第3話 主従の軌跡
俺が千紗と出会って、二年の月日が過ぎようとした頃――
生れつき体の弱かった千紗の四つ下の弟、
それを良い事に、まだ遊び盛んだった千紗の我が儘に付き合わされ、二人でこっそり屋敷を抜け出し、平安京の北に位置する小高い山、船岡山へと出掛けた。
「おい、まだ帰らないのか? 弟が寝込んでるってのに、姉のあんたはこんな所で草なんか採って、薄情なんだな千紗姫様は」
嫌味の意味も込めて、帰るよう促した俺の言葉を無視したのか、それとも本当に聞こえていないのか、何も返事をしない千紗。
「 何の為にそんな草なんか採ってるか知らないけど、空見てみろよ。じきに雨が降るぜ」
「もう少しじゃ。もう少しだけ大人しく待っておれ。今高熱に効く薬草を採っておるのだ。前に
「………」
我儘姫の、千紗の口から返って来た思いがけない言葉。正直俺は、返す言葉に困った。それと言うのも俺は、千紗がずっと弟君を恨んでいるのだと思っていたから。
彼女は幼い頃に、弟と引き換えに母親を亡くしたと聞いた。
千紗の母親はもともと体が弱く、生涯で一人しか子供は産めないと言われていたらしい。だが、二人目――つまりは高志がお腹にいると分かった時、死を覚悟してでも産みたいと、強く願ったのだと言う。
その事実は、幼い彼女にしてみたら酷ではなかっただろうか。結果として高志は、千紗から母親を奪った憎むべき存在なのではないか。常日頃、喧嘩ばかりの二人の姿から俺はそう思い込んでいたのだ。それなのに、この必死な姿は何だ?
「はぁ……仕方ない。早く見つけて、雨が降り出す前に帰るぞ」
「お主、手伝ってくれるのか?」
「雨に降られて、俺まで寝込みたくないからな。二人で探した方が早く終わるだろ」
「うむ、助かる」
千紗の探し物を手伝い始めて、どれくらいの時間が経ったか、辺りがだんだんと薄暗くなって来た頃、千紗の腕にはこぼれ落ちんばかりの薬草が抱えられていた。
「これだけあれば、もう十分だろ」
「うむ。きっと大丈夫じゃ!」
嬉しそうに薬草に目を落とす千紗。
千紗の笑顔についつい俺までつられて頬が緩む。
「ん? お主今、笑ったのか? お主のそんな顔、妾は初めてみたぞ」
「わっ笑ってない! いいから早く帰るぞ!」
そして、喜びも束の間、俺達は屋敷への道を急いだ。
「あ~くそ、降ってきやがった。ほら、急げお姫様!」
途中雨に降られ、びしょ濡れになりながらも屋敷へと帰りついた俺達は、慌ただしく動き回る侍女や武士団の者達数人に出迎えられた。
「姫様~! どちらに行かれていたのですか、心配したじゃないですかぁ!?」
血相を変え、半泣き状態で千紗に抱き付く一人の侍女。
「キヨ。心配掛けてすまなかったな。これを採りに船岡山まで行っておったのじゃ」
そう言って千紗は、腕にいっぱい抱えていた薬草を侍女に渡した。
「こんなにいっぱい? 姫様が高志様の為に?」
「そうじゃ。早く高志に煎じて飲ませてやってくれ」
千紗の言葉に侍女は一瞬固まり、「え?」と驚きの声を上げたかと思うと、焦ったように薬草と千紗を交互に見やる。
「どうしたのじゃ、キヨ?」
「あ、あの……姫様は高志様とご一緒ではなかったのですか?」
「………え?」
「てっきり、姫様とご一緒かと……」
「どう言う事じゃ? 高志はここに居らぬのか?」
「「……………」」
侍女と千紗が互い顔を見合わせ、見る見る顔を青ざめさせていく。
「も、申し訳御座いませんっ! 私共が少し目を離した隙に姿が見えなくなられて、どうやら外へと出掛けてしまわれたようで……てっきり姫様とご一緒だとばかり思っていたのですが」
「高志が外に?!」
千紗は空をチラリと見やると、難しい顔をした。
外は既に暗く、先程から降り出した雨は雨脚がどんどん強まってきている。嵐が近づいていたのだ。
「高志はまだ幼い。こんな嵐の夜に一人で出歩くなど」
「申し訳御座いません姫様……申し訳……」
「今はそんな話をしている場合ではなかろう。早く高志を捜さねば。お主も手伝ってくれるのだろキヨ?」
今にも泣きそうな侍女を責めるでもなく、自分よりも一回り近く年上の彼女をそう優しく宥める千紗。
「はっはい、勿論です。 他の侍女達にも声をかけて手伝ってもらって来ます」
「ありがとう。では、お主達は屋敷の中を頼む。――秋成!」
「あ、あぁ……」
「今の話、聞いておったな。お主にも高志捜しを手伝ってもらいたい。それから武士団の者達にも声を掛けて手伝ってもらってくれ。頼む」
「それは勿論だが、でもお前は大丈夫なのか?少し顔色が悪いみたいだが」
「……大した事ではない。私の事は気にするな。それより小次郎は戻って来ておるか?」
「小次郎様は、今日は別用でお出掛けになられており、まだ姿を見てはおりませんが」
「………そうか」
侍女のキヨから返って来た答えに、いつも強気な千紗が一瞬顔を曇らせる。けれどそれは直ぐに戻り、気のせいかと錯覚させられた。
「仕方ない。では妾は外を探しに行く。秋成、お主は妾の護衛として共に付いて来い」
流石と言うべきか、普段の我が儘からは想像もできない統率力で指示を出して行く左大臣家の一の姫。
それは、幼い頃から父親の留守を預かって来た故に彼女が自然に身に付けたもの。だが、こんな幼子が今まで一人この屋敷を守って来たと言う証拠でもある。
彼女の初めて見せる凛々しさに少し千紗を見直しながらも、先程の一瞬見せた曇った表情が何故か俺の頭から離れなかった。
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京都府京都市北区に所在する山。現在は船岡山公園として整備されている。
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日本における医師の古称。漢方薬の専門家であり、本草学に基づいた生薬による治療を行った。
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