3本目——澪

 やっぱり目の前には『花言葉図鑑』があった。三本のヒマワリの花言葉は『愛の告白』。ついさっきまで握っていたはずのヒマワリはない。だが、花言葉と伝えたかった気持ちは受け取っている。おそらく、向日葵は記憶を引き継いでいるから、話の続きをするだけだ。


 幸せだから死ぬ、の意味はおそらく、『ループしている限り、澪に会うことができる』からだ、ということになると澪は考えている。


 書いた小説が原因で広まった澪のイメージを、そのまま受け入れてしまったのか、澪が一人でいるところをよく見ていたからかはわからないが、近づけば遠ざけられると思ったのだろう。


 もうやることは決まっている。


 澪は、テニスコートに向かった。半ば予想はしていたが、そこに向日葵の姿はなかった。


「あの、大空先輩はどこにいますか?」


 前回のループで多少喋ったからか、フランクにふたつくくりの向日葵の友人に話しかけてしまった。


 丸い目をもっと丸くしてはいるが、彼女は応えてくれた。


「えっと、なんの用事かな?」

「用事と言うか、ちょっと話したいことがあって」


 彼女は口角をわかりやすく上げる。


「ふ〜ん。そっちの口ね。まあ、玉砕してきなさいよ! ヒマも元気でるでしょ!」


 そっちの口、と言われるぐらいには向日葵は愛の告白を受けているのだろう。


 この状況で玉砕する方が難しい気がするが、まあ、ここではあえて何も言うまい。


「元気ないんですか?」

「まあね。今日は屋上にいるみたいだからさ、大体あそこにいるときは落ち込んでるのよ。滅多にないことだけどね、逆にいえばさ、チャンスかもしれないよ、少年」


 落ち込んだ原因はおそらく澪なのだから、チャンスとはいえない。だが、その落ち込みを払拭することはできる。


「わかりました、元気になってもらうぐらい頑張りますよ」

「はっはは! まあ、よっぽどのことがない限り難しいと思うけど、一応頑張れ! あと、部活に来るように言っといてね」

「了解です」


 腹を抱えて笑うふたつくくりの友人を背に、澪は歩き始めた。


 現在の時刻は17:20。まだ時間はある。屋上に行く前に、中庭に寄らなければならない。


 西館と東館に挟まれた中庭には渡り廊下と、花壇や、池などがあって、ちょっとした庭園っぽくなっている。そこで一際目立って咲いているのがヒマワリの花だ。黄色の光を放ちながら、それでも太陽に憧れて、その姿を追っている。


 申し訳ない気持ちにはなるが、三本手折った。

 萎れてしまう前に、渡すべき人に渡さなければならない。

 向日葵がいるのはあの、彼女が落下してしまった屋上だろう。

 東館の階段を早足で登る。息が上がるが、早くしないと全てが手遅れになってしまうような気がして、足を止めることはできない。


 立ち入り禁止と書かれた紙をぶら下げた縄を飛び越えて、屋上へとつながる鉄扉を開いた。


 そこにはフェンスに寄りかかって、街を見下ろしている向日葵がいた。


「大空先輩!」


 はっとした向日葵が澪を見た。


「夜中……君? どうしてここに」

「まだ、返事をしてないじゃないですか」

「そ、そうだね。でも答えはわかってるし、聞きたい気持ちじゃないかな」


 伏せてしまった顔にはいつもとは意味の違う笑顔が張り付いてしまっている。


「先輩は、自分で決めつけすぎなんですよ。これ、受け取ってもらえますか」


 手折ったヒマワリを向日葵に差し出す。


「え、これって」

「先輩なら、意味がわかると思います」

「も、もちろん意味は……『愛の告白』」


 徐々に、向日葵の目尻に涙が溜まっていくのが澪にはわかった。


「僕のことをどう思っていたのかわからないですが、僕は自分のことを孤独が好きな人間だなんて思っていませんよ」

「でも、あの小説、題名はなかったけど、あれを読んだ限りそうだと思った。本当に違うの?」


 石橋を叩くように向日葵は確認をする。


「作者と作品を混同してしまうのはよくあることですよ。もちろん、僕の中にあの小説の要素がないともいえませんけどね」

「そう。ならよかった。私はあなたの小説を読んで、あなたのことが好きになったなの」


 とろけた目で見つめられた澪は思わず目を逸らしてしまった。


 意外なことだった。あの小説のせいで自分には友達ができなくなったのかと思っていたが、それとは引き換えに一輪の花を与えてくれたみたいだった。


「ぼ、僕も先輩のことが好きです、あの、……付き合ってください」


 好意を向けられることに慣れていない澪はこれ以上この空間に、焦ったいこの感じに耐えられなかった。


「はい、不束者ですがよろしくお願いします……」


 ついに涙を流し始めた向日葵は両手で澪のことを抱きしめた。


「死なないでくれますか、先輩」

「死ぬわけないじゃない。幸せだから私は生きるの」

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