久しぶり、それとおやすみ 04-4


「……甘くないほうがいいです」

「よろしい」


 ふらふらと引き寄せられるように、手を動かす彼のもとへ。

 狭いキッチンに、体一つぶんほどの距離を空けて、のぞき込むようにして入り込む。


「……ココア作るの、結構好きなんだよね。缶からココアパウダー取り出すときの香りも好きだし、ミルクちょこっと入れて、ペースト作るところも、練り物してる感じが結構好き。最後加熱して仕上げるところも、香りがぶわーって広がって好きなんだよ」


 二人ぶん。ココアパウダーを、スプーンで軽く四杯。

 ミルクを少々。入れすぎないように。そして、スプーンで練るように混ぜ合わせる。均一に混ざったら、ミルクを継ぎ足して、また混ぜて。

 軽く火にかける。

 芳醇と呼ぶにふさわしい、まろやかな香りが広がる。

 そういう様子を、彼がココアを作る過程を、少女は、浮いたような心で眺めていた。



「……──と、いうわけで、完成です」



 彼はマグカップを二つ取り出して、均等に注ぐ。


「ここまでやっといてなんだけど、飲む?」

「……飲みます」

「はい」


 白い湯気が、立ち上がっている。

 ミルクブラウンの液面は、ややまだらで、白とブラウンが対流しているようで。

 そして、細かな泡が、まるでクリームのように現れては、消えていく。


 彼は、目を細めてそれを見て、カップを持ってテーブルへ。


 こと、とカップをテーブルの対方向に一つずつ置いた。


「……」


 ふー、ふー、と彼は、息を吹きかけて。

 ずず、と一口飲んで。

 はぁ〜〜、と吐息をもらす。

 

「……」


 少女は、倣うように、ココアを一口。

 あつ、と声にならない声をもらして、嚥下する。


「……」


 モニターに流れていた映画は、いつの間にかエンドロールを終えていて。ずっと空間を満たしていた音が、なくなっている。

 吐息の音。カップが机に置かれる音。衣ずれの音。エアコンの音。夜の音。

 空間を満たすのはそれくらいで、つまりは少女に馴染みのない他人の音だった。

 

「ココア、お好きなんですね」

「ん。一日一回は飲む。……桶内さんは? 好きな飲み物とかある?」

「好きな飲み物……」


 少女は、少しだけ考えた。

 自分が好んで飲むもの。いくつかある候補を、思い浮かべる。オレンジジュース、ミルクコーヒー、抹茶ラテ、タピオカ、など。

 そして、その好きなラインナップの中には、自然と入りつつある、いま口にしている飲み物があった。


「私も、ココア好きですよ」

「そう。それはよかった」

「甘くないのもいいですね」

「甘くないのは甘くなくておいしい。甘いやつは甘くておいしい。……って、前も似たようなこと言った気もするけど」

「言ってましたね」


 彼は目尻を下げて、微笑む。

 それを見て、少女も、ようやく肩から力を抜くことができた。

 今日一日、彼と会ってからずっと、迷惑をかけて負担をかけることしかできなくて。情けなくて寂しくて辛くて、それがまた苦しくて。

 あぁ、だけど、言葉を交わして、自然と笑ってくれるのだというその事実が、やっぱり嬉しくて。


「……おいしいですね。あったかい」

「それはよかった」


 少女は、マグカップを両手で持って、こくり、と飲んで。

 そして、安堵にも似た、吐息をもらす。

 夏の日に飲んだそれと違うのは、温かいこと。

 熱が、のどを通って、胃まで届いて、お腹の中から暖まる。


「これ飲んだら、歯磨いて、寝ようか」

「はい」


 しばらく二人で、同じテーブルについて、同じ飲み物をのんで。

 交代ごうたいに、洗面所で歯を磨いて。


 消灯。


 パチリ。


「おやすみ」

「……おやすみなさい」


 彼が寝室へ消えるのを、少女は毛布のおかれたソファから、見送った。

 扉が閉まる。一人になる。



「……──」



 ソファのひじ置きに頭をあずけて、少女は暗闇の中、毛布をかぶる。

 スマートフォン一つあれば、夜明けまで、時間をつぶすくらいのことはできるだろう。けれど、そういうことをする気もあまり起きず、素直に目を閉じる。

 誰かと時間を合わせて眠るというのは、どことなく、旅行のような気分で、不思議で、落ち着かないようで落ち着いていて。

 夜。暗闇。静寂。

 頬の痛みも忘れて、少女は、穏やかにねむりに落ちた。





  ✿





〈11月5日 〉



 ピピピ、ピピピ。

 軽やかな電子音、ぼやけた視界、重たい体。

 少女はソファで横になりながら、アラームを止める。

 時刻は6時過ぎ。

 彼が起きる、──と先日言っていた時間に合わせて鳴らしたアラームで、少女は目を覚ます。


 別に、少女自身は、この時間に起きる必要もないのだけれど。


 学校を休むという、やや後ろめたい行為をする予定がある手前、何がしかの基準を守りたいという気持ちがあったから、きちんと起きようと努めた。

 ねむった時間が深夜である上に、寝床が快適と言えるわけでもなかったから、肉体のコンディションはやや低め。

 精神のコンディションは、普通だった。悪くない。悪くないということは、異常がないということで、良いと言い換えてもよかった。


「…………」


 少女は、彼の眠る寝室をじっと見つめる。

 そろそろ彼も起きて、ドアが開いてもおかしくない。

 少しの間、少女はぼんやりドアを見つめ続けていて、やがて洗面所へと向かった。

 顔を洗って、歯を磨いて、髪をとかして。

 そうして、少女が起きてから、約15分が経過したが、特に寝室のドアが開く気配はない。

 なお、寝室のドアの向こうからは、アラームの後が、鳴っては消えて、鳴っては消えてを、5分おきのペースで繰り返している。



 ──6時から7時くらいまで、何回かアラーム鳴るけど、寝てていいよ。



 実際のところ、彼が言っていた台詞はこれで、少女は一番最初の6時に合わせて起きたのだが。

 まぁ、あの言い方だと、7時までに起きればいいのだろう、と少女は結論づけた。


「……んー」


 寝間着から普段着に着替えてもいいけど、と少女は自分の服をつまんだりして。

 でも変に洗面所で鉢合わせても気まずいし……と、そこで、一つのことを思い出す。


 手紙。


 彼が、自分のいないところで開けて読んでほしい、と言っていたもの。

 今の時間の使い方として、ちょうどいいかもしれない──、と期待半分怖いの半分で、少女は手紙を開封した。

 ソファに座りながら、便箋を取り出すと。

 取り出すときに、まず、何かが落ちた。


 硬質の、小さいもの。

 金属でできた、鍵。


 床に落ちたそれを拾い上げて、少女は、手紙を読み始める。



「…………………」



 読み進めて、読んで、読み終わって。

 少女は、頬をほころばせる。

 そして、ぽすん、と腰かけていたソファへと横に倒れる。

 にまにま、と。

 そんな形容がよく似合う笑みを、少女は、浮かべていた。


 ──あぁ、あの人らしい。


 出会って間もないのに、なんだかそんな風に思える、内容だった。

 少女は、思った以上に手紙に喜んでいる自分にやや驚きながら、全身で喜色をあらわにしていた。

 手紙の内容はともかくとして、しれっと入れられていた合鍵と思わしき物体の取り扱いには悩むところではあったが、それを差し引いても嬉しいことが書いてあった。

 穏やかな、ココアを飲んだときのような気持ちになれる、手紙だった。



「〜〜っ」



 感謝の気持ち。喜びの気持ち。

 それを彼にちゃんと返したいと思って、少女は跳ね起きる。


 モーニングココアでも、作ろう。


 彼ならきっと喜ぶ。そう思って、少女はキッチンへと向かった。

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