第16話 貧民街で
王都の外れにある貧民街イシュタークに入ると、ローズ達はイシュターク地区の小神殿で挨拶を済ませて、小神殿の神官達と共に馬車で広場に荷物を運んでいく。
「あ! 聖女様だ!」
広場に降り立つと、ローズに気付いた子供達が駆け寄ってきた。
ローズは屈んで彼らに微笑みかけて頭を撫でる。
「こんにちは。今日は食べ物と、お洋服や靴も持ってきたわよ」
神殿に寄付される衣装は貧民街や救貧院の子供達に与えているのだ。今日は王家と合同で行うため、普段以上に渡せる物も多いだろう。
「聖女様、ぼく今日は神殿のお庭の掃除をしたんです! お手伝いです。お母さんが最近風邪で寝込んでいるから、神殿女官様に病気を治してもらいたくて……」
そう胸を張る子供に、「頑張ったわね」とローズは褒めたたえる。
貴族の子供と違って、平民の子供は幼い頃から働き手となる。多くは親の仕事や家事の手伝いなどをするが、神殿からも貧しい子供達に仕事を提供していた。
パルノア教には『助けを求める者は救うべき』という信条があるが、同じく『助け合いの精神』も大事にしている。富める者が神殿の戸を叩くなら寄付金を求め、貧しい者が救いを求めるなら──彼らのできる範囲での対価をもらう。この少年の場合は神殿の掃除だ。それだけ、聖女や神殿女官による治療には尊いものとされている。
救貧院でも彼らが作った小物やレースをもらってそれを貧民街の子供達へ分け与えるなど、神殿は一方的に施すだけではなく、お互いを社会の良い循環となれるよう目指している。
(まあ、それは建前で……つまり神殿は献金をもらえる貴族ばかりを相手にすることが心苦しいから、貧しい者にも対価をもらって治療していますよ~っていう貴族達へのアピールなのよね)
聖女や神殿女官は治癒能力があるが、際限なく治療できるわけではない。当然、限られた相手しか治療はできず……十年ほど前までは寄付金を払う貴族や商人のみを相手にしていた。
けれど貧民はお金を持っていないから救わないというのは神に仕える者としてどうなのか、とローズは昔から思っていた。
だから貧しい者達からも対価をもらい治療を行う、という対外的なアピールのためにお金がなくとも治療を希望する者には奉仕活動をしてもらっているのだ。
とはいえ、ローズのこの提案には神殿内外からも反発があり、実現まではなかなか大変な道のりだった。お金をたくさん払ってでも優先して治療を望む者は多く、神殿議会も寄付金がもらえるならそちらを優先すべきだという主張が多かった。しかし、ローズは良心的な高位神官達を味方につけて、やっとここまできたのだ。
「イシュタークも随分綺麗な街になりましたね。ほんの十年前まではひどいありさまだったのに」
ディランは目を細めてそう言う。
ローズが聖女になったばかりの頃、この地区の荒廃ぶりは目に余るものだった。
他の街区から持ち込まれたごみが通りに山積みになり、浮浪者や子供達がその山の中からガラクタ拾いをしていた。
他の街区より街並みは汚れているのに靴を履かずに歩いている者も多く、ささいな怪我が命取りとなって、たくさんの人が亡くなっていた。通りには老若男女の死体が転がり、外の者達はこの街の異臭に顔をしかめる。
救貧院に入れる子供達はまだマシで、イシュタークには貧しい者達はあぶれてしまっていた。
「ローズが改革して、この貧民街は豊かになりました。……この国の民として本当に嬉しかったです。ひたむきなローズが眩しくて愛おしかった。本当は王族がやるべきことだったのに……当時は王子ではなかったとはいえ、ローズにばかり負担させて申し訳なく思っています」
さらりと甘い言葉を混ぜてくるディランに胸がときめく。
「……いいえ。ディランも含め、皆が協力してくれたからよ。あの頃、ディランは私のことを精一杯支えてくれていたわ。それで充分よ」
ローズは照れながらも微笑んだ。
通りには子供達が元気に走り回っている。その光景を見ているだけで、頑張って良かったと思える。貴賤によって選別されることがあってはならない。
「あなたは本当に……素晴らしい方です」
その曇りのない眼に映る偶像の自分が見ていられず、ローズは目を逸らした。
「……違うの。本当の私を知ったら、ディランはガッカリするわ」
「それはどうして? 俺がローズに幻滅することはありえません。たとえ何があっても。なぜそう思うのか、教えてくださいませんか?」
ローズは深く息を吐いて苦笑する。
そして、思い切って話してしまうことにした。彼の前では聖女の振りはできそうにないから。
「……確かに貧民街の人達を救いたいと思ったわ。でも私の一番の動機は、もっと個人的なものなの」
「個人的……?」
怪訝そうな表情をするディランに、ローズはうなずく。
「平民のディランが治療を受けられなくて亡くなるのが嫌だったの。──私はいつか聖女ではなくなる。年と共に聖力がおとろえて、愛する家族を……ディランや邸に仕えてくれている者を救えなくなる。そんな時に頼りになるのは神殿だけ……今は公爵家もお金はあるから寄付金を払えるけれど、もし万が一公爵家が没落してしまったとしても助けてもらえる可能性を残しておきたかったの。だから私は清い心だけで改革を推し進めたわけではないわ。……がっかりした?」
ローズが上目遣いで窺うと、ディランは息を飲んだようだった。
聖女とはかくあるべしと教わってきたのもあるが、ローズが尽力した本当の理由は愛する者のためだった。
(すべての者に平等を……なんて嘘。私の動機は下心しかないわ)
やはり本音など言わないほうが良かっただろうか。
そう落ち込んでいたら──突然、ディランに抱き寄せられた。
「ディ、ディラン!?」
周りの人が痛いほど視線を向けてきていたが、ディランは構わない様子だった。
「……嬉しいです」
「ディラン……? 私に幻滅しなかったの?」
「幻滅しませんよ。あんなに尽力してくれていたのが俺のためだったとは……嬉しくて仕方がありません。俺は聖女ではなくローズを好きになったんですから」
「……っ!」
「むしろ、こんな可愛い人だと知ってますます惹かれてしまいました。愛しています、ローズ」
甘く囁く声と熱い抱擁に頭がくらくらしてくる。
「あ、あの……みんな見ているから……」
通りの人々は二人を注目している。
ローズは恥ずかしくて身を捩るが、ディランの腕の力が強く逃れられない。
「見せつければいいんですよ。今までと違って、これからは堂々といちゃつけますから」
「そ、そういう問題じゃなくて……! ……もう、ディランったら」
ローズは真っ赤になって抗議するが、ディランは楽しげに笑うだけだ。
周囲にいた子供達が「この二人、いちゃついてるぞ~!」「ひゅーひゅー!」「ねぇねぇ、結婚式はいつ? ハネムーンはいつ? おれも行く!」「バカッ、あんたは呼ばれないわよ!」と親にげんこつされる少年。
ローズは居たたまれなくなり、うつむいてしまう。
ディランが人々に向かって「結婚式は国民全員で祝ってくれ!」と言ったせいで歓声が沸き起こるから、それも嬉しいやら恥ずかしいやらで。
──と、その時、なごやかな雰囲気を割って入る者達がいた。
一両の馬車がローズ達の前に止まる。馬が大きくいななき、その乱暴な馭者の操縦に並み居る人々は顔をしかめた。
「あれは……コルケット伯爵の……?」
ローズは驚きに目を見開く。その馬車に描かれている家紋に覚えがあったのだ。
ディランがローズの肩を抱き、護衛達がローズを護るように前に出る。
馬車から降りてきたのは予想通りコルケット伯爵だった。続いて出てきた伯爵夫人までは予想できたが──その後にゴードンが使用人の肩を借りて降りてきたのは予想外だった。
「ゴードン様……」
ローズは何とも言えない気分で、彼を見つめた。会うのはルシアと共に婚約破棄された日以来だ。
ゴードンは使用人に介助されながら、杖をついてローズの元までやってくる。
「……ローズ、さっさと……ゴホンッゴホン! 俺を治療しろ! この愚図! 婚約者の俺の手紙を無視しやがって……っ! お前は何様だ!?」
その罵声に、ローズの周囲が殺気立つ。
ゴードンの病人然とした様子に最初は哀れみの色を浮かべていた街の人々も顔を強張らせた。
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