第17話 ゴードンの破滅

「あれって、コルケット伯爵のどら息子じゃない?」

「確か聖女様の元婚約者だったわよね?」

「あいつら、いつも町民に横柄に振る舞っているわよね。この前も市民を馬車で轢いて声もかけず走って行ったわ」

「私達のことをごみのようにしか見ない貴族の屑よ」


 人々の声は小声だったが、ゴードンの耳には届いたようだ。杖を振り回しながら叫ぶ。


「なんだ、お前ら!? 散れ! 俺が先に治療するんだ! ローズ、さっさとやれよ!! お前は本当にノロマだな!」


 そうゴードンが怒鳴り散らした瞬間、彼の膝まで氷漬けになった。


「なっ……!?」


 身動きができなくなったゴードンに向かって、ディランが冷たい目を投げる。


「それ以上、ローズを侮辱するなら、もう二度と無礼な口を利けないように全身氷漬けにしてやる」


「はあぁ? お前、何なんだよその力!? 従者のくせに……! さっさと俺を元通りに……って、っむぐぅ!」


 そう言いかけたゴードンの口を、慌てた様子で伯爵夫人が両手でふさぐ。


「僕ちゃん! 彼は……いや、あの御方は王子様なのよ!? 失礼なことを言ってはいけないわ……!」


「何だって!? だ、だって、確か奴はローズの従者だったはずじゃ……そんなこと聞いてないぞ!?」


「王の落胤だったのよ! 次期王太子様なの! 滅多な口を叩くのはやめなさい。あなたの体調が悪かったから伝えられなかったのよ、ごめんなさい……。まさか、この場にディラン王子まで同席しているとは思わなくて……」


 そう伯爵夫人にたしなめられて、ゴードンは渋々といった様子で口をつぐんだ。

 ディランはゴードンを睨み据える。


「……お前の聖女に対する口の利き方はなんだ? もうお前は彼女の婚約者でも何でもない。相手は公爵令嬢で、当代聖女だ。たかが伯爵家の嫡子であるお前が気安く話しかけて良い相手ではない」


「そっそれは……! お、俺は……ローズの婚約者だからです! 俺達は、まだ婚約解消に同意していません!」


「もう婚約解消の書類はローズとネルソン公爵がサインして神殿に提出済だ。もうお前とローズには何の関係もない」


「そんな……っ、俺はまだ婚約解消に同意するサインはしてないのに……! そんな横暴が許されるはずがない! うっ……ゴホンッゴホン……!」


 はぁ、とディランは愚か者でも見るように、ため息を落とす。


「いちいち説明しなければ分からないか? この国では、神の祝福のない結婚は認められない。結婚も離婚も婚約解消も、神殿の許可が必要だ。ここまでは分かるな? では、それらの書類の裁可は誰がすると思う?」


「だ、誰って……そりゃあ、神殿のトップでしょう? って、まさか……」


 そこで、ようやくゴードンも気付いたらしく青ざめる。

 ディランはうなずいた。


「そうだ、ローズの仕事だ。たとえ一方のサインがなかろうと、それが不当な契約だと判断すれば、神の名のもとに聖女は破棄する権限を持っている」


 そう──ゴードンやコルケット伯爵家がどれだけわめこうが、ローズが望めば簡単に婚約解消されてしまうのである。普段はこんなふうにローズは権力を行使したりはしないが、コルケット伯爵家が同意しなかったから、やむを得なかった。


「そして、まだ内々の話だが……俺はローズにプロポーズした。彼女に王太子妃になってもらいたいと思っている」


「王太子妃だって!? ローズが!?」


 驚愕の表情を浮かべるゴードンと、コルケット伯爵夫妻。

 ディランはローズの肩を抱き寄せる。


「ローズ、俺にあいつらを処罰する権利をいただけませんか? 俺はあいつらが許せません。長年、ゴードン達はあなたを軽んじてきました。護衛騎士だった頃はあなたを馬鹿にされても耐え忍ぶしかできませんでしたが、今は違います。俺には力があります。未来の王太子妃であり、当代聖女を罵倒した罪で、コルケット伯爵家を処刑しましょう」


「……ディラン」


 ディランの言葉に、ローズは目を丸くする。

 ゴードンもコルケット伯爵夫妻もその場に膝をつき震えあがっていた。ようやく自分達のしでかした事の重大さに気付いたらしい。

 コルケット伯爵夫人は地面に顔を擦りつける。


「せ、聖女様……! どうかお慈悲を!」


 コルケット伯爵もローズにすがりついてくる。


「た、頼む……! 私はきみの父親の命の恩人だ! 私がいなければ、きみは生まれなかったんだぞ!?」


 ゴードンだけは膝をつくこともできず、呆然としていた。


「……どうしますか? ローズ」


 ディランの言葉にしばし逡巡して──ローズは首を振った。


「──彼を解放してあげて」


 ローズがそう言ったので、ディランは不満そうな表情をしながらもゴードンに片手を向ける。するとゴードンを縛り付けていた氷が溶けて、彼はその場に尻餅をついた。

 ゴードンは顔を真っ赤にさせて怒鳴る。


「お前じゃないと治せないんだ! 知っているだろう! 病人を放っておくとは、それでも聖女か!? さっさと俺を治せよ!!」


 その暴言に周囲が剣呑な雰囲気になる。

 たとえ婚約者でなくなったとしても、聖女であるローズに病人であるゴードンを放っておけないと思っているのだろう。

 ローズはしばし熟考した後に、ふうとため息を落とす。


「……分かりました。救いを求める者は救う、が神殿の教えですからね。ゴードン様が望むなら神殿は治療しましょう。ただし、もう私は婚約者ではないので、これまでのように無償で治療することはできません。それに担当するのは私ではなく、他の神殿女官になるでしょう。そして皆さんと同じように寄付金を支払っていただくことになります」


「どうして俺がお金を払わなきゃいけないんだ……!!」


 ゴードンはそう忌々しげに吐き捨てたが、ディランに睨まれて口をつぐむ。周りの凍てつくような視線に気付いて、ゴードンは「うぐっ」と呻き声を漏らした。


(今までタダで受けていた治療の代価を払うことに納得できないのは当然かもしれないけど……もう優遇はできないわ)


 コルケット伯爵夫人が、ゴードンの背に手を添える。


「僕ちゃん、寄付金を払いましょう。庶民だって治療を受けているんだもの。伯爵家にとっては、そんな物、はした金だわ」


「そ、そうだ! 我が伯爵家ならば寄付金くらいどうということもない! 支払ってやろうじゃないか! それで息子の病が治るのなら安いものだ。ローズが担当じゃなくたって、他の神殿女官はルシアより治癒力はあるだろうしな!」


 そうコルケット伯爵も強くうなずいた。これを了承しなければ、神殿から助力を得ることはできないと察したのだろう。

 三人が受け入れる雰囲気になったのを察して、ローズは固まっているエステルに声をかける。


「エステル、承諾書をゴードン様にお渡しして」


 エステルは慌てた様子で大きな鞄から書類束を取り出し、ゴードンに差し出す。

 それには治療に相当する寄付金を支払う文言が記されており、後はサインするだけだ。

 ゴードンは「クソッ」と悪態を吐きながら、使用人に背中を向けさせて書類にサインしようとする。


「あっ! 文章はちゃんと確認してからサインしてくださいね」


 エステルがそう言うと、ゴードンは舌打ちして「うるさい女だな」と吐き捨てた。そして、ろくに文面を確認せず名前だけサインする。

 エステルはそこまで病人に失礼な態度を取られたことがなかったのか、顔をゆがませて書類を受け取った。


「ローズ! 約束は守れよ!」


 そう言うと、ゴードン達は馬車に乗り込んで去って行った。

 周囲がざわついている。


「……良かったんですか? 治療する約束をしてやるなんて……」


 そう問いかけてくるディランに、ローズは微苦笑を返す。


「──ええ。私はそこまで非情ではないので……。でも、これは彼にとっては残酷な行為かもしれないわ」


「どういうことです?」


 そう不思議そうにしているディランに、ローズはエステルから受け取った承諾書を見せる。それは、ごく普通に神殿で使われている書類だ。だが、そこには罠がある。

『持っている資産によって寄付金の金額が変わる』

 この一文は、貧乏人でも治療を受けられるようにするために作られた文句だった。

 つまり貧民にはパン一個の値段も取らずに神殿の掃除などの代価として治癒を施すが、貴族からはその資産に見合った金額を寄付してもらうということだ。


「彼一人を治療するのは千人を治癒するくらいの聖力が必要なの……つまり……」


 ローズの言葉に、ディランは納得した様子でうなずく。


「なるほど。ゴードンの治療には千人分の治療費がかかるということですか。それに継続して行わねばならないだろうから……いずれ伯爵家は破産しますね」


「……ええ」


 伯爵夫妻が息子を諦めない限り、資産は目減りしていくだろう。

 ローズが今まで多大な犠牲を払ってもゴードンを長年無償で癒し続けてきたのは、彼が婚約者だったから。そして愛する父親のためだ。

 ゴードンへ残っていたわずかな情は、ルシアと浮気して婚約破棄されたことで、すっかり枯れてしまった。


(冷たいかもしれないけど……、もう婚約者でもなく横柄な態度で、貧民ですら払う対価を一切払おうとしない彼を、私はこれ以上無償で癒すことはできない。他の人が彼を癒すことは止めないけれど……)


「ローズの対応は当然です。むしろ優しすぎるくらいだと思いますよ。この国では誰だって治癒のために対価を払うのですから、ゴードンだってそうするべきでしょう。今までがありえない厚遇だっただけ。それを奴が気付いていなかっただけです」


 そう言って、ディランはローズを抱きしめる。


「奴はローズと婚約者になれた幸運に気付いていなかった愚か者なんです。同情はできません」


「ディラン……」


 ローズはそっとディランを抱き返す。彼の気遣いが嬉しかった。

「さあ、帰りましょう。疲れたでしょう。ゆっくり休んでくださいね」

「ありがとう、ディラン」

 ディランはそう微笑むと、ふと表情を消して、ぽつりと言った。


「それにしても……あいつの病はいったい何なんでしょうね。聖女であっても癒せないほどの聖力を吸い続ける病なんて、聞いたことがありません。……まるで呪いのようです」


 その時、ふと視線を感じて見ると、民衆の中に見知った相手がいた。頭からフードをかぶっていたが、こちらを睨みつけるその少女は──。


「ルシア……?」


 ローズと目が合うと、ルシアは群衆の中に消えて行った。


「もういなくなったと思ったのに……」


 そばにいたエステルが、そうつぶやいた。青い顔をしており、今にも倒れそうだ。


「エステル? 大丈夫?」


 心配になったローズが声をかけるとエステルはハッとした様子で、ぎこちなく「え、ええ……。大丈夫です」と笑みを浮かべた。


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