第70話 戦の足音

「失礼します。寛明様、貞盛様、朝餉の支度が整っておりますが……」


 朱雀帝と貞盛の会話が一段落した頃、まるで頃合いを見計らったように一人の下女が朝食を報せにやって来た。

 侍女の姿を見るなり、貞盛の背中へと隠れる朱雀帝。彼に代わって「分かった」と声を上げた貞盛が、そんな朱雀帝に向かってこっそりと訊ねた。


「寛明様、今日もこちらでお召し上がりになりますか?」


 貞盛からの質問に朱雀帝はコクンと小さく頷いて見せる。


「分かりました。ではすまないが今日もまた部屋に頼む」

「……」


 朱雀帝から下女の方へと向き直った貞盛が部屋に朝食を運ぶように頼む。

 と、何故か侍女は気まずそうに顔を伏せて――

躊躇い気味にこう返事をした。


「申し訳ありませんが、本日は御田植祭で屋敷内がゴタゴタしておりまして……膳はご用意してありますゆえ台所まで取りに来て頂けますと助かるのですが……」

「あぁ、そうか。そう言えばそうだったな。分かった。ならば私がそちらに取りに行こう。祭の準備で忙しい中、わざわざ報せに来て貰って悪かったな」

「い、いえ。とんでもないです。お気遣い、ありがとうございます、太郎様」

「では寛明様、朝餉を取りに行って参りますので」

「……うむ」


 貞盛は、朱雀帝に一礼した後、侍女と共に部屋から出て行った。



 廊下に出ると――


「ん、四郎? そのような所でどうした?」


 四郎が柱にもたれかかるようにして、怠そうに立っていた。

 四郎の姿に、それまで貞盛の前を歩いていた侍女は軽く会釈をする。四郎もまた、侍女に向かって労いの言葉を掛けた。


「ありがとうな、雪。助かった」

「いえ、四郎様のお役に立てたのならばなによりです。では私はこれで」


 今度は四郎と貞盛、二人に対して会釈して見せると、雪と呼ばれた下女は静かに二人の元から去って行ってしまった。

 四郎と侍女のそのやりとりに、初めて自分が意図的に外へと連れ出された事を悟った貞盛。


「どう言うつもりだ、四郎?」


 ギロリと四郎を冷たい目で睨み付ける。

 貞盛が放つ怒気に気付きながらも、四郎は全く気にした様子を見せないまま、相変わらず気怠げな態度で彼から視線を外し言った。 


「いやちょっと。太郎さんに、聞きたい事があって」

「聞きたい事?」

「まずはこれ、渡しておく」


 そう言って、懐から文を取り出すと、体重を預けていた柱から背中を離し、一歩貞盛の元へと踏みだした。


「これは?」

「良正の伯父貴から。太郎さんに帰郷の挨拶に来いって催促の手紙。それからもう一通、太郎さんの実家の石田からも太郎さんの帰りを促す手紙が、使者を通じてウチに届けられた」

「……やれやれ。どいつもこいつも、私は実家に帰るつもりなどないと言うに」

「でも、一度帰らないとまずいんじゃない? 良正の伯父貴、相当怒ってるみたいだよ」


 四郎から渋々手紙を受け取り、目を通す貞盛。


「このまま私が豊田の地に留まれば、私が小次郎達に味方したと見なし、我が石田の地も豊田共々攻め落とす、か。……成る程、それ故家族も私の帰りを待ちわびていると言うわけか。……坂東とは相変わらず野蛮な地だな」


 手紙の内容を声に出して読み上げながら、実の伯父からの下劣な脅しを鼻で笑う貞盛。

 その笑いに、どんな心理が隠されているのかと、四郎は注意深く冷静に見守っていた。


「………」

「悪いが、お前達と伯父達との間で起こっている戦に、私は全く興味がない」

「けど、帰らなかったら強引にでも太郎さんは戦に巻き込まれる」

「帰った所で、それは変わらないだろう。伯父がこれほどまでに挨拶に来いとせがむ理由を、お前が分からないはずもあるまい?」

「まぁね、良正の伯父貴は太郎さんを味方に引き込みたいんだろ。既に良兼よしかねの伯父貴は良正の伯父貴についたって報告は入って来てる。一族の中から、俺たち兄弟だけを孤立させたいんだ」

「よく分かっているじゃないか。……だからこそ、私の動向が気になるか?」

「………あぁ」


 煽るような貞盛の言葉に、四郎からはいつものヒョウヒョウとした余裕は消え、怖い程真剣な表情で貞盛を見つめていた。

 その顔に、貞盛はフッと笑いを溢す。


「そう心配するな。私は伯父上達に味方するつもりはない。たとえ脅されようとな。私は戦は嫌いだ」


 それだけ言い残すと貞盛は四郎の肩をポンと叩き、朝餉を取りに四郎の前から去って行く。


「…………太郎さん」


 何ともすっきりしない去り方に、小さくなってい行く貞盛の後ろ姿を見送りながら、複雑な表情を浮かべる四郎は、小さく独り言を呟いた。


「……俺や小次郎の兄貴だって……戦は嫌いだ。それでも……抗えなかったんだ。太郎さんだってきっと……」


 再び柱に怠そうにもたれかかりながら、四郎は小さく溜め息を吐いた。

 そんな彼の元に、遠くから元気の良い声が掛かる。


「あぁ、四郎の兄貴! やっと見つけた~!! みんな兄貴の事探してたぜ」

「……」


 声の方へと顔を上げると、庭から息を切らし駆け寄ってくる清太の姿が。


「……清太。良い所に。すまないが、ちょっと頼まれ事をしてくれないか?」

「頼まれ事? え、何々?? 俺、四郎の兄貴に頼りにされてる感じ? だったらなんか嬉しいなぁ。兄貴に頼られるなんて。いいよ、何でも言って! 四郎の兄貴の為だったら俺、何でもするよ!」


 四郎から頼られた事が心底嬉しいのか、ビョンピョンと跳び跳ねて喜ぶ清太。

 まるで飼い主に従順な子犬が、主人に褒められたいとばかりに興奮して飛び跳ねているような、そんな清太の姿に、四郎は庭先まで歩み寄ると、しゃがんで清太の頭をわしゃわしゃと、乱暴に撫で付ける。


「そうかそうか、それは頼もしいな清太。じゃあ悪いが――小次郎の兄貴を呼び戻して来てくれないか?」



__________

平良兼たいらのよしかね

平高望の次男。

父に次いで上総介を勤めるなどし、上総や下総国に勢力を拡大、その後各地に広がる高望王流桓武平氏の基盤を固めた。

補足として平高望の子供達を兄弟順に並べてみると


長男:平国香・・・(貞盛の父)

次男:平良兼

三男:平良将・・・(小次郎の父)

末っ子?:平良正

こんな感じです

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る