第15話 聖女の義務
今日は貧民街で炊き出しをする日だ。
毎週、安息日は神殿の畑で育った野菜を使ってスープやパンを大量に焼いて、イシュタークへ持って行くことになっている。ローズは聖女候補達と一緒に食事を貧しい者達に配ったり、治癒するのだ。
聖女の間で着替えを終えたローズに、エステルが声をかけてくる。
「ロ、ローズ様……私はこれまで畑から野菜を収穫する係しかやってこなかったんです……なのに私に聖女筆頭候補が務まるのでしょうか……? 皆をまとめるなんて私にはとても……」
アワアワと震えているエステルに、ローズはにっこりと微笑みかける。
「大丈夫よ。エステルの聖力は並外れているもの。足りないのは自信だけよ」
「自信……」
エステルは、そうつぶやくと俯いてしまう。
(……なかなか自分では超えられない壁があるわよね)
ローズもそれは分かっていた。ローズも周囲に気を遣いすぎて、十六年も本音を隠して生きてきたから、よく分かる。しがらみというのは、いつの間にか本人も気付かないうちに体にまとわりついて身動きを取れなくさせるものだ。
けれど、エステルにはもう少し頑張ってもらいたかった。現状、彼女に一番聖女の素質を感じているが、今のままだとローズも推しきれない。
次期聖女を指名するのは当代聖女だが、それでも神殿議会の意見をないがしろにはできないのだ。エステルには神官達にも認められる存在になってもらわなくてはならない。
「どうして自分に自信が持てないのか、振り返って考えてみても良いかもしれないわ。原因が分からないと、それから解放されることもできないから」
「それは……」
エステルが苦しげな表情で拳を握りしめた時──。
扉がノックされて、誰何すると現れたのはディランだった。
「ディラン!」
ローズは喜色満面になった。神殿女官達は気を遣って、そっと部屋から退室する。
「元気そうで良かった。政務の方は大丈夫なの? 忙しいでしょうに、本当にディランが参加するとは思っていなかったわ」
今日はディランも一緒に炊き出しに参加したいと言ってくれていたのだ。
王家も神殿とは別に貧民街での慈善活動は行っている。普段は下官達がやり取りして日程が重ならないようにしているのだが……。
「あらかた片づけてきました。それに、これも仕事のうちですから」
「そうね。そういう政治的なパフォーマンスも大事だものね」
ローズはそう納得してうなずきつつも、彼に会えたことを内心喜んでいた。
それに今はディランと行動を共にしているところを周囲に見せることは、周囲へローズがディランの後ろ盾になっていることのアピールにもなるはずだ。
ディランはわずかに頬を赤らめて咳払いする。
「それもありますが……何より、ローズのことが心配だったんです。ずっと会えていなかったので……」
さらりと甘い台詞を吐かれて、ローズは息を飲んだ。
「あ、会えていなかったとは言っても……一週間ほどのことじゃない」
「俺には長く感じたんです。ローズは違うんですか?」
少し拗ねるようにして言われて、ローズの心拍数が跳ね上がる。
(どうしよう……! すっごく嬉しい!!)
胸の奥がきゅんとして苦しいほどだった。
「わ、私も……同じ気持ちよ」
そう答えれば、ディランは嬉しそうな笑顔を見せてくれる。それを見てまた愛しさが増してきて困った。胸の奥がほわほわしてしまう。
最近は塩対応だった騎士の頃が嘘のように、手紙でも愛をささやいてくるので、そのたびに恥ずかしくて狼狽えてしまう。
今日のディランの格好は黒と銀を基調にした王子の衣装で、彼によく似合っていた。
「俺の髪色とローズの髪の銀色をイメージして作らせたんです。俺があなたのものだという感じがして、とても良いと思いませんか?」
「な……っ」
パクパクとローズは赤面したまま開いた口がふさがらない。
いったいいつになったらこんな歯の浮くような台詞に慣れるのかしら……と思いつつ、気持ちが押し殺せなくなっているディランもまた可愛らしく思える自分も重症だと思う。
ディランはなおも言う。
「手紙でも書きましたができるだけ早く、結婚したいんです。もう王子と認められているから良いでしょう?」
「そっそれは……」
「いけませんか?」
そう甘い声で耳元にささやかれ、ローズは身悶えした。ゴニョゴニョと言い訳のように小声で言う。
「その……もちろん私もプロポーズを了承したから構わないんだけど……まだ時期尚早というか……」
しかし、どんどんディランの目が剣呑になっていく。
「それは、どういうことでしょう?」
ローズはエステルが出て行った扉をチラリと見て、仕方なく今の状況を伝えた。次期聖女が決まらないとローズは退任できないことを。
すでにゴードンとの婚約は正式に解消されている。
ディランと婚約する際は神殿議会に承認をもらわなければならないが、それも難しくないだろう。ローズが王太子と婚約することは神殿の権威付けにもなるから、高位神官達は歓迎するに違いない。
だから後は次期聖女の問題だけなのだが──。
「……なるほど、それは深刻ですね」
ディランは真面目な表情でそう言った。
「今のところ、先ほどのエステルが一番有力なのだけど……頼りない部分もあるから、私もまだ押し切れなくて……」
ローズは視線をさまよわせながら言う。
「その……ディランの気持ちはとても嬉しいわ。……わ、私も、同じ気持ちだもの。で、でも、もうしばらく時間をちょうだい」
「それって、どれくらいですか?」
「それは……分からないけれど」
ローズは困り顔になる。
「エステルが次期聖女に相応しいと思うなら、さっさと認めてしまえば良いのではないでしょうか? その立場についてみて初めて自信や責任というものが身につくのでしょうし」
「それはそうかもしれないけれど……」
う~ん……と腕を組んで悩んでいるローズの耳元にディランがささやく。
「……俺も、いつまでも待てませんから」
その言葉に、ボッとローズの顔面が熱くなった。
「デ、ディラン……」
今まで従者として感情を押し殺してきたせいか、ここにきてストッパーがなくなっているようだ。臆面もなくそう言ってのける彼に、ローズは紅潮しながらうめいた。
後輩が立派に育つまで数年ほど待ってほしい──と正直に言ってしまえば、このディランの様子では早々に神殿から攫われかねない。
(次期聖女の問題は早く解決しなきゃ……)
そうローズは内心決意を新たにしたのだった。
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