セカンドコンタクト 02-1


〈 8月9日 〉



 時刻は深夜零時を過ぎてしばらくしたころ。

 日付自体は変わっているが、ひとによっては「寝るまでは今日だから! 日付変わんないから!」という時間帯。

 かくいう彼も、気持ちとしてはその派閥で、自分が寝るまでは日付が変わっていないものとして処理していいだろうと思っている。だからこうして、外に出ている。別に、夜を満喫することは悪いことではない、と。

 彼が夜をぶらつくのは、久しぶりだった。彼にとっては、だいたい半月ぶりくらいの深夜の散歩。


 夜。夜である。

 夜であるにも関わらず、じっとりと暑い。

 以前散歩をした七月よりも、彼の体感ではだいぶ暑いように感じた。

 Tシャツにはじっとりと汗がしみこみ、首筋には玉になった汗が流れていく。


「……暑いな」


 けれど今すぐに帰ろうなんてことは思わなかった。

 暑いことは、彼も知っていた。家の外に出た瞬間から暑いことは知っていた。

 それでもいまこうして歩いているのは、散歩をするということが好きだったから。


 そうして歩くこと、約15分。


 彼は砂浜へとたどり着いた。より正確に言えば、砂浜へと降りるための階段までたどり着いた。

 そこで見知った顔を見つけた気がして、彼は目を瞬かせる。

 

 少女が、いた。

 暗闇に馴染むストレートの黒髪、同色の瞳。それとは対照的に、真っ白なワンピースを着ている少女。

 約半月前、海でびしょ濡れになっていて、彼が自分の部屋に上げた少女──……である気がする。

 気がするというのは、正直記憶が曖昧だったからだ。たった1日。半月前。面と向かっていた時間は計1時間あるかどうかというところだろう。加えて現在も、対面しているわけでもなく、やや距離が空いていて、周囲は暗い。


 彼は物陰からひっそりと見ていたわけでもなく、空間は開けている。

 であれば視線を注がれる側も気付くことは可能であり、少女も彼の存在に気付いた。


「…………」

「…………」


 約10メートルの距離を空けて、視線が交差する。

 彼らの思考は、実のところ一致していた。

 すなわち、話しかけるか見なかったことにするか。

 これだけ長い間視線が絡まっていることから、少女が‟あのときの少女”であるという可能性は高くなっており、同様に少女も“あのときのおじさん……?”などということを考えていた。


 しかし、だからと言って「こんばんは! 今日はどうしたんですか?」など気さくに話しかけられるわけがない。

 彼は「いや普通に犯罪では……? 10歳年下の女の子に深夜に声かけるサラリーマンってもう犯罪じゃない……?」と考えるし、少女は少女で、「普通に迷惑……。いや、そもそもどの面引っさげていけば? ううん……」と考える。


 少し似た者同士な二人は、ぼけーっと、考えごとをしながら見つめ合っていた。

 そして少女は、「これだけ凝視したあとになかったことにするのは無理がある」と判断し、彼に近づいていった。


「おじさん、もしかして深夜徘徊が趣味なんですか?」

「第一声!」

「冗談です。すいません」


 少女の軽快な台詞に彼は表情をゆるめ、それを悟った少女も安心したように息をつく。


「まぁでもそれを言うなら、君のほうもあれじゃない? 深夜徘徊が趣味なの?」

「……いいえ、はい。そうですね。趣味というと語弊があるかもですが、よくふらついてはいますね」

「へー。この暑いのに物好きだね」

「ブーメランの勢いすごくないですか?」

「ぼくはほら……物好きだから……」

「……なるほど」


 少女はかしこまった面持ちでうなずく。


「実際、こんなあっついのに外ふらついてる人ってそんなにいないよね。なんせ暑いし。正直、地球ちゃんは温度設定を間違えすぎだと思う。あと湿度。まぁ……たまにそれに負けない元気を持った中高生が花火とかしてたり、コンビニの前にたむろしてたりはするけど、深夜にいるのは物好きな人を除くとそれくらいな気がするな」

「ですねぇ……。花火とかは怖いなって思います」

「怖い……まぁ怖いこともあるか。ぼくあれダメだな。打ち上げ型の花火、手で持ってひとに向けてる人。こっちにも飛んできそうだし単純に危ないし見てて不安になる」

「ですよね! あれほんと怖くて! 危ないしあぁいう人に限ってゴミも放ったらかしに──……ふー。こほん。熱くなってしまうところでした」

「熱中症には気を付けていきたいよね。なったことないけど」

「私もないです」

「とりあえず塩分と水分摂ってれば大丈夫かな~って思ってそうしてたら大丈夫だったことしかない。知識って大事だよね」

「大事ですね」


 あはは、と二人して乾いた笑みを浮かべる。

 その表情は固く、どこかぎこちない。


「……」

「……」


 彼は、長く引き留めても仕方ないし、とっとと話を切るか、と思った。


「……まぁ、変に声かけて悪かったよ。じゃあまた、縁があれば会おう」

「え。あっはい」


 彼は会釈し、軽く手を挙げて、少女に背を向ける。

 そして少女は、あわわ……と視線を泳がせ、口をぱくぱくと開閉させる。


「あ、あのっ」


 ぴたり、と彼は足を止める。

 振り向いた彼の目に映るのは、切羽詰まったような、少女の顔。


「ええと……その……ごめんなさい一言だけ言っておきたいことがあるんですけど」

「うん? うん」


 彼は、てくてくと歩き、離れた距離をもとに戻して、首をかしげる。

 少女は、叱られた猫のように身を丸めていた。


「あの、この間はすいませんでした。お世話になったのに何も言わずに出て行っちゃって。それだけちゃんと謝りたくて。……すいません」

「なんだ。全然気にしなくていいのに。ていうか、メモ書いていってくれただろ? あれ結構嬉しかったよ、ぼくは」

「……そう、ですか?」

「そうそう。正直『うち来る?』と言ったのはぼくだけどさ、おじさんが女子高生に声かけてる状況がもう犯罪だし、だいぶ偽善者じみたうざい行動したなぁって思ってたんだよ。だからさ、『ありがとう』って言ってもらえてだいぶ安心したよね。嬉しかったよ、ぼくは」

「……おじさん、変わってますね」

「いや年食うと実感するんだけど、ぼくはなんとかなり普通なんだよね。深夜徘徊くらいしか個性がないんだ」

「だいぶ個性的じゃないですか?」

「……そうかな……そうかもしれない……いやしかし……」


 彼が、ううむ、と唸っていると少女はまた、ほっ、としたように胸をなでおろす。

 それを見て、険しい顔をしたりそれがゆるんだり、感情のせわしない子だなぁ、と彼は思った。


「ていうかもしかして、今日も帰る家がない感じ?」

「…………あの、いいえ、あの。そういうわけではないですっ。別にそれが理由で呼び止めたわけじゃないですからっ!」

「ないんだ」

「そういうわけではないですっ」

「そっかー」

「そうなんです」


 こくこくっ、と少女は首を縦に振る。

 彼はどうしたもんかな、と頭を悩ませる。実際それが理由で呼び止めたわけではないだろうし、かと言ってこの様子だと帰る家はないのだろうし、放っておくのも気が引ける。

 『ありがとう』と『ごめんなさい』が言える時点でこの少女はいい子だ。だから、放っておけないな、と彼は思う。


「……あのさ、一個提案があるんだけど」

「……はい」

「アイス買いに行かない?」

「はい?」

「暑い」

「……はい」

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