出会いの日 01-3




「あの……ゴムってありますか?」

「? ゴム?」

「いえ、まあ、別にないならないで……。どっちでも」

「……あー。あーはいはい。いや何考えてるか知らないけどそういうのではないよ」

「……? …………もしかしてただで泊めてくれるつもりだったんですか?」

「当たり前でしょう。ぼく、大人。君、子ども」


 彼は自分を指差し、少女を指差し、身振りで『そういうのは違う』と表現する。


「でもおじさん、いつからか知りませんけど、私のこと見てましたよね? 砂浜にいたの、そーゆーの待ってるひとだったのかなって」

「おじっ……?!」


 ぐあー、と彼は膝から崩れ落ちる。


「……明らかに自分より若い子に『おじさん』って呼ばれるとちょっとクルものがあるね……。まぁ、まぁまぁ……まぁ、ぼくももう26だしな……」

「26……意外と上なんですね。結構若く見えるので、20代前半くらいかなと思っていました」

「ありがとう」

「ちなみに私は16です。ちょうど10個差ですね」

「おお……10年……。10年の差は大きいね……」

「……」


 少女は、ずっと能面のような固い表情をしていた。

 暗く重い深海に、心を沈めているかのような、そんな表情。

 彼はどうしたもんか、とかぶりを振って悩む。


「……まぁいいや。とりあえず好きにしてて。部屋にあるものはどうしてもらってもかまわないから」

「……はい、いいえ。ありがとうございます」


 それだけ言って、彼は部屋を出ていく。

 そうして、少女はひとり残される。少女は、彼の背中を、不思議そうに見送った。


「あのおじさん、知らないひとを家に置いて行って、怖くないんでしょうか……」








 そして、数刻後。







 彼が買い物に行って帰ってきたころには、時刻は午前4時になっていた。


「……まぁ、もう朝だもんね……」


 彼の部屋にあるソファ。

 それに身をあずけるように、少女はねむっていた。すやすや、と穏やかに。小さく丸まって、ねむっていた。


「……とりあえず、洗濯乾燥終わらせとこうかな」


 少女に薄手の毛布をかけ、彼はなるべく静かに、少女のためのことをした。

 衣類の洗濯、乾燥。それから、ずぶ濡れの靴をなんとか乾かそうと奮闘していた。

 それは彼なりの倫理観に基づいた、エゴと呼ばれても仕方のないことでもあるのだが──……





  ✿





〈 7月26日 〉



 朝、8時。

 少女が、ぼやけた意識で感じたのは、知らないひとのニオイだな、ということだった。

 男の人の、ニオイ。

 少女が顔をうずめているソファを代表とした、部屋に染み付いた、彼のニオイ。


「──っ」


 跳ね起きて、自分の体をぺたぺたと確認する。……少女が思うに、特に異常はないように思われた。

 服にも、体にも、違和感はない。なにも、されていない。


「……おじさん、寝てる」


 次に気付いたのは、家主のこと。

 何故かベッドに横にならず、隅のほうで壁に寄り掛かるようにしてねむりについている。

 最後に、わかりやすいところにおかれた少女の服が、綺麗に畳まれて置いてあることに、気づいた。


「…………」


 少女は、ぼぅ……っとしていた。

 どうしよう、と思っていた。

 けれど、思考が停まっていても、体というものは正直なもの。のどは乾いているし、トイレには行きたい。それがさらに、思考のノイズ。

 気持ち悪いな、と少女は自己嫌悪に陥っていた。


 ひとまず、彼にごめんなさいをして、少女は色々と間借りすることとした。

 トイレを借りて、顔を洗わせてもらって、歯を磨いて。昨日飲みきれなかった水と、ココアを飲む。

 ぬるくなったココアは、甘かった。

 のどが渇いていることも相まってか、そのココアは、


「……おいしい」


 少女がこれまで口にした中で、一番おいしいココアだと、感じた。

 ……その実、ココアというものは、丁寧にとかさなければならない。

 いきなり大量のミルクや水で溶かそうと思っても、ココアの粉はダマになる。

 少しずつミルクをいれて、ほぐすように。

 手を抜かず、丁寧に。

 そうしてはじめて、ムラなく、滑らかな口当たりのココアになる。


「……洗い物くらいは、したほうが、いいのかな」


 少女が飲むココアがおいしい理由の一つは、ココアが丁寧に作られたから。

 少女が警戒をといてねむってしまった理由の一つは、邪気を感じなかったから。

 少女がいま感謝の念を抱いている理由のすべては、ただ彼が優しかったから。


 だけど少女が自己嫌悪に陥る理由の一つは、ココアが甘かったから。

 少女は自分が許せないと思う理由の一つは、眠ってしまったから。

 少女が死にたいと思う理由のすべては、死ねなかったから。


「死ねなかったな……」


 少女は自嘲するようにつぶやいて、家主が起きてしまう前に帰ろうとして。

 けれど尾を引かれるような思いがあって動けなくて。

 しばらくして、少女は机の上にメモ用紙とペンがあることに気付く。

 少女はペンをとって、




『色々とありがとうございました。ココア、おいしかったです』





 一言だけメモに書き残した。

 それからグラス、マグカップを洗って。目につく部屋をほんの少しだけ整理して。

 少女は、ひっそりと、彼の部屋を後にした。


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