死の陽動。

木田りも

死の陽動。

小説。 死の陽動。

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(忘れた。いろいろと。泣いていたあの頃も)


 何も不自由がないのだ。

きっとそれは、不幸なことなんだ。

世の中の多くを知り尽くしてしまった。

人生には楽しいことが多く転がっていて、それと同じくらいまたはそれ以上に醜いものも多くある。僕は、それらを若くして味わいすぎた。酸いも甘いも経験した。つらいことも嬉しいことも味わい、平穏を求め始めた。なんだかんだ生きてきて、どうせなんとなく死んでいくのだ。それなら、もういっそ、と思うのだけれど痛いのは嫌だ。寂しいのも嫌だ。だから生きているんだと思うのだ。


 (世の中、本質的な意味で死にたい人はいないと思う。いや、死を望んでいる人は多いが、本当に死んでしまうこと、消えてしまうことを望む人は果たしてどれくらいいるのかはわからない。わからないから、僕は先駆者になってみようか。そんなことは野暮だ、たぶん。だから、なんだっけ。)


 人は衝動で生きている。

いま、どうしても何かがしたい。

でもそれをしてはいけないと思う衝動。

でもそれを上回る衝動に駆られて

例えば考え事をしてしまう。

そんな時に車が目の前を過ぎて事故を起こしたりする。考え事をしなければもしかすると巻き込まれていたかもしれない。心臓の鼓動は早まる。いつ死ぬかわからない。まだ死なないかもしれない。死が約束された未来。死がやってくるのか。僕が死に向かい続けているのか。


 死ぬ前に何がしたいか。そればかり考える。過去に住んでいた場所、昔の友達。

たくさんお金を使う。今までやってこなかったことをやる。映画を見る。


 頭では思いつくがどれもめんどくさいと思った。めんどいめんどい。めんどくせえ。

そしてこれは死ぬこと、と同じだと思ったので、考えるのをやめた。生活しよう。


 「世の中の人間が望むこと、それは平和。平和があって、はじめて生きていることを実感すると思う。あとは、健康と少しのお金じゃないですか?生きることってきっと少しの努力なんです。朝、歯を磨く、みたいな。」


 「世の中の人間が望むことは平和。

何もないこと。何もないことは平和だろうか。平和が待っていてくれること。平和が約束されていること。平和が必ず帰ってきてくれること。たぶんこれは僕のちょっとした夢です。」

 


 頭の中で思いついてたことが現実になる瞬間があった。僕はなんとなく話を聞いて、なんとなく身支度をして、なんとなく家を出た。もちろんこんな経験をした人は僕より前に多くいるし、治るってわかってるからあまり不安ではない。ただお金どうしようかなとか、じゃあもっとマックとか食べておけば良かったとかそんなことを考えていた。


 (悪くないって思ってたのだ。普段とは違うことがあったから。僕はどこまでいっても飽き性で、同じ部屋で同じ生活をするのに飽きる。だから自由を奪われるのですら良いなぁって思っていた。自由とは制限された中にあるものだと思う。なんでもして良いということは、何もしてはいけないのだ。)


 いざ、入院してみると、思ったより時間があるなぁと感じた。そして、忙しく生きている人が多いなぁと感じた。それからの日々は主にのんびり過ごした。やがて11キロくらい痩せるのだが、無駄を削ぎ落としているのだとポジティブに考えた。日々を過ごしていると、よく話すようになった看護師さんや、日々文句を言っている患者さんがいたりする。やがて、時が経つとそれらも静かになったりする。その時に寂しいという感情になったりする。外では看護師さんが忙しなく動いてる。どこかで誰かは死んでるかもしれないな。なんか、意外と治らなかったりするのかな。


 (平和のすぐ後ろに脅威がせまる。僕は宇宙を考える。宇宙のどこか。世界の裏側にある惑星。そこからの何光年も遠くから運ばれた光は人間を滅亡させたりするのだろうか。僕は死んだら宇宙になりたい。地球や、もっともっと広い果ての果てまで旅をする旅人。今までの後悔や嫉妬と言った人間の感情を持ち、旅をするのだ。)


 僕は医師からその話を聞いた時もあまり実感が湧かなかった。ただ、思ったより状態が悪いのだなぁと客観的に考えていた。母は泣いていたが、自分のことではないのにどうしてそんなに泣けるのか疑問に思っていたくらいだった。死ぬことは怖いが、僕はそれよりも死んだらどうなるのだろうとかそんなくだらないことを考えていた。


 夢で走馬灯のようなものを見た。そこには確かに僕が生きてきた軌跡と多くの人との関わり。またさらにそれに付随する、楽しかったとか、悲しいお別れとかいろんなものが詰まっていて少しだけ夢に残りたくなった。夢から覚めた時、僕は泣いていた。しかし、今更、昔の友達に会ったりする理由もないし、第一、今の僕を見られるのが嫌だったので連絡は取らなかった。みるみる体重が落ちてしまい、ご飯を食べることが嫌いになった。しかし、僕はただ生きていた。先に逝った人たちと自分をなぞる。ゲームをやろうとしたら充電は切れていた。


前に、自分を充電するために旅をしたことがある。あの時には、人というものを諦めていた。というよりも、人に期待することを辞めた。自分を生きやすくするための行動がやがて自分の首を絞めていて、やがてここまで追い込むことになることは知らなかった。たぶんこれは、自分の番が来たってことだ。


(この頃になると、しきりに覚悟だ、と呟いていた。死ぬ覚悟もないのに、生きることはできない。死ぬ覚悟を持てば生きることができる。しかし、そんな僕には本当の覚悟はなかったように思う。まだ死ぬには早すぎるのだ。)


 手術が決まった。明日からは何も考えることなく治療にさらに専念することになる。もう、戻れるかわからない。そして僕はなぜかこんな時に、昔友達と行ったラーメン屋や、あの頃の友達に無性に会いたくなった。そして、通っていた高校や、お世話になった恩師に会いたくなった。喧嘩した友達と仲直りしたくもなったし、ずっと倒せていないゲームのボスも倒したくなった。やりたいことで溢れ、まだまだ続くかもしれなかった人生を信じてみたくなった。ゲーム機を充電し、昔の友達に連絡を取った。病気のことも話し、今度お見舞いに来てほしいと言った。どうやらゲームも持ってきてくれるから一緒にボスも倒してくれるらしい。その時にあいつの、喧嘩した翔太の連絡先でも聞こう。そして、謝っておくんだ。


 明日には、もう今日は終わる。


 (僕はここまで書き、しおりを挟んだ。そして、友達にマックを買ってきてほしいというラインを送った。食べれなければせめて匂いだけでも嗅ぎたいのだ。あの昔の何度も嗅いだ匂いをまた嗅ぎたい。ここでまだ、何かしたいという欲望があることに驚いた。僕は自分の意思で眠る最後の日になるかもしれないと感じた。それはとても恐ろしいことだったので、僕はこの世界の理というか、決まり事に少しでも抗うように、ゆっくりと、目を閉じた。少しずつ死がとても綺麗な出で立ちで僕を陽動している。)






あとがき


こんなフィクションを書いた僕は衝動的に立ち止まった。理由もなく立ち止まった時にたまたま左折しようとした車にクラクションを鳴らされた。そんな時にこの小説が思い浮かんだ。


ただの言葉遊びで、衝動→しようどう→死陽動、となった。最近、日本語の面白さに気付きました。橋と端のような。一休さんいいですね。


読んでくれた皆様に感謝します。

どうかみなさま1日でも長く生きててください。






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死の陽動。 木田りも @kidarimo777

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