はしだいにほどけて行き――
己の首に回された千紗の白く細い腕に小次郎はそっと触れた。
そんな二人に気を利かせて、玄明は一人静かに部屋を後にした。
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