映画鑑賞、お供にココア 05-1

〈 12月11日 〉



 冬は時間が止まっている。

 空気は冷たく、体は委縮し、あらゆるものはにぶくなる。


 秋の気配は遠ざかり、冬の温度が、世界の動きを止めようとする。


 さて、そんな寒い冬であるからこそ、温かいものは、ひと際おいしい。

 お鍋、おでん、シチュー、ポトフ、うどんなど……。

 それから、あたたかいお茶、あたたかい紅茶、ホット珈琲、ホットカルピス、ホット日本酒……そしてホットココア。


 千夜せんやは年中ココアを愛飲しているが、やはり冬に飲むココアが一番おいしいと感じている。

 体がぽかぽかする。ほっとする。安心する。

 そういう、穏やかな心を、あたたかい飲み物というのは与えてくれる。


「ココア、そっち持っていきますね」

「ありがとー」


 キッチンからひょこ、と顔を出したのは、彼の家に頻繁に訪れるようになった少女、桶内真魚おけうちまお

 オフホワイトのセーターにジーンズといった、外着でありつつも、少しラフな格好をしている。


 少女が本日この家にやってきた理由は、特に、ない。

 しいていうなら、ココアを飲みに来たとか。のんびりしに来たとか。映画を見に来たとか。そんな理由になるのだろう。

 そんな理由で、訪れるようになっていた。


「はい、お待たせしましたー」


 少女は二人ぶんのマグカップを、コトリ、とテーブルの上に置く。

 マグカップの中には、ホットココアが満ちていた。ミルクブラウンが、ほかほかと湯気をあげている。

 少女は彼のほうにココアをススス……と差し出して。彼をジッと見て、そんな少女に彼は苦笑して、少女のいれたココアを口に運ぶ。


「……おー。ミルクとココアの比率が完璧だ」

「ありがとうございます。嬉しいです」

「天才」

「ふふ。褒めてもなにもでませんよ」


 真魚の言葉はフラットであったが、唇の端は緩んでいて、まんざらでもない様子であった。

 実際のところ、少女の淹れるココアはおいしい。一番最初に淹れたココアはダマも多く口あたりが良いとは言えなかったが、いまではなめらかなココアを淹れるようになっている。

 真魚がこの家を訪れる頻度は、週に一回から二回になっていて。

 その度、この家に訪れるたびに、少女はココアを淹れている。

 だから自然と、上手に丁寧に、優しい味に仕上げることができるようになっていた。


「今日は何を観るんですか?」

「何が見たい?」

「なんでもいいです。合わせます」

「じゃあずっと見たかったやつ」

「はい」


 また、少女がこの家に来た際は、映像作品を見ることが常だった。

 アニメ、映画、ドラマ。

 動画の配信サイトにある色々なものを、観て、聴いて、共有する。

 もともとは沈黙が気にならないとか。話題にもなるとか、そんな理由で流しはじめたものだったが。

 なかなかどうして、一緒に映像作品を眺める時間は、比較的、穏やかで心地いい。

 だから、映像作品──……音声を流し、それを共有することが常だった。



 時刻は、午後の15時。

 


 外は明るく、室内も、明かりをつけているため明るい。

 壁紙はクリーム色、カーテンは黒色、テーブルはガラス。明るい色と、暗い色。どちらかに偏るでもなく、どちらもこの部屋には存在していた。

 そして、モニターからは音声が流れる。

 エフェクト、環境音、台詞、BGM。

 その音声を受け止める彼らは、無言。だが、無音ではない。呼吸音や衣擦れなどといった、わずかな所作で生まれた音は、身に纏っている。


 そんな無音ではないが無言の彼らはというと、映画の内容に集中してはいなかった。

 モニターを見てはいるし、耳も傾けている。けれど食い入るように画面を見ているわけではなく、別のことに、気をそらしていた。


『ずっと前から聞きたかったことがあるんですけど』

『なんだって?!』

『大したことじゃないんですが、この家マグカップたくさんあるじゃないですか。集めるの好きなんですか?』

『いい質問だ』

『ありがとうございます』

『趣味というか、たまに水浸けたまま放っちゃうことがあるから、まぁ二個くらい手元にあってもいいかなって。そんな感じ』

『5個くらいありません?』

『あるかもしれない』

『趣味じゃないんですか』

『うむ…。そうとも言えるしそうでないとも言える…』


 真魚の口から、ふふ、と声が漏れる。

 小さな笑みをかみ殺すような、映画の音でかき消されてしまうような、小さな音。

 そう、彼らが映画の片手間によく見ているのは、スマートフォンだった。お互いに、メッセージを送り合いつつ、映画を見る。


 おうち映画と、映画館映画の一番大きな差はやはり、こういうところに存在する。

 ながら見。

 映画館で映画を見ているときに、スマートフォンなんて取り出したら折檻ものだが、家でそれをして咎めるものはいない。ゆえに、映画館ではできないこと、というニュアンスでおうち映画ならではの楽しみ方の一つと言える。

 リアルタイムで、誰かと感想を言い合ったり、単純に家事など別のことをしたり。そういうことは、おうちで映画を垂れ流しているときにしかできないことだ。


 映画を楽しんでいないわけではなくて、ただ単に、別の楽しみに並行で触れている状態。


『これなんてタイトルでしたっけ』

『ハッピー・デス・デイ。ホラー映画』

『ホラーすきですね』

『うむ…。』


 画面では女性が刃物で殺されたところだった。

 映像の中で人が死ぬのを見ながら、千夜はココアを飲む。温かい。もうしばらくすれば冷めるだろう。

 映像の中で人を死ぬのを見ながら、真魚は「ぅゎぁ……」とクッションを抱きしめる。


 ホラー。このジャンルの物語が苦手なひとほど、映画館より、おうちで鑑賞するほうがよいだろう。

 目を背けることが比較的容易だし、それこそ先述したように、気を紛らわせるように別のことをすることもできる。

 少女は、クッションを片手で抱えつつ、空いた手でスマートフォンをぽちぽちと操作する。



『話だいぶ戻しますけど、小池さんって、誕生日いつなんですか?』

『今どこに戻った?』

『4か月前くらいですかね…? 実は誕生日の話してたんですよ』

『そうなのか……』



 まったく覚えてない。……4か月前……8月……? などと千夜は首をひねる。

 でもそういえば、彼女の誕生日は覚えている気がする。

 なら、確かにそういう話をしたのかもしれなかった。



『そっち8/5だっけ?』

『よく覚えてますね』

『ぼくも某月の5日生まれなのでね』

『いやそこまで言うなら教えてくださいよ。何月ですか?』

『12』

『終わってるじゃないですか…』

『そうかもしれない。』



 しょんもりした顔で、少女は小さく息を吐く。

 もうすぐ、という話ならプレゼントとかもいいな、と思っていたのだ。

 真魚はそのままカレンダーアプリを開いて、じーっと眺めて、ため息を一つ。


 そして 少しぬるくなったココアを飲んで、やわらかな停滞に身をゆだねる。

 彼らの過ごす空間は、すごく落ち着いていた。

 冬の停止。時間の停滞。少し気持ちが溶けるような、心の奥底に封じられているような。

 夏が浮かされるものなら、冬は沈むものなのかもしれない。けれどその沈んだ場所が、必ずしも居心地の悪い場所とは限らない。

 空調。飲み物。同じ空間にいる人。

 それらの要因によって、その空間の居心地の良さというものは、変わってくる。


 彼らのいる空間が居心地が良いのか悪いのか。その答えは、先のやり取りで心に生まれた、心の温度の通りだった。

 淡くて、つかみどころがない、あたたかい色。


 そういうものに浸りながら、彼らは映画を見ていた。

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