垣間見えた闇

 ……いやはや、昨日は焦った。



 食後の紅茶を飲みながら、エーリリテは未だに情報整理がつかない頭を抱えていた。



 あの少年が、長らく帰ってきていないエリオスの子供だって?

 子供以前に、いつの間に結婚していたのだ。



 まさか、私生子?



 いくら常識をどこかに置き忘れてきた恐怖の大魔王でも、そんなことはしないと思いたい。



 というか、エリオスはまだ二十七歳のはず。

 あんなに大きな子供がいるなんて、計算が合わない。



 それじゃあ養子?

 それこそまさか。



 あの容姿は、確実にエリオスの血を受け継いでいるじゃないか。

 むしろ、母親成分はどこに行った。



 なんだかもう、怪しい実験の末にエリオスから分離した存在だと言われた方が、まだ現実を飲み込める気がする。



 しかし自分たちが知らなかっただけで、ハエルだけはエリオスから直接あの子の存在について聞いていたという。



 ハエルに事情を説明する余裕があったなら、自分たちにも知らせていけ。

 どうしてハエルだけなのだ。



 混乱しながらも、そう訊ねると……



 もし可能であれば、あの子がこの街に訪れた時は家族に会わせないまま、それとなくあの子を街から逃がしてやってくれ。



 エリオスからそう頼まれていたのだと、ハエルは語った。



 それこそどうして?



 一様に首をひねる自分たちに、ハエルはそこで言葉を濁した。



 それを語るのはあまりにもこの子とエリオスが可哀想だし、あなたたちも知らない方が幸せだ。



 できることならこの子には何も訊かずに、ただの家族として接してあげてほしい。



 沈痛な声で、ハエルは囁くようにそう言った。

 そして、最後にこうも言ったのだ。



『あの方を歪めてしまった原初の夢が、こんな未来に繋がっていたなんて……神は、どこまでも残酷ですね。』



 ―――と。



 どこか泣きそうな声音で呟いたハエルは、その後ふらりと姿を消してしまった。



 残された自分たちは、突然現れたエリオスの息子と、エリオス本人のことを考えざるを得なかった。



 知らない方が幸せだという、二人の事情。

 そして、エリオスを歪めたという原初の夢。



 エリオスがあんな風になったのには、ちゃんとした原因があったのだろうか。




 いつも笑顔で他人を破滅に突き落としていた彼は、その肩に何を背負っていたのだろう。



 エリオスと一緒に暮らしていた時間よりも、彼と離れて過ごしていた時間が長い自分たちには、その事情の輪郭すら掴めなかった。



 ただ、エリオスのことを語るハエルの声が、あまりにも切なく聞こえて……




 それだけで、エリオスが相当な重荷を抱えていることは分かった気がした。



『あの子が自ら〝知恵の園〟に行ったのは、私たちに何も語らないまま苦痛に耐えるのが、つらかったからなのかもしれないね……』



 頭を悩ませる自分やユリアスとは異なり、イリヤは深い悲しみをたたえた声でそう言った。



 だけど。その表情を色濃く染めていたのは、もどかしさと悔しさだったように思う。



 父が何をそんなに悔しがったのかは、自分にはよく分からない。

 しかし、彼はあれで何かを強く決意したようだった。



 それからはあの子につきっきりで、昨日は一睡もしていないらしい。

 朝食も、あの子の隣で済ませたという。



 そんな父に代わり、今日はユリアスが領主の仕事をさばいている。

 とりあえず自分は少年の看病を代わって、イリヤを少し寝かせてやろう。



 紅茶を飲み干したエーリリテは、イリヤたちがいる部屋へと向かった。

 その途中のことである。



「わああぁぁーっ!?」



 甲高い悲鳴が、屋敷中を揺らす勢いでとどろいたのは。



 あの子が起きたのだろうか。

 聞き覚えのない声で、それを察する。



 もしかして、声は母親似だろうか。

 声変わりは通り過ぎただろうが、それでも男の子にしては高めの声だ。



 落ち着いてしっとりとした声というより、軽やかな鈴のように綺麗で澄んだ声。



 あの声で歌わせたら、光るだろうな……



 職業柄ついそんなことを考えて、エーリリテはハッとして頭を振った。



 そんな悠長なことを考えている場合じゃない。

 一体、何があった!?



 慌てて廊下を駆けて、悲鳴が聞こえた部屋に急行する。



「ちょっと! 何事!?」



 ドアを力任せに開ける。

 そこには―――



 ベッドの天蓋てんがいのぼって焦っている少年と、そんな少年を見てデレデレに笑み崩れているイリヤがいた。


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