第72話 御田植祭②

 ヒナの活躍により、四郎による秋成いじりが終焉を迎えた頃――


「あぁ~千紗姫様、ヒナも。やっと見つけたぁ!! 桔梗さん達が探してたよ。着替えが終わったなら早く戻って来てくれって」


 少し離れた場所から、慌ただしく近づいてくる声に、何事かと四人が同時に振り向くと、その先には春太郎の姿があった。

 どうやら彼は、今日の祭りの主役である千紗とヒナの二人を、必死になって探していたらしい。


「おぉ、すまなかったな。春た――」

「急いで急いで!もうすぐ祭りが始まっちゃうから」


 千紗の言葉を遮って、春太郎は強引に二人の腕を引っ張ると、嵐の如く、元来た方向へ走って行ってしまった。

 そしてあっと言う間に三人の姿は、人混みへと紛れ消えて行く。


「「………」」


 ポツンと二人だけでその場に取り残されてしまった四郎と秋成。


「……俺達も行くか、あっきー」

「………あぁ」


 一瞬の出来事に呆気に取られながらも、消えて行った千紗達の後を追って、二人もまた、人混みへと向かって歩き出した。

 

 秋成達が人混みの中へ混じる頃――雲一つ無い真っ青な初夏の空に、笛や太鼓の音が高らかに鳴り響く。それが祭りの合図だ。


「始まったみたいだな」


 四郎の言葉通り、賑やかな音色に会わせて、真っ白な単衣に、真っ赤な袴、白拍子の如く着飾った美しき女達が、人垣の中心で優雅な舞を踊り始めた。


「あれは?」

「田の神様への奉納の舞だ。田植えを初める前の、ちょっとした挨拶って所かな。この舞と笛や太鼓の音色が、俺たちを田んぼへと導いてくれるよ。ほら、バラバラだった人の群れが、自然と行列を成して移動して行くだろ」


 確かに四郎の言う通り、それまでバラバラに集まっていた人の群れが、楽の音色に導かれるように綺麗な列を成し、舞を踊る女達の後ろをぞろぞろと歩き出す。

 本当に自然と形成された列に、秋成が関心して見とれていると、四郎が楽しそうにこんな説明を付け加えた。


「整った綺麗な行列だろ。この行列もまた、神様への奉納の一部なんだぜ」


 秋成や四郎も行列に加わり祭りへ向けて歩を進める。

 暫く歩くと、先頭を行く雅楽隊が静かに歩みを止めた。

 雅楽隊の前に広がるは、太陽の光が水に反射され、キラキラと綺麗な輝きを放つ無数の田んぼ。くねくねと曲がりくねった、歪な形の田んぼが幾重にも広がっている。

 その田んぼの一角に、舞を披露した女達とはまた別の、今度は紺の単衣ひとえに赤いたすき、白い手拭い、新しい菅笠すげがざを身に纏い綺麗に着飾った女達が、ぞろぞろと現れた。彼女達こそが早乙女と呼ばれる少女達で、皆一列に列を成し、一人また一人と田んぼへと入って行く。

 そんな早乙女の中、最後尾に位置する三人を指差し四郎が言った。


「おっ、やっと姫さん達が出て来たぜ」


 四郎が指さす先を見つめる秋成。四郎の言った通り、早乙女の列の最後尾には、桔梗、千紗、そしてヒナの順に田んぼへと入って行く姿があって、桔梗に手を貸して貰いながら、おっかなびっくり田んぼへと足を踏み入れる千紗のなんとも危なっかしい姿を秋成はハラハラしながら見守った。


「姫さ~ん、ヒナ~、頑張れよ~」


 楽しそうに手を振りながら送った四郎の声援に気付いたのか、ふいに顔を上げた千紗は、四郎と秋成に向かって大きく手を振り返してくれた。

 だが、田んぼの泥に足をとられたらしい千紗の体は、ぐらりと大きく揺れ、顔面から田んぼ目掛けて倒れ込みそうになる。


「姫様っ!」


 思わず秋成が声を上げた。

 倒れそうになる千紗の体は、前にいた桔梗と、後ろにいたヒナによって支えられ、何とか転倒を免れる。

 ペロリと下を出し、恥ずかしそうに笑いながら二人にお礼を言う彼女の姿に、秋成はほっと胸を撫で下ろした。

 

 その後、横一列に並んだ早乙女達は、笛や太鼓の音色に美しい歌声を乗せ、その唄に一年の豊作の祈りを込めながら、田に稲の苗を植え付けていく。その姿は何とも楽しげで律動的。

 慣れた手つきで次々に田植えが進められて行く中、千紗とヒナ、二人の動作だけが遅く、周囲からは浮いて見えた。


「ははは、ありゃ何とも頼りない早乙女だな」

「一年の豊作を祈るはずの早乙女が、あんなに不慣れで大丈夫なのか?」

「大丈夫、大丈夫~」


 千紗達の不慣れさを心配する秋成に対して、四郎は全く気にした様子を見せず、千紗達の不慣れを豪快に笑い飛ばしていた。


「だが……これは単なる田植えではなく、豊作を祈るまつりのための田植えなのだろう? あのような不慣れな姫様まで参加させて本当に良かったのか? 田の神に失礼はないか?」

「だから大丈夫だって。あっきー心配しすぎ。奉りは奉りだけど、祭りでもあるんだ。要は楽しめれば良いんだよ。一番大切なのは、皆が楽しんでいるかどうかなんだからさ」

「………」


 四郎の言葉に秋成が周囲を見渡せば、彼の言う通り、千紗とヒナの不慣れさを笑う者こそいれど、呆れたり怒ったりしている者は誰一人いなかった。

 苗を植えてる早乙女達も、笛や太鼓の音色を奏でる楽士達も、それを見守る観客達も、皆が皆、不慣れな二人を受け入れて、祭りに浮かれ、笑い、歌い、踊り、子供は勿論、大人達も皆が一緒になってはしゃいでいる。

 その光景は、秋成にとって、とても新鮮に映って見えた。

 京で目にした貴族達の奉りは、形式を重んじる堅苦しい印象のものばかりだったから。

 小次郎の屋敷付近に住む、大小いくつかの集落が集まり、開かれているらしいこの祭りでは、集落の垣根を越え、皆が一様に心から笑いあっている。

 そんな姿を、京で見た事があっただろうか?

 今、目の前に広がる光景は、とても希有なもので、京では決して見る事のできなかった光景だろう。

 その光景に、秋成の口から思わずポツリと言葉が漏れた。


「ここは……良い国だな。笑顔に満ちた平和な……。こうしていると、戦とはとても無縁に見える」


 秋成の呟きに、四郎はどこか嬉しそうに微笑んだ。



__________

単衣ひとえ

裏地のつかない、装束の下着のこと


白拍子しらびょうし

平安時代末期から室町時代初期にかけて行われた歌舞の一種およびその歌舞を演じた舞女。


菅笠すげがさ

スゲを縫いつづった笠。また笠とは被り物のこと。

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