第4話 主従の軌跡②

「高志~!高志~~?!」


 雨が酷くなりだした夜の道を、俺は千紗と二人彷徨い歩く。偶に光る稲光が闇夜を明るく照らす。


「高志~、たかっ――?!」


 高志を呼ぶ声を雷の音がかき消す。それと一緒に千紗の悲鳴もかき消されていたことを、俺は知らない。


 暫く探し歩いていると、俺達はある神社に辿り着いた。『火雷天神からいてんじん』と呼ばれるているその神社の境内から、微かに子供の鳴き声が聞こえて来る。


「高志っ?!」


急いで声のする方へと駆け寄って行く千紗。


「高志っっ!!」


「姉……上……?」


 社の中で小さく震える高志の姿を見つける。高志は千紗に気付くと、泣きながら彼女のもとへと駆け寄って来たかと思うと、膝にしがみついてわんわん泣いた。


「高志……良かった、無事で」

「姉上~~」

「どうして屋敷を抜け出した? 風邪をひいておるのだから静かに寝ていなければいけないだろ?」


 諭すように言い聞かせる千紗。だが、言葉とは裏腹に高志の頭を撫でる手つきは優しい。その光景が何だか新鮮で、俺は微笑ましいと思った。


「ごめんなさい。でも僕、寂しくて……。父上だけでなく、姉上までお見舞いにも来てくれなくいから……」


「馬鹿だな。高志に早く元気になってもらおうと、薬草を摘みに行っておったのじゃ」


 そう言って、一握り着物の袂に忍ばせていた紫蘇の葉を取り出す。


「……姉上……」

「お主の為に、妾自ら採ってきてやったのだから、これを飲んで早く元気になれ。そして、小次郎と秋成と、また四人でどこか遊びに行こうぞ」

「はい、姉上!」

「よし。では早く屋敷に戻って……」

「って言っても、この雨じゃな、身動き取れそうもないぞ?」


 ふと二人から視線を逸らし、開け放たれた社の戸口から外を見る。更に酷くなって来った雨に俺がそう言葉を漏らすと、千紗の肩がビクンっと震えた。と、その時――



「……さっ!……ち………さ……」


 どこからか、微かに聞こえて来る声があった。


「……さ……、千紗、どこにいる? いたら返事をしろ!」

「っ!」


 その声がはっきりと聞こえるようになると、それまで小さく震えていた少女の顔がパァーと輝きを取り戻し、大声で声の主の名を呼ぶ。「小次郎!!」と。


 声の主は千紗の呼ぶ声に気付いたのか、突然に社の中へ勢いよく飛び込んで来たかと思うと、震える千紗を見るや力強く抱きしめた。

 そんな二人の姿をすぐ側で見ながら、何故か無性に自分が情けなく感じた事を覚えている。


「捜した。雷が苦手な奴がこんな嵐の夜に無茶するな。まったく、怖いなら怖いって言っていいんだぞ。弱味見せて、いいんだぞ。お前は女の子なんだから」


 息も整わない内に、千紗にそう囁きかける兄上。その荒い呼吸が必死さを物語る。びしょ濡れになりながら、兄上は必死に千紗を探していたのだろう。

 兄上に抱かれる千紗は、先程の高志同様、まるで幼子のようにわんわん泣いていた。

 俺は拳を握りしめながら、ただただその光景を見つめる事しか出来なくて……

 悔しかった。傍にいながら千紗の不安に気づけなかった自分が。何もしてやれなかった自分が。いとも簡単に千紗の強がりを解いてみせた兄上の存在の大きさが……俺は悔しかった。

 そして、いつか俺も兄上に負けないくらい、千紗にとって頼りになる男になりたい。心からそう思う自分がいた。




 泣き疲れた千紗は、兄上の腕の中で眠りについた。兄上は、スヤスヤ眠る千紗と高志の頭を優しく撫でてやりながら、俺に視線を向ける。


「こいつの傍にいてくれてありがとな」

「俺は……何も……何も出来なかった。怯えている事にすら気付いてやれなくて……何もしてやれなかった……」


 ポツリと呟く。そんな俺を見て兄上は、大きな手で俺の頭をくしゃくしゃに撫でてくれる。

 その手が暖かくて……大きくて……気付くと涙が零れていた。

 そんな俺を見て、クスッと小さく笑みを零しながら兄上は、こんな問い掛けを俺にした。



「千紗の母親が高志様と引き換えに、亡くなった話は前にしたよな?」



兄上の問い掛けに、俺は小さく頷く。



「その亡くなったのが、丁度こんな嵐の夜だった」

「……」

「あの日も、今日みたいに雨が酷くて、雷がゴロゴロ鳴ってた。まだ幼かったこいつは、母親を亡くすかもしれない不安の中で、一人雷と戦ってたんだ」

「………それで雷が苦手に?」


 俺がそう聞くと、兄上はコクンと頷いて苦しそうに笑った。


「こいつ、雷が母親を奪って行ったと思ってるんだ。今でも雷が鳴ると大事な人が奪われる。そう不安に思うらしい。だから正確には、大事な人を奪われてしまう事が怖いんだよな」

「………」


 まだこんな小さな体で、彼女はどれだけの寂しさを一人背負って来たのだろうか?


「……ん…」


 俺達の話し声がうるさかったのか、千紗が目を覚ます。


「起きたか。お前が寝てる間に、雨止んだぞ」


 そう兄上が声をかけると、声の主を探しているのか寝ぼけた千紗の視線が宙を漂う。

 だか、その視線は予想に反して俺の元でピタリと止まった。向けられた視線に一瞬ドキっとする。


「な、なんだよ」

「秋成、今日はすまなかったな。だが、お主のおかげで高志を奪われずにすんだ。ありがとう、礼を言うぞ」

「なっ……」


 それまで、人から罵倒されることはあれど、“ありがとう”なんて感謝の言葉を人からかけられ記憶などなかった俺は、初めて貰った言葉に胸の奥底からぐっと込み上げて来る何かを感じた。



「………」

「どうした?」

「……んでもない」


 言葉では言い表せないその不思議な感情をごまかそうと、俺はついついいつもの憎まれ口を叩いてしまう。


「ば~か、そう思うなら言葉じゃなくて何か物を寄越せ。俺の働きに見合うだけの報酬をな」

「全く相変わらず強欲な男よ。お主の仕事は妾の下部しもべ。ならば、今日の働きは至極当然の事」

「なっ……下部だと?!」

「それをわざわざ労ってやったと言うに、まだ足りぬと申すか?」

「ちょっと待て! 下部とは聞き捨てならない! 俺はお前の下部になった覚えなんてないぞ! お前がどうしてもと頼むから、仕方なく護衛してやってるんだ! お前こそ調子に乗るなよ!!」

「ははは、お前達は相変わらず仲が良いな」


 いつものように憎まれ口の言い合いになってしまった俺達を見ながら兄上は楽しそうに笑った。


「「良くない!大っ嫌いだこんな奴!!」」


 兄上の見解を否定しようと叫んだ俺と千紗の言葉が重なる



     ・


     ・


     ・


     



(あの日以来、俺は千紗を見る目が変わった。

強がりの裏に隠れていた寂しがりやな姿を知ってしまったから。千紗の我が儘は、誰かを思いやっての優しさだと、分かってしまったから――)



「こら秋成、何をしておる。お主は妾の護衛。たとえ屋敷の中とは言え、ついて来んでどうする」


 忠平の後を追いかけていったはずの千紗が戻って来て秋成を呼んだ。


「こりゃまた、我が儘姫さんの我が儘が始まった。お前も、あの我が儘に付き合わされて大変だろうが頑張れよ」


 武士団の仲間が秋成にそう言い残して、そそくさと立ち去って行く。


(構わない。千紗の為になるのなら。俺の存在が少しでも千紗の役に立つのなら、俺はどこへでも付いていく。あの我が儘にだって付き合うさ。

あの日、そう決めたから――)



「あぁ。今行く」


千紗にそう返事をして、秋成は足早に彼女のもとへと掛けて行った。



__________

火雷天神からいてんじん

火雷天神は京都の北野の地主神。

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