第6話 誤算(最終話)

ここは、小会議室のひとつ。

窓から見える東京の空は、暮色が漂っている。

勤務時間は過ぎたのに、昭夫[大迫]と細田[昭夫]が居残って、何やらヒソヒソ話をしている。


「さっき、雷太から連絡があったわよ。私の姿をした大迫は、家に雷太がいたので、仰天していたそうよ。でも、けなげに『妻』を演じてるって」

 昭夫の姿をした細田が、さも愉快そうに報告する。

「大迫め、いい気味だ。雷太さんはゴリラみたいにデカいんだろ? 大迫の荒肝あらぎもひしいだ様子ようすが見たかったな」

「ゴリラは、ちょっと言い過ぎじゃない? でも、身長は2mちょっとあって、腕なんて棍棒みたいよ。大迫を、お姫様抱っこして、風呂に入ったって」

「へー。君はいつもそうしてもらっているんだ。新婚みたいだね」

「違うわよ。相手が大迫だからよ」

「それで? 今夜は夜っぴて大迫を可愛がってくれるんだろ?」

「そうよ。腰が立たなくなるまでね。雷太が適宜てきぎ様子を知らせてくれる手はずよ」

 二人は、表向き総務部長と労務マネージャーという立場であり、電波障害のあと処理のため、今夜は会社に泊まる予定なのだ。



 風呂から出て髪を乾かしたりしていた大迫[細田]が振り返ると、雷太が立っていた。もともと鋭い目つきなのだが、獲物を前にしたオオカミのように獰猛な光を宿し、今にも口からよだれを垂らしそうだった。

「もう我慢の限界だ。ベッドルームに行こうぜ」

「いや、しばし待たれよ!」

「何だよ、急に変なしゃべり方をして」

「……。雷ちゃん!」

「おう! いくか」

「腹ペコなのよ。ゴタゴタで、昼抜きだったから。まずは、腹ごしらえしなきゃ。さっき、夕食は雷ちゃんが準備してくれるって言ったじゃない」

「そうだっけな。悪かった。先に食事しよう。準備するから、ダイニングに行こう」

<危ない所だった。こんなゴリラの相手なんてまっぴらだ。しこたま酒を飲ませて、眠らせてしまおう。そのすきに、トンズラすべえ>


 食事の準備といっても、メニューや味付けなどの嗜好を端末からインプットするだけだ。調理や給仕はロボットが行う。

 二人は、テーブルに着いた。

「今夜のメインは、ステーキだ。ディアボラ風だぞ」

<ディアボラ風? どこかで聞いたことがあるぞ。ファミレスだったような……>

「なに、ボッとしているんだよ。雪子の無事を祝して乾杯しよう。奮発して、ドンペリを用意した」

「あいやしばらく。酒は一滴も飲めないんで……」

 大迫は、酒を受け付けない体質なのだ。

「へ? お前、俺より酒が強いじゃないか」

「今日は、どうも体調が悪くて……」

「飲めば、そんなの吹っ飛んじまうさ。さあ、注ぐぞ」

「酒の強要は、パワハラですぞ」

「なに、とぼけたこと言ってるんだよ。まだ、頭の混乱が残っているな。さあ、飲め」

 仕方なしに、大迫[細田]は恐る恐るシャンパンを口に含んだ。

<旨い!>

「美味しいわね」

「そうだろ。では、乾杯!」

「乾杯!」


 大迫には、酒にまつわる苦い思い出があった。

 大学生の時に、飲めない酒を無理して飲んだために急性アルコール中毒となり、救急搬送されたのだ。それ以来、酒は一滴も飲んでいない。

 しかし、今は酒がうまい。どんどん喉を通っていくし、たいして酔わない。

<細田の体ということは、肝臓のアルコール解毒能力も高いということか。こりゃいい>

 二人で、大いに飲んで食べた。


「お前にセクハラしている大迫な――」

 突然、雷太が言い出したので、大迫[細田]はすんでのところで、動揺が顔に出そうになった。しかし、酒の勢いで、大迫も気が大きくなっている。

「セクハラは今も続いているのか?」

「え? どうだかねー」

「どうしたんだよ。お前、大迫のわら人形を作って、針で刺してのろっているじゃないか」

「藁人形? 胸のところが時々チクチクするのは、そのせいか」

「お前の胸がか?」

「いえ、独り言よ。大迫部長、意外にいい点もあるのよ。私を買ってくれて、今度横浜事業所の総務部長に推薦してくれるって」

「しかし、交換条件があるんだろ?」

<おのれ雪子め。そんなことまで雷太に話しているのか>

「ないわよ。それより、ジャンジャン飲みましょ! さあ、注ぐわよ」

<この巨漢を眠らすには、相当の酒量が要りそうだ。どんどん注いでやれ>


 しかし、いくら注いでも、雷太は一向に酔っぱらわない。

 大迫[細田]もいい気分になってきて、遁走はどうでもよくなってきた。

「腹いっぱいになったし、旨い酒も飲んだ。さあ、いよいよお楽しみの時間だ!」

「そうね、今夜は眠らせないからそのつもりでね」

「そりゃぁ、こっちのセリフだぜ。覚悟しろよ」

 雷太は大迫[細田]をお姫様抱っこして、寝室に向かった。大迫は雷太の猪首いくびに両手をまわした。

 ドアの前で雷太が「開け」というと、サッとドアが開いた。



 翌朝6時。始業までまだだいぶ間がある。

 朝の光が差し込んできた小会議室に、昭夫[大迫]と細田[昭夫]が眠そうな顔をしてやってきた。

「あなたのいびきがうるさくて、あまり眠れなかったわ」

 細田[昭夫]が、欠伸あくびをしながら言う。

「俺はもともと鼾なんかしないよ。体がメタボの大迫だからだろう」

「なんだか、ややこしいわね」

「ところで、雷太さんから連絡は?」

「それが、まだないのよ」

「今も交戦中か?」

「そうかもね。あの人、底なし沼だし、ガトリング砲みたいに連射できるのよ」

「ガトリング砲? なんじゃそれ」

「幕末に、河井継之助かわいつぎのすけが使って――」


 その時、細田[昭夫]のスマホが鳴って、細田は話し始めた。相手は雷太らしい。

 細田[昭夫]の表情が、みるみるうちにけわしくなっていった。

「何なのよ、それ! そんなこと、メチャクチャじゃない!」

 すぐに電話は切れた。

 昭夫は、こんな般若面はんにゃめんのような形相ぎょうそうになった自分の顔を、生まれて初めて見た。

「どうした? 雷太さん、何だって?」

「おのれ、雷太め。生かしちゃおけん」

「だから、どうしたんだよ。言ってくれよ」

「どうもこうもないよ。私の体をした大迫に、骨抜きにされたのよ」

「何だって?!」

「私よりずっと上手じょうずなんですって。だから、1週間だけこのままでいさせてくれって。大迫は体調不良ということで、1週間休暇を取るそうよ」

「おいおい、大迫にそんな特技があったのか? 奥方直伝おくがたじきでんわざか?」

「知るもんですか、そんなこと」

「まずいぞ。今回の非常災害で脳戻し忘れが多発したが、責任箇所は総務部の労務グループだ。だから、総務部長と労務マネージャー、つまり我々の責任が問われるぞ」

「あたしの体を返せ!」

 細田[昭夫]の叫びが、がらんとした会議室に空しく響いた。

《完》

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脳をめぐる能のない話 あそうぎ零(阿僧祇 零) @asougi_0

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