第36話 期待は裏切らない

(井尻は誰に告白するつもりなんだ?)


 帰りのホームルーム終了後、帰宅せずに広季は啓司の後を追う。慣れない尾行を試みる。


 昇降口の靴箱へ、啓司は1枚の手紙を投入する。その靴箱は啓司の専用箱ではない。


(誰の靴箱に手紙を?)


 不思議に感じながらも、堂々と歩く啓司を慎重に広季は追跡する。


 時折、物陰に隠れながら追跡を続ける。


 啓司が300メートルほど足を進めるなり、自動販売機が2台ほど並ぶ柔剣道場前に到着する。


 目的地なのだろう。無言で立ち止まり、啓司は何者かを待つ。


 2台の自動販売機は来客を迎えるように、明るいブルーライトを放つ。


(誰が来るんだ?美少女って井尻は言ってたけど)


 近くにそびえ立つ大きな木に、広季は身を隠す。


 すっぽり身体は木に隠れる。男子にしては身長が低い広季だからこそ可能だった。


 今のところ、啓司にバレずにいた。尾行は素人レベルだが。


「おっ。来たか!」


 ようやく啓司は口を開く。


 目当ての人物が現れる。


(え……。もしかして仁美?)


 広季は啓司の視線をそのまま辿る。


 身体も表情も岩のように固まる。


(まさか。井尻の告白する相手は仁美だったのか…)


 複雑な気持ちになる。仁美が啓司のものになってしまう。かなりの不安が広季を蝕む。


「やぁ!わざわざ放課後に呼び出してごめんね」


 愛想の良い笑顔を、啓司は披露する。積極的に仁美へアピールするために。すでに告白の戦略は始まる。


「転校生の君が何か私に用事があるの?」


 特に笑顔を返すわけでもなく、淡白に仁美は対応する。


 表情から怒りも悲しみも見えない。どちらかと言えば、無関心に近い。


「うん! お察しの通りだよ。靴箱の手紙を確認してくれたから来てくれたんだよね?」


 未だに、啓司は余裕たっぷり。言葉の調子も普段と大差ない。未だに自信は顕在だ。


「ん。 手紙に柔剣道場へ来てくださいと、記載されてたから」


 仁美は自然と首肯する。愛想は普通。笑顔も嫌悪も存在しない。


「今日、体育で球技大会の練習があったじゃん。バレーボールね。その時の俺はどうだった?」


 ニヤニヤしながら、啓司は尋ねる。笑みが止まないのは称賛される自信があるためだろう。


「う〜ん。あんまり知らないかな。正直、ほとんど見てなかったから」


 一瞬だけ真上を見上げて考えた後、仁美は澱みなく言い切る。躊躇や遠慮など存在しない。


「そ、そうなんだね。友達と雑談でもしてたのかな」


 さすがの啓司も作り笑いを浮かべる。予想外の回答でわずかに動揺も走る。


「は、話を変えるけど、俺は弥生さんと同じ中学なんだ。バスケ部のエースで学校でもかなり知名度あったんだけど。もちろん知ってるよね?」


「そうなんだ。確かに聞いたことがあるような、無いような」


 脳内の記憶を探るように、右に左にリズムよく仁美は首をひねる。


 仁美はバスケ部の練習を目にした経験がない。


「…」


 啓司は絶句する。返す言葉が浮かばないのだろう。


 想定外の言動を、仁美は何度も成す。


「それで用件はなんなの? 早くしてよ」


 ようやく仁美は不快感を示す。面倒臭そうだ。

 

「あぁ、ごめんね」


 慌てて、啓司は謝罪する。再度、明瞭な作り笑いを形成する。


「単刀直入に——」


「あっ! 広季! そんなところにいたんだ! 」


 木の方を指さし、啓司の言葉を仁美は遮る。


(えー!?気づかれたー)


 広季の身体に異常な緊張が走る。身体中に焼けるような熱も帯びる。


 バクンバクン心臓の鼓動が加速する。


「もぅ探してたんだよ!」


 啓司を蚊帳の外に放り出し、広季の元へ仁美は素早く駆け寄る。


「ご、ごめん。そうなんだ」


 啓司の顔を窺いながら、ぎこちない態度で広季は応答する。啓司の怒りに触れないか、心配だった。


 啓司は呆然とする。突然の出来事に対応できずにいる。


「とにかく行こ! 一緒に帰ろ!」


 啓司の会話時と打って変わり、テンション高く嬉しげに仁美は言葉を紡ぐ。


「う、うん……わかった」


 勢いに押される形で、広季は承諾する。脳が自然と反応し、口からぽろりと漏れた。


 そのまま仁美は広季の手を握る。


「決まりだね! 1度、荷物を取りに教室へ戻ろうね!」


 仁美はパッと広季の手を掴み、強引に引く。


「お、おい! 転校生の井尻はほっといていいの?」


 前方ではなく、広季は恐怖に怯えるように啓司へ視線を走らせ続ける。


「色々聞かれて答えたから既に用件は終了したはずだよ。気にしない気にしない」


 全く配慮せず、仁美はぐいぐい進む。


「ちょっ!?」


 流されるように、広季はぐんぐん啓司と距離を作る。


「………」


 唖然としながら、啓司は広季と仁美の遠い後ろ姿を見つめる。完全に啓司は柔剣道場の前に取り残される。


 残念ながら、この啓司の表情を広季は視認できなかった。他人の不幸か発生する蜜を味わうことが叶わなかった。

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