第18話 因縁
ディランは王宮の禁書庫で調べ物をしていた。ここならローズのブレスレットの秘密がもしかしたら分かるかもしれない、と思ったからだ。
禁書庫の扉の鍵は国王しか持っていないため、父から許可をもらって今は鍵を持ってきている。扉の前で衛兵があくびを噛み殺しながら立っている。ディランが現れると、衛兵は慌てた様子で「ディラン殿下!」と居住まいをただした。
(こんな場所の警備じゃあくびがでるよな……)
ディランは苦笑を浮かべた。彼も長年護衛騎士をしていたから、退屈な警備の気持ちは分かる。ディランもローズが祈祷室に入っている時は退屈だった。それに彼女が着替えをする際などは扉の外で教典を心の中でそらんじて無心になるしかなかった。
「お勤め、ご苦労」
てっきり怒られると思っていたのに労われてしまい、衛兵は「いっいえ! ありがとうございます!」と恐縮する。
ディランは鍵を開けて入室した。窓は分厚いカーテンがかかっているため薄暗い。埃っぽい匂いが鼻をつく。
鉄格子がはまった窓のカーテンを開けると、室内は二部屋を繋げたくらいの広さがあった。本棚が並んでおり、そこにぎっしりと本が詰まっている。絵画が無造作に壁に立てかけられていた。窓際には机と椅子が備え付けられており、書庫と物置の中間くらいの印象の場所だ。
禁書庫で王族しか入れない決まりだが、たまに許可された者が掃除にきているのか、思っていたよりは綺麗だった。
(特に変わった物はないが……)
本を適当に広げて眺めるのを何度か繰り返し──ディランはその絵画を手に取った。
「これは……?」
◇◆◇
ローズはその日、ディランに「見せたい物がある」と王宮に招待されて宝物庫の前まで来ていた。
「私がここに来ても良いのかしら?」
王太子妃になってからならともかく、今はまだ婚約者の身だ。先日、ようやく神殿議会に承認されて、ローズはディランと婚約を結んだばかりだ。
ディランは優しく微笑む。
「ローズは俺の婚約者ですから問題ありません。陛下からも許可はもらっています」
「それなら良かった」
ローズは安堵した。
ディランは衛兵の肩を叩き「今日もご苦労だな」と気さくに挨拶している。衛兵も嬉しそうに笑っている。
「最近は殿下が来てくださるので、この仕事も退屈でなくなってきました」
「そうか。また休憩時間に剣の鍛錬でもしよう。お前は筋が良いから、近衛に異動したらどうだ? 推薦する」
そんな和やかなやりとりにローズは目を丸くした。
(いつの間にか、ディランもすっかり王宮になじんでいるのね……良いことだわ)
神殿を離れてから、彼が王家でうまくやっていけているのか心配だったが、この様子なら兵士達に慕われているのだろう。
「では、こちらへ」
ディランは宝物庫の鍵を開けて扉を開いた。中に入るとそこは薄暗い空間だった。ディランがカーテンを開けると室内が明るく照らされ、本棚や大小様々な絵画や彫刻品などが並んでいるのが分かる。
「これは……すごいわね……」
「えぇ。どれも貴重な書物や美術品です」
「本当にこんなものを見せてもらえるなんて光栄だわ……!」
ローズは美術品などにも興味がある方だった。ディランにうながされて窓辺の椅子に腰かける。
「俺はローズのブレスレットについて、何か書かれている物がないか書物を探しました。残念ながら、そちらに収穫はありませんでしたが……代わりに絵画と手紙を見つけました」
そう言いながらディランが持ってきたのは、一枚の何の変哲もない絵画だった。その油絵をじっくりと見つめる。
「聖者の晩餐の絵ね……神殿にも似た物が飾ってあるわ」
王家の祖である聖者アシュ。
父神パルノアと人間の母親の息子である彼は、人々の業によって最後は悲しい死を遂げた。彼の遺骸や遺品は聖遺物となって世界各地に残っている。
その絵は聖者アシュとその弟子達が晩餐をしている、よく見る構図の絵だった。
神殿にある絵と違うのは、後ろの柱に隠れるようにして一人の男が商人らしき男に何かを渡しているところだ。反対の手で袋を受け取ろうとしている。
「これは……? 何かを受け渡しているわね。藁……いや、髪かしら……? 袋はお金……?」
ローズが眉を寄せていると、ディランが額縁を指さした。
「題名をご覧ください。『裏切り者のエイドリアン・コルケット』です。おそらく、その絵はエイドリアンが聖者アシュの毛髪を商人に売ろうとしているところだと思います」
「コルケットって……コルケット伯爵家の!?」
ゴードンの家名だ。ということは、これはゴードンの先祖の話だろうか。
ローズは混乱する。どういう意図の絵なのか分からなかった。
「聖書には聖者アシュの弟子の中に裏切り者がいたという記載はないわ。しかも、それが現存する伯爵家だなんて……」
(名前の一致は偶然? でも、この国に他にコルケット家はないわ……)
「この絵も見てください。同じ作者の物です」
そう言ってディランが示したのは、『最愛のイライザ・ネルソン』と題名が描かれた絵だ。
聖者アシュが荒野で涙を流している。彼の膝の上に乗った女性は剣を突き立てられ、亡くなっていた。辺りは戦場なのか数多の死体が折り重なっている。
「ネルソンって……」
ローズの公爵家の名前だ。女性の手首にはローズが身に着けているのに似たブレスレットがある。
「どうして、うちの名前が……? イライザ・ネルソンって誰なの!? 聖書にも載ってないし、お父様からも先祖の話は聞いたことないわ」
混乱しているローズに、ディランはもう一枚の絵を差し出した。
それは『コルケット家の呪い』と題名が描かれた、同作者らしき絵だった。
エイドリアン・コルケットが赤ん坊を抱いて泣いているシーンだ。赤ん坊はぐったりしている。足元には袋から飛び出たらしきお金が散らばっていた。
エイドリアンの妻なのか、妊婦らしき女性がその場に膝をついて大泣きしている。彼女の側には死神が立っており、女性のふくらんだお腹に鎌の刃をあてようとしているところだった。
「これは……」
なんだか、おぞましい絵だと感じる。
本能的な恐怖をおぼえて、ローズは目を逸らしてしまう。
「……ローズ、すみません。見たくないかもしれませんが、ここに注目してますか?」
ディランが指さしたのは、エイドリアンの指にはめられた豪奢な指輪だった。
「この指輪……」
それに見覚えがあった。それは現コルケット伯爵がいつも身につけている指輪と同じデザインだ。
そして一枚目の絵で、聖者アシュが身につけていた物も同じ指輪。だが、二枚目の聖者アシュの指にはなかった。
「──エイドリアンが盗んだという暗示でしょう。おそらく、イライザ・ネルソンが身につけているブレスレットは、ローズが今つけている物です」
指摘されて、ローズは反射的に手首にあるブレスレットに触れる。
「これが……?」
ディランは重々しくうなずき、
「聖者アシュにはエイドリアンという弟がいました。ですが、エイドリアン・コルケットは兄を裏切り、彼の毛髪を売り、私物である指輪を盗みました。そして聖者アシュには愛する女性がいました。イライザ・ネルソン……ローズの先祖です。エイドリアンは戦場のどさくさで彼女を殺したのでしょう」
「殺した!? ど、どうしてそれが分かるの? それに聖者アシュに弟がいたという話は聞いたことがないわ……!」
「なぜ弟だと分かったのかは後で話します。まず、どうしてエイドリアンがイライザを殺したと分かったかですが……ここに描かれている絵とこちらの絵が同じ剣なんです」
ディランは二枚目の剣を指さした。その後に一枚目のエイドリアンの腰に差している剣を。
「ほ、本当だわ……」
ディランの観察力に舌を巻いた。
エイドリアンの剣がイライザ・ネルソンに刺さっているということは、ローズの先祖がゴードンの先祖に殺されたということで間違いないだろう。
ディランはなおも続ける。
「そして、三枚目の絵ですね。……俺はずっと不思議でした。八歳で聖女として見出されるくらいの高い聖力を持つローズが治癒しても完治しないゴードンの病とは、いったい何なのかと」
散らばったお金。聖者の毛髪を売る弟。聖書に名前のないコルケット家……。
嫌な予感が脳裏をめぐる。
「俺はコルケット伯爵家について調べました。そしたら、あの家は不思議なことにゴードンのような不治の病にかかる子供や、不妊症に悩む者が多かったんです。先祖由来のものです。今のコルケット伯爵もなかなか子宝に恵まれず、ゴードンはようやく生まれた一人息子だったと聞いています」
ゴードンがコルケット伯爵夫妻の待望の子供だったと、ローズも聞いたことがある。
──だからこそ、伯爵夫人は息子に対して過保護だった。成年した息子を幼子のように扱うものそうだ。彼らは幼少期に余命宣告された息子をどうにか助けようと手を尽くした。
ディランは沈痛そうな表情で、本棚から一冊のボロボロの本を持ってきた。それは今にも崩れそうな年代物だった。広げるとその中に真新しい手紙のような封筒が入っている。
「これは……?」
「おそらく……聖者アシュの聖遺物です」
「聖遺物? なるほど……だから、こんなにしっかりと原型を留めているのね」
ローズは受け取ったその手紙をじっくりと眺める。聖者アシュの聖遺物というのなら二百年ほど経っていなければならないが、その手紙は真新しく感じた。
数は少ないが聖者アシュの思い入れのある遺品が聖力を帯びることがある。
これは見た目があまりに手紙そのものなので、聖遺物と気付かれずに長い間見逃されてきたのだろう。
「……中を見ても?」
一応、子孫のディランにそう断りを入れると、彼は神妙な表情で首肯する。
ローズは手袋をつけていたことに安堵した。よく見ればディランも今日は革手袋を身につけている。このことを予測していたのだろう。
聖遺物に触れる時は、いつも汚さないように緊張してしまう。
ローズは震えそうになる手で、破れないようにそっと手紙を取り出して開いた。
「これは……聖者アシュが弟子に宛てた手紙ね」
古語で書かれているから読みにくいが、時期的にはガイダ戦場で聖者アシュが先陣を切って他国と戦った二百年前のものだろう。
失意の中で戦場から戻ったアシュは恋人を亡くしたことが大きな心の傷になったのか、寝込むようになっていた。その頃の話だ。
文章には『信じていたのに弟に裏切られた。私が愛するイライザはエイドリアンに殺されたんだ。あいつは彼女を剣で刺して笑っていた。絶対に許せない。あいつがたとえ死んでも私の恨みは決して消えないだろう』と書かれていた。
「これって……」
ローズは血の気が引いていく思いがした。
聖書にはガイダ戦場で受けた傷によって聖者アシュは衰弱していったとは書かれていたが、弟や恋人の話は一切出てこなかった。
彼の恋人が自分の先祖であるのも驚いたが、何より聖者アシュの恨みの強さに言葉を失う。
ディランは言った。
「……おそらく、ゴードンの病は……聖者アシュの呪いです。愛する女性を殺され、裏切りを受けたことへの」
ローズは呆然とした。
(どうりで……)
頭のどこかでは、そう納得する部分があった。
ゴードンの治療は、生半可な聖力では歯が立たない。聖女であるローズでさえ一時的に回復させるだけで精一杯だった。
それが聖者アシュのかけたコルケット一族への呪いだったなら理解できる。
ディランは冷たい声で言った。
「──だから、どうやってもゴードンは治らないのです」
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