第10話 崩される日常のムコウで③【別視点】
ボクは動かない——ボクが相手の立場だったら、自分の待機場所へ帰還した後も、異常があった現場をしばらく監視する。今動けば、あっという間に補足され、間違いなく消去されるだろう……。
もっとも、リアルの本体の方を破壊されたら、どちらにせよそれまでだ。
今頃、機能を停止したデコイの体は発見されて処分されているかもしれない。その時、近くにあるボクの核器が見つからないとはとても思えない……。
ここまでの攻撃者の行動で分かった事がある。攻撃者は明らかに意志を持っているということだ。
ボクは現在、施設の最上位権限を持っている。
しかし、相手はこれに対する干渉権限を持っており、かつ、サイバースペース内で武器アプリを操ることが出来る。
これができるのはボクと同じかそれ以上の権限を行使できる何者かだけだ。
つまり、物流関連より上位の施設のプログラム管理者である。
相手が生物なのか意志を獲得した機械なのかは不明だが、相手が独自の判断でサイバースペースへのダイブができることと、今現在、ボクが見張られているであろうことは間違いない。
「攻撃する時に姿が見えなかった……ならば狙撃型か隠密型……どちらにしても手持ちのカードではお手上げだな。待機するしかない」
サイバースペースで待つという行為はなかなかに忍耐が必要だ。
サイバースペースはリアルの何千倍という速度で時間が流れる。サイバースペースで数千日待機してようやくリアルで一日が経過するのだ。
だが、待つしかない。
強制的にでもリアルの本体を動かせば攻撃者に見つかることなくサイバースペースからの離脱を果たせるだろう。
しかし、その場合はボク自身を構成するプログラム以外を持って出ることができない。
つまり、せっかく集めたデータを破棄せざるをえない。
それ以前に、本体を動かそうとした時点でボクの存在が悟られ、本体に対しての対策を取られるだろう。
同様に、本体へのデータ転送も気付かれるだろう。
それゆえに、今はリアル側で本体が見つからないことを祈りながら、待つしかないのだ。
それにしても、咄嗟に選んだ擬態の対象が、ファッション関係の資料とは運がない。
慌ててコピーしたとはいえ、これでは中身を精査しても意味がない。
デコイがいた場所と入れ替わりつつの擬態の操作だったから仕方がないが、もし、選んだ資料が運良く賢者の石に関するファイルだったなら、じっくり情報収集ができたのに……。
先程まで取り込んだデータを開けるのはさすがにリスクが高い。
不自然なデータの移動や開示は、相手に存在を悟らせる。
一つのファイルの中で複数の種類のファイルが開かれるのはかなり目立つのだ。
仕方がないので、擬態したファイルの中身を見ながら時間を潰すことにする。
本当に仕方なくだ。
……さすがに飽きてしまった。
年代が古すぎる。
生体が発する水蒸気で僅かに発熱するだけで高機能衣類と呼ばれるなどありえない。
いつの時代だろう。
天然素材製の衣類が信じられないほど安い事もおかしい。
こんな記録をいったい何に使うのか?
着飾るという事に多少の憧れがあっただけに裏切られたような気分になる。
その時、隣のファイルが引き出された。続いて周りのファイルも次々に引き出される。
閲覧したファイルを戻さずに次のファイルを引き出している? 何を慌てているのだ?
ファイルを取りに来ている姿が見えないという事は外部からのアクセスか?
隠密型の攻撃者による欺瞞工作の線も疑ったが、サイバースペースにダイブしている者が、目の前に全く同じファッションのファイルが二つ並んでいることに気付かないとは考えにくい。
外部アクセス者が、より表層に近いオリジナルファイルの方を見ていると考える方が自然だろう。
複数箇所に挟まれたブックマークが貼られた記事。これらを比べると内容が共通している事が分かる。
どれどれ……年下の彼氏とのデート服や髪型に関わる記事に偏っている……なぜ?
とにかくチャンスだ!
ボクの周りでファイルが動き回っているのだ。これに紛れれば脱出できる!
脱出は早い方が良い。ここで動かずにいる間に、資料にアクセスしている何者かが、ボクの擬態ファイルを開いてしまうことの方が怖い。
速やかに本体に帰還することにする。
リアルに戻ってもボクの幸運は続いていた。
サポート機がリンクを繋げるだけで再起動してくれたのだ。
サイバースペースでの攻撃には本体の電脳を焼き切るものもあるという。
なぜ、無傷で済んだのか……たまたまなのか、泳がせるつもりなのか……不安はあるがここに留まるわけにはいかない。
思考空間内にマップを開く。
目的の場所はホスピス区域の中央部。
てっきり、工業区画や研究開発区画が目的地になると思っていたから、これは意外だった。
無人のはずの施設にホスピスがあることにも疑問を感じる……いや、判断は実際に見てから下すことにしよう。
さらに、来訪者履歴の中に気になる名前を発見した。
ジンバ グリンウッズと
「海賊ジンバに死神エッジ……十三年前のネームドがなぜここに出入りしている?」
この二人に、さらに混沌、亡霊、魔獣を加えたのが『魂砕きの悪魔達』と呼ばれる五人組だ。
彼らについての資料はその多くが公表されていない。
唯一公表されている資料は、魂砕きの悪魔が関わったとされる最初の事件についてのものだ。
双方の死者はゼロ。
ただし、戦闘後に日常生活に復帰できた人数も双方合わせて五名。
魂砕きの悪魔達以外は全員が未だに植物状態で眠り続けているという。彼らが『魂砕きの悪魔達』と呼ばれる所以である。
その後、連合内で鈴浪嶺国に味方していた国々も次々に中立を表明。
それまでの戦闘行為は軍の一部が暴走したものとして処理された。
僅かとはいえ、第一級資料の存在が確認できるのはここまでだ。
これ以降は、勢いに乗った魂砕きの悪魔達は鈴浪嶺国の主星に侵攻。当時の国王と王太子を殺害すると、第三王子を即位させ、冴澄国への不可侵を約束させたとか言われているが、この辺りの話はもはや都市伝説だ。
噂の真偽はともかく、そんなビッグネームが出入りしているとなると、賢者の石に関わる施設であるという話の信憑性も大きくなる。
さて、地図を頼りに駆け足での移動も、認識阻害措置のおかげで危なげなく行動できる。
データによるとこの施設、防空戦闘設備は過剰なくらいだが、いかんせん非戦闘員が行き来する機会の方が多い施設なのだ。通路に罠の類があるはずもなく、簡単に目的の区画にたどり着く。
そう時間もかけずにボク達は目的地にたどり着いた。
「長い通路の端に扉が二つ? 大部屋にしても広すぎないか?」
地図に示された部屋は一辺百メートルの正方形。
入り口はボクが今立っている場所と、ボクの視線の先、曲がり角の手前の計二箇所のみ。共に同じ部屋への入り口だ。
一瞬、待ち伏せの可能性が頭をよぎる。
施設側にとって、今は侵入者が排除されて間もないのだ。侵入者を撃退したと判断したとしても、警戒は続いていると考えた方が良いのは確かだ。
しかし、この部屋に関する記録にも、目の前の部屋にホスピスの患者がいることは間違いない。それも、継続した生命維持が必要なレベルだ。
さらに人数にして九百人強。彼らが一部屋に集められている事にも意味があるはずだ。
その点からもここを戦場に設定することは考えにくい。
そもそも待ち伏せに適した区画は他にもあるのだ。
「どちらにしても、行くしかないんだよね」
近づくだけで大きめのドアが軽い音を立ててスライドする。
部屋の天井は高く、床は中央に向けてすり鉢状に低くなっている。部屋の最も低い位置である中央部には金属光沢を持つ樹木のようなオブジェが見える。
「なに……ここ」
三メートルくらいの長さのカプセル。それが、中央のオブジェを囲むように幾重にも放射状に配置されている。
カプセルは、宇宙葬の棺のようでもあり、培養槽のようでもあり、それらが中央のオブジェクトを見上げるように配置されている。
おそらく、カプセルの中には治療中の患者が入っているのだろう。
そういえば、カルテに記載された発症日が、どの患者も全て同日だった……。
「そうか! 十三年前の事件の被害者か……」
十三年前、冴澄国の主星
この事件の被害者は全員死亡となっているが、生き残りがいたのだろう。
生き残りの被害者たちが集められて、ただただ生命の維持を目的に眠り続けているのではないだろうか。
——ここは静謐な時を湛えた場所である。
ボクが、思考の中に名状しがたい静かなうねりのようなものの処理に手間取っていると、オブジェの中ほどで動くモノを認識した。
それは、人骨に皮を貼り付けただけのような黒いヒトガタだった。
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