謎の青年

「……へ?」



 一度も名乗っていないのに名前を呼ばれ、実はそろそろと視線を上へ向ける。



 そこには、古風な衣装に身を包んだ一人の青年が立っていた。



 街の明かりできらめく白髪に、紅玉のような赤い瞳。

 どこを取っても知り合いじゃない。



「………」



 実は、ぱちくりとまばたきを繰り返す。



 あなたは誰ですか、とか。

 どうして自分の名前を知っているんですか、とか。



 訊きたいことは山ほどあったはずなのに、彼を一目見た瞬間にそれらが吹き飛んでしまった。

 戸惑いと一緒に、意識の大部分を占めていた警戒心すらも鳴りを潜めてしまう。



「あんた、人間じゃ―――」

「おっと。」



 言いかけた言葉は、すぐさま口を塞いできた青年によって阻止される。



「どうか、今気付いたことはご内密に。」

「………」



 そう言ってくる青年に、実は困った視線を向けるしかない。



 ――― 彼は、人間じゃない。



 それはすぐに分かった。

 だけど、この独特な魔力と雰囲気はなんだろう。



 人間ではないけれど、神や精霊といった高位の存在でもない。



 じっと魔力に意識を研ぎ澄ませていて、ふと気付いた。

 彼のような存在が、この街の至る所に潜んでいることに。



(何……この街…?)



 静かに考えを巡らせる実に、青年がまた声をかける。



「さあ、いつまで怪我だらけで突っ立ってるんですか。早く帰りますよ。」

「……ん?」



 その言葉に、せわしなく動いていた思考がピタリと止まった。



「帰るって……どこに?」

「あなたの家以外にあります?」

「………」



 そりゃあ、そうですね。

 〝帰る〟といったら、普通に考えて自宅ですよね。



 …………いやいやいやいや。



 父が行方不明の今、この世界に自分が帰る家なんてないんですけど?



 でも、せっかくこの人が助けようとしてくれているなら、そこに乗っからない手はないよな?



 彼が自分の関係者を装ってくれれば、そこにいる女性にしょっぴかれる可能性が下がるかもしれないし。



 だけどやっぱり、何か分からない存在についていくのは……



 数秒の間に、ぐるぐると悩んだ実は―――



「や…やだ…。帰りたくない。」



 と。

 パッと見は、家族に見つかった家出少年が駄々をこねているように見える回答を口にした。



「実様……わがままはよしてください。」

「やだったらやだ。どうせ帰ったら、なっがーい説教が待ってるんでしょー? 分かってて、誰が帰るかーっ。」



 よし。

 向こうが察して合わせてくれたからか、演技がスムーズに繋がった。



 ここは、このまま逃げてしまえ。

 多分この人なら追いかけてきてくれるし、事情は二人になってから聞こう。



 足取りも軽く、実は一歩を踏み出しかけたのだが……



「……およ?」



 何故か、青年が腕を離してくれない。

 それどころか、この場に自分を縫い止めるように、腕を掴む手に力を込めてくる。



 あれ、逃がしてくれるんじゃないの?



 予想外の展開に、実は冷や汗を浮かべて青年を振り返る。



「―――そうですか……」



 うつむいて垂れ下がった前髪の向こうから、地を這うように低い声。



 なんか、まずいかも。

 嫌な予感を察知するも、身構えるより先に強く腕を引かれる。



「わっ…」



 思った以上の怪力に逆らえず、体はぐらりと青年の方へ。

 とっさに彼の胸に手をついてもたれかかった瞬間、鳩尾みぞおち辺りに衝撃が走った。



「………っ」



 強制的に呼吸が止まり、次にぐわりと視界が歪む。



「仕方ありませんね。―――なら、強制連行です。」



 痛みに顔をしかめる実に、青年は冷静沈着な声でそう告げた。



 ちょっと待った。

 これはさすがに予想外。



 相手が人間じゃないことに油断して、全然警戒していなかった。

 今から逃げようにも、痛みと眩暈めまいのせいで体に力が入らない。



「まったく…。ただでさえ出血のしすぎで貧血なんですから、手荒なことはしたくなかったのに…。こういう手を取らせないでくださいよ。」



 どこかうれいを帯びた彼の声が、どんどん遠ざかる。

 なすすべもなく、実は青年の腕の中で意識を手放すことになってしまった。



 がくりとくずおれた細い体を、青年は軽々と抱き上げる。



「……複雑ですね。その頭の回転の早さと無謀さ、早くも血の繋がりを感じてますよ。まさか、こんな初対面になるなんて……」



 誰にも聞こえない声で、彼はぽつりと呟いた。



「ちょっ、ちょっと!」



 くるりと背を向けて去ろうとした青年を、それまで見物人状態だった女性が慌てて呼び止める。



「その子、誰なの? うちの兄と瓜二つなんだけど、まさか他人の空似ってわけじゃないわよね?」



「………」



 訊ねてくる女性と、その答えに興味津々といった人々。

 青年はそんな周囲を見回し、一つ溜め息を吐いた。



「このお方がどなたなのか……それは、明日にでもなれば、嫌でも分かると思いますよ?」

「は…?」

「失礼。今はとにかく、このお方の治療が最優先なので。」



 不可解そうに眉をひそめる皆に、彼はまた背を向けた。





「それでは。後ほどお会いしましょう。―――エーリリテ様。」





 最後に女性をちらりと一瞥いちべつして、青年は人並み外れた跳躍力でその場から去っていってしまった。


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