第6話 誤算(最終話)
ここは、小会議室のひとつ。
窓から見える東京の空は、暮色が漂っている。
勤務時間は過ぎたのに、昭夫[大迫]と細田[昭夫]が居残って、何やらヒソヒソ話をしている。
「さっき、雷太から連絡があったわよ。私の姿をした大迫は、家に雷太がいたので、仰天していたそうよ。でも、けなげに『妻』を演じてるって」
昭夫の姿をした細田が、さも愉快そうに報告する。
「大迫め、いい気味だ。雷太さんはゴリラみたいにデカいんだろ? 大迫の
「ゴリラは、ちょっと言い過ぎじゃない? でも、身長は2mちょっとあって、腕なんて棍棒みたいよ。大迫を、お姫様抱っこして、風呂に入ったって」
「へー。君はいつもそうしてもらっているんだ。新婚みたいだね」
「違うわよ。相手が大迫だからよ」
「それで? 今夜は夜っぴて大迫を可愛がってくれるんだろ?」
「そうよ。腰が立たなくなるまでね。雷太が
二人は、表向き総務部長と労務マネージャーという立場であり、電波障害の
*
風呂から出て髪を乾かしたりしていた大迫[細田]が振り返ると、雷太が立っていた。もともと鋭い目つきなのだが、獲物を前にしたオオカミのように獰猛な光を宿し、今にも口から
「もう我慢の限界だ。ベッドルームに行こうぜ」
「いや、しばし待たれよ!」
「何だよ、急に変なしゃべり方をして」
「……。雷ちゃん!」
「おう! いくか」
「腹ペコなのよ。ゴタゴタで、昼抜きだったから。まずは、腹ごしらえしなきゃ。さっき、夕食は雷ちゃんが準備してくれるって言ったじゃない」
「そうだっけな。悪かった。先に食事しよう。準備するから、ダイニングに行こう」
<危ない所だった。こんなゴリラの相手なんてまっぴらだ。しこたま酒を飲ませて、眠らせてしまおう。そのすきに、トンズラすべえ>
食事の準備といっても、メニューや味付けなどの嗜好を端末からインプットするだけだ。調理や給仕はロボットが行う。
二人は、テーブルに着いた。
「今夜のメインは、ステーキだ。ディアボラ風だぞ」
<ディアボラ風? どこかで聞いたことがあるぞ。ファミレスだったような……>
「なに、ボッとしているんだよ。雪子の無事を祝して乾杯しよう。奮発して、ドンペリを用意した」
「あいや
大迫は、酒を受け付けない体質なのだ。
「へ? お前、俺より酒が強いじゃないか」
「今日は、どうも体調が悪くて……」
「飲めば、そんなの吹っ飛んじまうさ。さあ、注ぐぞ」
「酒の強要は、パワハラですぞ」
「なに、とぼけたこと言ってるんだよ。まだ、頭の混乱が残っているな。さあ、飲め」
仕方なしに、大迫[細田]は恐る恐るシャンパンを口に含んだ。
<旨い!>
「美味しいわね」
「そうだろ。では、乾杯!」
「乾杯!」
大迫には、酒にまつわる苦い思い出があった。
大学生の時に、飲めない酒を無理して飲んだために急性アルコール中毒となり、救急搬送されたのだ。それ以来、酒は一滴も飲んでいない。
しかし、今は酒が
<細田の体ということは、肝臓のアルコール解毒能力も高いということか。こりゃいい>
二人で、大いに飲んで食べた。
「お前にセクハラしている大迫な――」
突然、雷太が言い出したので、大迫[細田]はすんでのところで、動揺が顔に出そうになった。しかし、酒の勢いで、大迫も気が大きくなっている。
「セクハラは今も続いているのか?」
「え? どうだかねー」
「どうしたんだよ。お前、大迫の
「藁人形? 胸のところが時々チクチクするのは、そのせいか」
「お前の胸がか?」
「いえ、独り言よ。大迫部長、意外にいい点もあるのよ。私を買ってくれて、今度横浜事業所の総務部長に推薦してくれるって」
「しかし、交換条件があるんだろ?」
<おのれ雪子め。そんなことまで雷太に話しているのか>
「ないわよ。それより、ジャンジャン飲みましょ! さあ、注ぐわよ」
<この巨漢を眠らすには、相当の酒量が要りそうだ。どんどん注いでやれ>
しかし、いくら注いでも、雷太は一向に酔っぱらわない。
大迫[細田]もいい気分になってきて、遁走はどうでもよくなってきた。
「腹いっぱいになったし、旨い酒も飲んだ。さあ、いよいよお楽しみの時間だ!」
「そうね、今夜は眠らせないからそのつもりでね」
「そりゃぁ、こっちのセリフだぜ。覚悟しろよ」
雷太は大迫[細田]をお姫様抱っこして、寝室に向かった。大迫は雷太の
ドアの前で雷太が「開け」というと、サッとドアが開いた。
*
翌朝6時。始業までまだだいぶ間がある。
朝の光が差し込んできた小会議室に、昭夫[大迫]と細田[昭夫]が眠そうな顔をしてやってきた。
「あなたの
細田[昭夫]が、
「俺はもともと鼾なんかしないよ。体がメタボの大迫だからだろう」
「なんだか、ややこしいわね」
「ところで、雷太さんから連絡は?」
「それが、まだないのよ」
「今も交戦中か?」
「そうかもね。あの人、底なし沼だし、ガトリング砲みたいに連射できるのよ」
「ガトリング砲? なんじゃそれ」
「幕末に、
その時、細田[昭夫]のスマホが鳴って、細田は話し始めた。相手は雷太らしい。
細田[昭夫]の表情が、みるみるうちに
「何なのよ、それ! そんなこと、メチャクチャじゃない!」
すぐに電話は切れた。
昭夫は、こんな
「どうした? 雷太さん、何だって?」
「おのれ、雷太め。生かしちゃおけん」
「だから、どうしたんだよ。言ってくれよ」
「どうもこうもないよ。私の体をした大迫に、骨抜きにされたのよ」
「何だって?!」
「私よりずっと
「おいおい、大迫にそんな特技があったのか?
「知るもんですか、そんなこと」
「まずいぞ。今回の非常災害で脳戻し忘れが多発したが、責任箇所は総務部の労務グループだ。だから、総務部長と労務マネージャー、つまり我々の責任が問われるぞ」
「あたしの体を返せ!」
細田[昭夫]の叫びが、がらんとした会議室に空しく響いた。
《完》
脳をめぐる能のない話 あそうぎ零(阿僧祇 零) @asougi_0
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