第53話 笠井宅

「今日、森本君がうちの部屋にいる時は絶対に来ないで欲しいの。これだけは約束してね?」


 おっとりした口調ながらも、重みのあるトーンで舞は光へ確認する。


「…」


 無言で光は頷く。俯いた状態で、目線は決して舞と合わない。


「それならいいの。絶対に約束破らないでよ? だって、あなたは既に森本君と別れてるんだから。会う権利はないの」


 第3者からしたら非常に重苦しい空気が漂う。非常に光も居心地が悪そうだ。


 ピーンポーン。


 ドアフォンの高い音が家中に響き渡る。舞も光もそれぞれ音に反応する。


「は〜い!」


 光を眼中から消して、舞は嬉しそうに2階から1階へ階段を下る。


「森本君。ちょっとだけ待ってて欲しいの。すぐにドアを開けるから」


『いえ。そんなに焦らなくてもいいですよ』


 舞は簡単なコミュニケーションを広季と交わす。


 そして、パタパタと玄関へ移動する。


 ガチャ。


「お待たせ〜。待った〜」


 おっとりしたオーラは健在ながら、満面の笑みを絶やしながら、舞は広季を迎える。


「いえ、全然ですよ。お邪魔します」


 軽く会釈をし、広季は笠井宅へお邪魔する。


(なんか落ち着かないな。やっぱり元カノの自宅だからだよな。以前に1回お邪魔した経験はあるけども)


 モヤモヤないし謎の緊張感が広季の胸中を支配する。頭から光の存在が離れない。


「どうぞどうぞなの。そんなに畏まらなくていいよ」


 優しく対応し、舞はスリッパを差し出す。


「ありがとうございます」


 お礼を口にし、スリッパに広季は足を通す。広季は足が小さいためか。女性用にも関わらず、いい感じにフィットする。


「うちの部屋はこっちだから付いてきてね」


 舞を先頭に広季は後を追う。舞に倣って廊下と接する階段を登り、2階へ到達する。前にも見た内装が拡がる。全く変わった様子はない。


 『舞』と記載されたドアプレートが掛けてあるドアを通過する。


 入室した直後、バラの香りが広季の鼻腔を刺激する。その香りが広季の気分をわずかに上げる。どうやら部屋の香りのようだ。


 部屋には以前と同様にベッド、四角の絨毯、緑のカーテン、勉強机、教科書などしかなかった。女性らしい道具としてはベッドにくまのぬいぐるみがあるくらいだ。


「ねぇねぇ。元カノに後悔させてあげたくない?」


 広季の耳元で舞は囁く。まるで悪の道に誘うように。


「な、なに言ってるんですか…。別にそんな」


 ぎこちなく広季は答える。視線は合わない。いや、意図的に合わせていない。後ろを振り向かず、前だけを緊張した面持ちで見つめる。


「本当かな〜。一瞬の間があったよ〜」


「か、揶揄わないでくださいよ」


「ごめんごめん。でもね。森本君の元カノさんは今では後悔してるの。別れたことをね」


 光の部屋と繋がる壁を舞は直視する。壁をすり抜けて部屋に身を置く光を見通すように。


「そうなん…ですか?」


 広季にとっては意外だった。


 光は全く別れたことを後悔していないと勘違いしていた。


「うん。だからね。もっと後悔させてあげたいと思わない? 自分の価値を証明しないと!」


 にこっと微笑み、舞は後ろから広季をバックハグする。


「ちょ!? 舞さん何してるんですか!」


 動揺を隠せない広季。


 首周りには柔らかい腕の感触が伝わる。もちろん背中辺りに柔らかい2つの双丘も存在する。


 男をダメにする柔らかさが、ずしずし広季を攻撃する。


「ふふっ。可愛いからつい抱きついちゃった」


 悪びれることなく、ほんのり舞は頬を赤く染める。


 舞が背伸びをして後ろからバックハグする。つま先はぴんっと伸びる。


「俺の話聞いてます? 」


「聞いてるの〜」


 軽く舞は広季の言葉を受け流すと、より一層腕に力を入れ、密着する。


「はぅ!?」


 変な声が漏れる。


 先ほどよりも強く理性が削られる。


 あそこもびんびんになる。柔らかい感触を味わう度に広季のあそこも呼応して大きくなる。


「ふふっ。森本君、うぶだから最高なの」


 ふーっと舞は後方から広季の耳に息を吹き掛ける。


 ぶるっと広季の身体に震えが走る。


「いいなぁ。お姉ちゃんは森本君とイチャイチャできて…」


 ベッドに体育座りで座り、消え入りそうな声を光は出す。


 壁を通して広季と舞のイチャイチャ会話を耳にする。掛け布団を頭に被りながら。


「もぅ〜。森本君はうちの癒しなの! だからこのままバックハーグをキープさせて」


「ちょ、ちよっと…だけですよ」


 光の心情など露知らず、壁から広季と舞の会話が流れる。まるで壁がラジオみたいだ。


「どうして別れちゃったんだろ。私のバカ。自分の人生を台無しにして……」


 身を隠すように、顔全体を光は掛け布団で隠す。視界や音を遮断するために。


「もぅ森本君のイチャイチャ会話なんて聞きたくない。お姉ちゃんはわざとやってるの?」


 自身の身体を両腕で抱き、小刻みに左右交互に震える。


 だが、広季と舞の会話は留まることを知らなかった。

 

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