寝起きパニック!

 天蓋てんがいにしがみつく実は、ある意味人生最大のパニックに陥っていた。



 何?

 何が起こってるの!?



 頭の中はぐるぐるだ。

 そんな時―――



「ちょっと! 何事!?」



 ドアが開く音がして、誰かが部屋に入ってきた。

 反射的にそちらを見た実は、これまた予想外の展開に目を大きくする。



「ええっ!? 昨日の人!? なんで!? これ、どういうこと!?」



 状況についていけない。

 昨日の青年は、自分をどこに担ぎ込んだのだ。



 彼女がここにいるということは、まさか本当に連行でもされました?

 でもそれなら、こんな豪華な部屋に寝かされているわけがないよね。



 本当に、自分が気を失っている間に何があったの!?



 パニックが悪化する実は、きょろきょろと周囲を見回して……最終的に、唯一顔を合わせていたエーリリテに目を向けるしかなかった。



「……そんな泣きそうな顔しないでよ。別に、取って食おうってわけじゃないから。」



 うるうるとした健気で純粋な視線に、エーリリテはとにかく落ち着こうと、こめかみに指を当てて息を吐き出した。



「とりあえず、今何があったのか話してみなさい。」

「俺だって知らないよ! なんか、起きた瞬間この人が抱きついてきて…っ」

「あー…」



 なるほど。

 それで、テンパって天蓋てんがいの上に逃げたのか。

 寝起きドッキリにはぴったりだ。



 エーリリテはするりと納得。

 すると、そこでイリヤが口を開いた。



「大丈夫だよぉ~。怖くないから、降りておいで~?」

「やだーっ!! おじさん誰!? ここどこーっ!?」



 イリヤの言葉を全力で拒絶する実。

 その姿は、さながら毛を逆立てた野良猫である。



 そりゃあ寝起きで抱きついてきた挙げ句、緩みきった笑顔で両手を広げてくる奴なんて、不審者以外の何者でもないですよね。



 怪しい人にはついていっちゃいけませんという言葉の〝怪しい人〟を、見事に体現している姿だ。



 自己紹介もまだであるが、早くも実に同情するエーリリテだった。



 さて、これはどう収集をつけたものか。

 そう悩んでいると、後ろでドアが開いた。



「イリヤ様…。また過剰なスキンシップでもしましたね? いきなり警戒させてどうするんですか……」



 心底呆れた声で割り込んできたのは、ユリアスと共に部屋に入ってきたハエルだった。



「だって…っ。やっと目を開けてくれたんだ! 心配だった分、感極まってつい……」

「あなたなら、普通に会ったとしてもこうしてたと思いますけど?」



 自分は悪くないと言いたげなイリヤを、ハエルはばっさりと切り捨てる。

 その時。



「わぁ…。おっきなおおかみ……」



 ハエルに気を取られた実が、ほんの少し警戒を緩めた。



 ハエルはそんな実と一度目を合わせると、身軽な仕草で跳んで実の隣に着地する。

 そして、実の頬に控えめに頭をすり寄せた。



「驚かせてすみませんね。うちの主人はご家族大好き、スキンシップ大好きな、少々暑苦しい方でして……」



「ううぅー…」



 初めて自分を気遣ってくれる存在の登場に、実は大きく眉を下げた。



 どうしてこの狼がしゃべれるのかはさておき、話が通じそうな相手が現れたことは大きい。



 ほっとした実は、思わずハエルにぎゅーっと抱きついてしまっていた。



「ハエル! なんてうらやましい!!」



「ちょっと黙っててください。少しくらい、落ち着かせてあげましょうよ。可哀想じゃないですか。」



 途端に非難めいた声をあげたイリヤに、ハエルはこれまたバッサリと正論を叩きつけた。



「ううぅ…っ。変な人がいるー……」

「まあ、そうなりますよね。お好きなだけ、もふもふなさってください。」

「ううぅー…っ」



 パニックのあまり、もう変なうなり声しか出てこない。



 それでも知ったことかと、実は全力でハエルにしがみついて、その柔らかな毛に顔をうずめた。



「……あれ?」



 そこで、はたと気付く。



 この雰囲気、なんか知ってるぞ?



 数秒考え込んだ実は、そろそろと顔を上げる。

 それに応えてこちらを見た狼の瞳は、綺麗な赤色をしていて―――



「あああああっ!! まさか、昨日の人ーっ!?」



 実は声を裏返して叫んだ。



 見た目は全然違うけど、昨日の今日でこの独特な雰囲気を忘れるものか。

 人間じゃないとは確信していたが、まさか狼だったとは。



 あわあわと唇を震わせる実に、ハエルは特に動じずに答える。



「おや。実様はすぐに気付かれましたか。さすがです。エリオス様に似て、とても優秀なのですね。」



「え…っ」



 さらりと言われた言葉に、実は息を飲み込まざるを得なくなる。



 もしかして、彼が自分の名前を知っているのって……



「父さんから、俺のことを聞いてるの…?」



 それしか思い浮かばなかった。

 すると―――



「げっ…。本当に、エリオスのことを〝父さん〟って言った……」

「いや。普通に狼姿のハエルと話せてる時点で、もう確定じゃないか。」



 エーリリテが頬をひきつらせ、ユリアスが溜め息混じりにそう指摘。

 そんな二人の前で、イリヤはさらに表情を輝かせる。



「え…? え…? 何…? もしかして、ここにいるみんな、父さんの知り合い…?」



 三者三様の反応を見た実は、目を回しながらハエルに掴まる腕に力を込める。



 本当に、ここはどこなんですか?



 そろそろ頭がパンクしそう。

 いっそのこと、もう一度気絶したくなってきた。



「実様。驚くなと言う方が難しいでしょうが、極力落ち着いて聞いてくださいね。」

「う、うん……」



 ハエルにそう前置きをされ、実はこくりと頷く。



 とりあえず、ここがどこで彼らが誰なのかを知られるなら、どんな驚愕の事実でも来いってんだ。



 パニックに疲れた心が、なかば投げやりなことを思わせた。





「ここは、エリオス様のご実家です。」





 ハエルから教えられたのは、完全に想定外の事実だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る