第17話 日常を食む顎【別視点】

 講義を受けていた冴澄緋金さえずみあかねは、パソコン画面の隅にそっとアプリを起動させる。鷹揚たかのぶからメッセージが届いたからだ。

 いつもは講義後にチェックをするのだが、今朝のお弁当についての事もあり、つい気になって確認してしまった。



『よかったら、今夜レイトショーへ行かない? それと、もし時間があったら一緒に夕食とかどう?』



『……今夜レイトショーに行かない? ……一緒に夕食とかどう?』



『……レイトショーに行かない? ……夕食どう?』



 鷹揚からのメッセージを受け取った緋金が、再起動をするまでにタップリ二分の時間が必要だった。



(デートのお誘いだ! 間違いない! そういえば、今朝も私のお弁当を作りたいとか、積極的だった気がする)



 しかし、鷹揚の性格上、デートのお誘いなら一週間以上前に予定の確認をしてくるだろう。

 何を自意識過剰になっているのか。やはり、デートではないだろう。たまたま気が向いて誘っただけに違いない。



(ハッ! そう思わせといて実は……とか。例えば、不意打ちでイニシアティヴを取って、なし崩し的に……とか)



 とりあえず、デートだとしても、そうじゃない事もないとしても、隙を見せるわけにはいかない。緋金は気合を入れると、早速戦闘準備を始めるのだった。


 緋金が教授の前を横切り、講義室から立ち去るなか、講義は何事もないように続けられていた。


 緋金は講義室から自室に入り、準備を始める。服飾関連のデータを揃えなければ! 年下の男の子に負けない出で立ちで迎え撃つのだ!



(ハッ! 姉っていわば家族よね。姉から恋人になるって、ランクダウンじゃないかしら?)



♢♢♢



 市内で最も高い建造物。メインステーションから陸橋伝いに移動できる構造は、都会では珍しくもない造りだが、地方都市ではなかなか実現は難しいのだ。


 その市内一高い建物の九階。小さなオフィスの中にそこへの入り口がある。

 受付の奥、誰もいない部屋の中央にあるエレベーター。エレベーターには階数ボタンはない。なぜなら、このエレベーターは四十四階と四十五階の間にある、存在しないフロアへしかいかないから。


 ジンバはいつも通り受付嬢を食事に誘い、いつも通りお断りされてから存在しないフロアへ向かう。



「ナマステ―、来たよ~ん。この後、大人の打ち合わせがあるから手短にね?」



 エレベーターの正面にジンバが訪ねた人物がいる。部屋の主、スーツ姿の女性は緋金によく似ている。

 ワンフロアを全て使った部屋の中央に書斎机。その手前に応接セット。左右にはそれぞれ会議スペースがある。壁はない。ひゃのほぼ全周が窓になっており、すぐ上の展望回廊と同じ景色が見える。



「そんなに手間は取らせないわ。あなたが素直に質問に答えてくれればね」


燈理あかりさん、俺は嘘をついたことがないことが自慢の一つなんだ」


「そう、嘘つきってことね。まあ、いいわ。座って頂戴。今、お茶を出させるわ。それから護衛の仔達はお菓子は大丈夫かしら?」


「こいつら、普通の犬じゃないから、なんでも食べれるよ? 玉ねぎたっぷりハンバーグも平気だよ」



 燈理が電話で受付に指示を出すとジンバの対面に座った。ジンバが連れていたレトリーバー種の犬二頭はジンバの後ろに控えている。



「ここ一週間くらいかしら、あなたが施設内でコソコソと動いているのは把握しているわ。いったい何が目的なのかしら?」


「目的かー……」ジンバは燈理の質問に視線を上に向け「なるべく若いうちに隠居して、旨いもの食べて、まったりできればそれでいいかなぁ」


「分かって言ってるわよね。私は直接あなたの頭の中を覗いてもいいのよ?」


「それこそ分かってないんじゃないかな? ここではともかく。ここから出れば権限は俺の方が上なんだぜ?」



 しばしにらみ合う二人。ジンバの方が先に肩をすくめた。



「オーケーオーケー。別にアンタとやりあうつもりはないんだ。アンタの目的は施設の維持だろ? それを邪魔するつもりはない。俺が受けた依頼は鷹揚を連れ出すことだ」


「彼の保護も施設の現状維持の範囲内です」


「アイツがいなくなっても、本体が残っていれば問題ないんじゃないの? なんでアイツをここに置くことにこだわる? 緋金ちゃんのためかい? それとも自分のため? まさか、鷹揚のためなんて言わないよな? アイツの身体を散々利用した事についてはアンタも同罪だぜ?」


「だから、あなたが彼を売り渡す事に目をつぶれと? それはできない相談よ?」


「おいおい、周りの状況が分かってんのか? 今の状況で、全てこれまで通りって訳にはいかない事は、アンタの頭なら理解できるだろ?」


「私にはこの身に変えてもここを守る義務があります。主が亡くなったからって、すぐに他所に尻尾を振るような恩知らずな真似はしないわ」


「相手との関係を決定的に壊さないためのコツってのがあってさ、その一つに、相手がどういう状況で、何に対して、どういう理由で怒りを覚えるかを知るって事があるんだ」


「何を言っているのかし「挑発するにも言葉を選べって言ってんだよ…」」


「まず、俺がしているのは商売だ。俺は商売は常に対等でありたいと努力している。媚びて売買するようなことはしない。それから、アイツは死んでねえ。あと、アイツと俺は主従じゃない。対等だ。キッチリメモリーに刻んでプロテクトかけとけ」



 テーブルがビリビリとなりそうな緊張感。ジンバの後ろに控える片割れ、ゴールデンレトリーバーの方が落ち着きなく尻尾を動かし始める。

 そんな中、エレベーターが開いて、秘書が紅茶を運んできた。



「ねね、二人っきりが嫌なら、この後の大人の打ち合わせに一緒に来る? 大丈夫! ただ、経費で飲食いしようってだけの健全な会だから、燈理さんからも一緒に行くように言ってよ。この子、チョー硬いんだ。確か、日本ではこういうの同伴って言うんだっけ?」



 終始にこやかだった秘書が、ジンバの後ろから凍り付く視線を投げながら退室すると、燈理がため息交じりに口を開いた。



「もういいわ。せめて、今からする質問で答えられるものだけ答えて頂戴」



 鷹揚は黙ったまま、燈理に向かって掌をみせ、先を促す。



「旦那様と奥様の消息は掴んでいるの? 鈴浪嶺すずなみね国の貴出水たかいずみ家がここへ手を出そうとしている事、そしてあなたが彼らの依頼を受けたことは掴んでいるわ……いったいあなたは誰に味方するつもりなの? それから、鷹揚君の身柄をどうするつもり? 彼の身の安全に関してはどう考えているの? この施設の防衛に関して、あなたに依頼したら受けてくれるのかしら? 最後に鈴浪嶺国の依頼を破棄する気はあるの?」


「ここぞと攻めて来たねぇ……いいだろう。答えはシンプルだ。どうすれば面白くなりそうか、ここを基準に行動を決めている。これでいいか?」


「あなたのお姉様方に報告するってのはどうかしら?」


「ちょうどヒントが少なすぎるかなぁ、と思ってたところだ。追加でもう一つ、アイツらの消息だが、まだ掴んでいない。ただし、似たような案件が三年前に起こっている。そしてそこに貴出水家が絡んでる……どうだ? 面白いだろ? ヒントはここまで。じゃ、俺は帰るよ。ナン、チャパティ、行っくぞ~」



 ジンバの退出を見送り、眉間に指をあて十数分、燈理は秘書に連絡を取る。



「今から書いた文書を、至急兎働うどう家当主の剛毅たけとし殿に送って頂戴」



♢♢♢



「報告します! 先発隊八名現地に到着しました」


 伝令の報告に、貴出水が補佐官に頷く。


「これより、惑星双石くらべいし奪還作戦の第二段階に移る! 目標は双石星系外縁コロニー猪八重いのはえ! 作戦開始は翌マルナナマルマル時! 以上解散!」


 部下である将校たちが退出し、作戦室には司令官である貴出水が補佐官を兼任する家令が残った。


「旦那様、例の海賊から報酬の催促が来ています」


「平民は浅ましくていかんな。そんなもの、事が成ってからに決まっておるだろうに……良い。放っておけ。……いや、欲しければ猪八重コロニーに取りに来いと伝えておけ。ついでに十三年前のツケを払わせてやろう」


「かしこまりました。その様に手配いたします」


 作戦室の隣の自室に移動した貴出水が暗い笑みを浮かべる。


「亡霊と魔獣は既に死に、混沌は葬った。海賊もいなくなる。これで十三年前に儂の邪魔をしたものはいなくなり、儂は冴澄の英知と力を手に入れる……笑いが止まらんな」


 過度に装飾された室内に、暗く湿った笑いが渦巻いていた。



♢♢♢



「あんの、クソおやじぃ!!」



 兎働暁うどうあかつきは父の机の上にあった手紙を握りつぶした。

 彼の顔色は判別できないが、彼の怒気が執務室の空気を揺らしていた。


 彼の激怒の原因の手紙には——

『今日から家督は暁に譲る。儂は真祖様の陣にはせ参じる。兎働剛毅』



「俺が行くはずだっただろうがあぁぁぁ! ズリィぞ、おやじいぃぃぃ!」



 悲しみと怒りの怒声が兎働家の屋敷を揺らした。

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