第73話 御田植祭③
「一時でもそう思って貰えるなら、俺達にとっては本望だ」
四郎の言葉の意味が分からず、秋成は四郎を見る。
「……初めてこの地に足を踏み入れた時、兄上はこの地は危険だと言った。だが、板東に来て半年、その言葉通りの出来事は、まだ自らの身で体験してはいない。この地は誠に危険な地なのだろうか? 奪い奪われ……野蛮な地なのか?」
「この板東が野蛮な地だと言う、兄貴の言葉を否定は出来ない。いつ誰に土地を奪われるかもしれな。力がある者は、当たり前に武力で財を奪って行く。奪われた者を哀れむ者など誰もいない。奪われる者は弱いから悪いのだと、誰もが口を揃えて言うだろう。弱い事がここでは罪。それがこの板東と言う土地に住まう人間達の感性」
秋成は四郎の話に、信じられないと言った顔をして驚いた。
京では゛奪う゛と言う行為を行った者は法によって裁かれる。今でこそ治安が悪く、賊が増えてはいるものの、それでも京には京の治安を護るべき検非違士が存在する。賊を裁く法が存在する。奪う事を良しとはしない。
それらは京だけでなく、全国でも機能していると思っていたから。
「信じられないって顔してるな」
「……」
「勿論、坂東でも奪うって行為自体は罪だ。だが、罪を犯した所で罰はない。咎める者が、ここにはいないんだ」
「……いない?」
「いや、“いない”って表現は少し違うか。前にも話したが、坂東にも朝廷から派遣されて来た役人、国司が存在している。本来ならば、国司が坂東の政治を司り、そして法を司る。だがここでは裁くべき側の人間が進んで罪を犯すんだ。国司と言う立場を利用してな。奴らは朝廷から定められた以上の税を民から絞り取り、己の私腹を肥やすんだ。奴等国司こそが、税と称して俺達の財を奪いとって行く、賊そのものだ」
「………」
「そんな役人の仮面を被った卑劣な賊が治める国で、もはや法など機能すると思うか? するはずがないんだ。だから力ある者達は国司の真似をし、力尽くで他人の土地や財を奪い取って行く。力ない者は力の前に泣く事しかできない」
「…………なる程。それで奪い奪われ、弱肉強食の世界になったと。だが訊けば訊くほど分からないな。それ程までに弱肉強食の世界で、何故“豊田”に住まう人間達はああも呑気に祭りを楽しんでいられるんだ? とても俺には彼らが死と隣り合わせの生活をしているようには見えない」
「……その為の俺達なんだよ」
「?」
四郎から返された応えに、秋成はキョトンとした。彼らの暢気さと四郎と、何の関係があると言うのだろうか?
「姫さんに前に話した話、あっきーも聞いてたよな? 俺達平氏の祖は天皇家より親籍降下された高望王で、その高望王が国司として坂東に赴任したのをきっかけに、この地へ土着したと」
「あぁ」
「何故余所者である俺達が、今、こうしてこの地で財を成していられると思う?」
「それは、この地で開墾して、土地を広げたからだって前に……」
「勿論それもある。けど、開墾した土地以外にも、もともとこの地に住まう人間達から預かっている土地がある。だからこそ、広大な土地を有する事ができた」
「預かった?」
「そう。税収に苦しめられていた人間が、京から来た高貴な人間である高望王を信頼して預けたんだ。高望王は他の国司達みたいな、自分の私腹を肥やす為だけの厳しい税の取り立てをしなかったらしいからな。そんな高望王を慕い、自分達を守り導いてくれる先導者になって欲しいと願い、土地を預け、主従の関係を結んだ。そうやって俺たち平氏は土地を増やし、力をつけて来た。そして今、俺や兄貴は、力を持たぬ者達が高望王にかけた期待と、民を守ると言う意思を引き継ぎ、この豊田の地を治めている。俺たちには豊田の地と、豊田に住まう民人達の生活を守る義務があるんだ」
「…………」
四郎の強い意志と覚悟に秋成は圧倒されていた。
今目の前に溢れている笑顔は、四郎や小次郎達の努力の賜であり、四郎達への信頼の証でもあると言う事か。
「なんて、格好いい事言ってみたけど、この半年俺がしてた事なんて屋敷の留守を守っていただけ。実際に豊田の土地を守ってくれていたのは兄貴だ。今こうして、暢気に祭りを楽しんでいられるのは、全部兄貴のおかげなんだよな」
「……兄上の?」
「そう。兄貴があちこちかけずり回って、賊や他国に目を光らせ、情報を集めてくれていたおかげで、この半年は大きな戦もなく、平和に過ごす事が出来ていたんだよ」
「……じゃあ兄上がなかなか屋敷に帰って来なかったのは、その為? 俺はてっきり、姫様や俺を避けているのだとばかり……」
四郎がケラケラ笑いながら否定する。
「それスッゴい被害妄想。兄貴は姫さんやあっきーに対して過保護が過ぎるくらいだよ。二人が来てからの警護への力の入れようと言ったら、そりゃもう」
秋成は小次郎の言葉を思い返す。
――『自分の身は自分で守れ』
あの時千紗を冷たく突き放した小次郎。
だが、突き放したふりをして、千紗を守っていたのは……小次郎だった。
そして、自分もまた小次郎に守られていた一人だった。
初めて知った事実に秋成は何故か悔しさを感じた。
「………兄上にはやはり敵わない……」
隠しきれない悔しさが、秋成の口からぽつりと溢れた。
「?何か言ったか?」
「……いや。何でもない」
「そうか? まぁ、そんなに寂しがるなって。もう少ししたら、兄貴は帰ってくる」
「……え?」
四郎の言葉に秋成の胸がドクンと跳ねた。
「兄上が帰って……」
◇◇◇
その頃――
「何?小次郎が帰ってくるのか?」
「はい。今年もこうして無事に御田伝祭りを迎える事が出来ました。これから秋の収穫までは、稲作が忙しくなります。皆戦どころではなくなります。昔から坂東では、忙しいこの時期に戦をしないと言うのが暗黙の約束事なのです。小次郎様も隣国への警護に目を光らせる必要がなくなります」
「だから帰ってくると、そう言うことか!」
「はい!」
早乙女の任務を終えた少女達が一息つきながら、世間話に盛り上がる。
そんな世間話から、千紗の耳にも小次郎の帰京の話が届けられていた。
「そうか。やっと小次郎は帰ってくるのだな」
小次郎の帰京の知らせに千紗の胸は高鳴っていた。
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